大小の葛籠①
「それじゃお前はもうすぐ大金持ちってわけか」
「何せあたしの腰ほどもある大きな葛籠にみっしりと礼の品を詰めてくれるらしいからねぇ。その上、これからもずぅっと、その中に援助の品を入れて届けてくれるんだと」
「援助の品、ねぇ」
何が入ってるんだろうな、と布団に寝ころんだまま、由仁はだらりと笑う。
「でも、子どもの着物とかそういうのじゃないのか? だって生きてるってことになってるんだろ?」
前祝いだと言って奮発した酒をぐいと飲み干し、「そんなのあってもなぁ」と笑う。
「なぁに、売っ払っちまえば良いんだよ。良いところのお屋敷の着物なんだから、高く売れるだろうさ。アンタは何も心配しなくて良いよ、あたしがちゃぁんと金に換えて来るから」
雀はもちろん、正平にも食わせたことのないような馳走を並べ、さぁ、食べようか、と箸を持つ。その一口目にありつく前に、自然と笑みが零れた。
「どうした?」
急にくつくつと笑い出した東砂に、由仁は飯を食らいながらそう尋ねる。
「雀ならぬ『
「まぁ……そうかもな」
そう返しながら、由仁は、いかにしてこの女と縁を切ろうかと、そればかりを考えていた。
年齢は一回りも上だし、母親を相手にしているようなものである。運んで来る金の出処については聞かなかった振りをした。子どもに盗みをさせただの、自分達の関係をバラされそうになったから舌を切ってやっただの、そんなことは彼には関係がない。そしてその子どもが実は大金持ちの孫娘だった、などという話も、正直どうだって良い。
ただ、これまで通り金だけもらえれば良かったのだ。
こうやって家に上がり込まれて女房面されても困る。第一彼には本命の若い女がいる。
だけれども、その辺は言葉を選んで慎重にやらないとまずいだろう。何せ血の繋がりはないとはいえ、育てた娘の舌を切るようなとんでもない女だ。少なくとも刃物が近くにない時にせねばならん、と出しっ放しになっている菜切り包丁に目をやる。
そんなことを考えながら、そこそこに美味い飯を食っていると、とんとん、と戸を叩く音がした。
由仁はぎくりと肩を震わせた。まさか
俺が出るよ、と腰を浮かせると、「良いよ、あたしが出る」とすっかり女房気取りの東砂はいそいそと戸口へと向かった。そんなところがまた鼻につく。
円はあれで賢い女だから、こんな状況でもどうにか切り抜けられるだろうと由仁は思った。東砂という鴨原中の女に貢がせているという話も既にしてある。問題はない。はずだ。
「御免くださいまし」
からりと開けた戸の向こうにいたのは、
後ろに二人、若い男を従えさせた魅鳥は先日正平の家を訪ねた時のしおらしさはかけらもなく、賊の女親分といったような妙な気迫がある。その空気に気圧されてしまいそうになるが、若い男の背後にちらりと葛籠が見えて気を取り直した。
落ち着け。
あたしはこの女の恩人なのだ。
こいつが礼を受け取ってくれないと大旦那様に顔向け出来ないとか言うから。
だから、東砂は、ふん、と鼻から息を吐いてうんと冷めた視線を向けてやった。
「何の御用で?」
「約束の品を、持って参りました」
先日家に来た時よりも艶っぽい気のするその声が、由仁に届きませんようにと思う。三十路のように見えていたはずの魅鳥が、今日は何だか随分と若く見える。先日よりも鮮やかな紅のせいかもしれない。
雪のように白い肌にも張りがあって瑞々しく、左肩に垂らされた長い髪も濡れたように艶めいている。なぜあの時は三十路に見えたのだろう。どう見てもこれは二十歳かそこらの若い女ではないか。
そう気付くと、途端に、年甲斐もなく、若い男に合わせて派手な色の着物を纏っている自分の姿が恥ずかしくなる。
自分と対峙しているこの女は、どんな色でもどんな柄でもその内面から滲み出る若さによって着こなしてしまうのだろうと考えると腸が煮えくり返る思いであった。
これ以上自分がみじめになる前にもらうものをもらってとっとと追い返さなければ、と東砂は思った。なぜ正平の家ではなく、
「それを置いてすぐにお引き取りください」
やっとの思いでそう言って、若い男達の背後にある葛籠を指さす。けれど、その男共も、そして魅鳥すらもそれに触れようともしない。痺れを切らして東砂が一歩足を出すと、「ちょいと」と遮るものがある。魅鳥の手であった。
「何よ!」
掴みかからんばかりの勢いで、東砂は魅鳥を睨みつけた。
すると魅鳥は怯むこともなく、それどころか挑発的ににんまりと笑って、
「まァそう急くでないよゥ」
などと遊女のような口調で艶めかしい声を出すのである。やはり別人なのではなかろうかと思うその態度に、ぞく、と全身が粟立つ。
「べっ、別に急いてなんか……」
吞まれるものかと精一杯虚勢を張って笑ってみせるが、自分でも頬が引き攣っているのがわかる。それに気付いてか、やはり魅鳥は綽々と口元に弧を引いて、形の良い糸切り歯をちらりと見せた。そしてゆっくりと懐から扇子を取り出して、ぱさ、と広げ、これ見よがしにはたはたと扇ぐ。見事な大蛇が描かれた、いかにも
こんな寒い季節に扇子を出すとは、この女、頭でもおかしいのか。そう思うものの、その美しい所作に同性とわかっていながらつい見入ってしまう。
「もしや心変わりでもあるかと思ってねェ」
「……は? こ、心変わり?」
「もしかしたら、小さい葛籠の方が良い、とかねェ? 言い出すんじゃァないかと思って、さ」
「ま、まさか、そんな」
「だから、最終確認っていうのかねェ。とりあえず、どっちも持って来たんだ」
何だ
どういうことだ、と東砂は混乱した。
これは何か、暗に、小さい方を選べとでも言っているのか。
いまになって大きい方を渡すのが惜しくなったのか。
これだから金持ちというのは、けちでいけない。
好きな方をくれてやると言ったではないか。
いまさら変えてやったりするものか。
そう言ってやりたいが、大きく開けた口からは何の声も出ず、ただただこめかみを汗が伝うだけである。風こそなかったが、空気はきりりと冷えているはずなのに、身体が熱い。
「さァ」
「好きな方を」
「選びなァ?」
眼前に、真っ赤な紅が迫る。
紅筆できっちりと左右対称に色を乗せられた、瑞々しいその唇は、目に焼き付くほどはっきりと赤かった。白い肌にぽかりと浮かぶようなその赤は、まるで血だまりのようだ。
最早自分は何に対して恐怖を覚えているのか。
この女が怖いのか。
それともその赤が怖いのか。
真っ白な雪の中にぽつんとある、血のような色の半纏。
それを思い出す。
真っ赤な半纏を着て、口から赤い血を流して、あの子は倒れたのだ。
それを隠そうと慌てて雪を被せたが、鋤があるわけでもなく、ただ手で掬い取っただけであるから、当然のようにすべてを覆うことは出来なかった。
あの子が悪いのだ。
育ててやった恩も忘れてこのあたしを
それにそもそもあの子は雪の中に捨てられていたのである。本来はあの時点で消える命だったはずだ。それをここまで引き延ばしてやったに過ぎない。だから殺したのはあたしじゃない。捨てた親だ。
だから、これまで育てた分はもらって当然なのだ。
東砂は自分自身にそう言い聞かせた。
「お――、お、大きい方の葛籠を」
「そう、大きい方ねェ」
「そうです。大きい方を」
「あいよゥ」
ぱちん、と扇子が閉じられる。
「アンタも正直者だね」
「――は、はぁ?」
そして魅鳥は、にま、と笑い――、
「自分に正直だねェ、って。正直者にゃァね、どっちもくれてやろうと思ってたんだよゥ」
そォら、持って行きなァ、と言うと、魅鳥の後ろにいた二人の男は、大小二つの葛籠を無言で家の中へと運び入れた。
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