大きな嘘③

 その明後日、約束通りに魅鳥みどりはやって来た。気温は低かったが、雪も降らず、風のない日である。

 けれどさすがに一人ではなく、例の大きな葛籠を乗せた荷車の傍らにはお付きの者が二名いる。


 そしてなぜか。


 荷車には、大小の葛籠が二つずつあった。


「約束通り、持って参りました。――おや、奥方様は」


 ええと、その、と正平が目を泳がせていると、魅鳥は何もかもお見通しだと言わんばかりににんまりと笑った。


「どうします? こちらへ置きますか? それとも、直接お運び致しましょうか?」


 その言葉にハッとして彼女の顔を見る。


東砂あずさがどこにいるのかご存じなのですか?」


 正平とて、妻を探さぬわけではなかった。

 けれど、この集落のどこにも妻を匿うような家はなかった。それどころか、「よくもまぁ、あんな嫁とやっていけるね」「やっと出て行ったか。その方がアンタのためだと思っていたよ」などと同情されるやらだったのである。


「もちろん。ここに辿り着くまでに調べて回りましたからねェ」


 色々、を殊更強調して、にま、と笑う口元は、先日よりもずっと紅い。妖しく眇めた左目の下の黒子もまた、やけに艶めかしい。金縛りにでもあったかのように、身体はもちろんのこと、言葉さえも出なくなっている正平に向かって、尚も妖艶に笑いかけながら、魅鳥は懐から扇子を取り出して、まるで舞でも踊るかの如く、それをひらりと振ってみせた。その動きもまた艶っぽく、そんな状況ではないと思いつつもつい見惚れてしまう。こんな寒い季節に扇子など必要ないのではないか、という疑問など、浮かぶ余地もなかった。


「つ――妻は、どこに」


 やっとその言葉が口から飛び出したが、「そりゃァ知らない方がよござんすよゥ」と返されてしまう。亭主が知らない方が良いようなところにいるのか、と膝の力が抜ける。彼の中ではまだ愛しい妻だったのだ。


「正平さァん」


 艶っぽいその声で顔を上げる。

 はて、先日ここへ来たのは本当にこの女だっただろうか、と正平は思った。顔や声は確かに魅鳥だが、まるで別人のようにも見える。


「約束だからね、この葛籠はアンタの奥方に届けてやるよゥ。だけどね、アンタにも礼をしなくっちゃァならないねェ」

「れ、礼、を?」

「アンタが本当に欲しいものをくれてやるよゥ」


 ずい、と顔を近付けられ、正平は後退りした。足がもつれ、ぺた、と尻をつく。


「な、何もいらないんです。本当に」


 もしやこの女は、既に雀がいないことを知っているのではなかろうか。


 正平はそう思った。

 元来正直者の正平には、偽り続けることなど無理なのである。だからそのまま両手をついて頭を下げた。


「申し訳ございません。申し訳ございません。私は本当に何もいらないのです。妻にだけ葛籠を届けてやってください。私は何もいりません」


 頭の中にはまだ妻の言った「これは人助けである」という言葉が残っている。自分さえ認めなければ、雀は生きているのだ。先の短い老人を慮って嘘をついた優しい妻のためにも、ここで洗いざらい白状するわけにはいかないと、その一心で正平はひたすらそれを繰り返した。


 本当に、馬鹿だねェ。


 魅鳥――青衣は、もちろんあの後の二人のやりとりをしっかりと聞いていた。妻の強欲さは既に知っていたものの、まさかすぐに亭主を置いて浮気相手のところへ走るとは、と呆れかえるばかりだったが。


 尚も、いりませんいりませんと繰り返す正平の前に、小さな葛籠を一つ置く。それに気付いた正平は「うひゃあ!」と声を上げて飛び退いた。


「そォんなに驚くこたァないだろゥ? 開けてご覧な。アンタの欲しいものが入ってるから」

「で、ですから、私は、何も――」

「良いから、開けなァ!」

「ひいぃ!」


 ドスの効いた声でぎろりと睨まれ、正平は慌てて葛籠の紐に手をかけた。するり、と解いて蓋を開ければ、中に入っていたのは、一枚の紙切れである。


 それにはただ、『雀』と書かれていた。


 それを見て、ぼたり、ぼたり、と涙が落ちる。


「欲しいものが、入ってたろゥ?」

「はい、はい……」


 雀、雀、と大粒の涙を流して紙を持ったまま、ぶるぶると震え、流れる鼻水を啜ることもせずに、おうおうと泣く。


「雀に会いたいかえ?」


 そう尋ねられれば、首もちぎれんばかりに頷く。そんなことをすれば雀がここにいないことを認めたも同然であるのに、正平はただただ「雀ぇ、雀ぇ」と繰り返して首を振り続けた。


「ぃよっこらせっとぉ」


 そんな声と共に、今度は大きな葛籠が一つ、正平の前に置かれた。荷車からそれを下ろしたのは、お付きの男達で、何やらぶつぶつと姐御は人使いが荒いなどと文句を言っている。


「あ、あの、これは」

「昔っからね、正直者ってェのは、どっちももらえるようになってンだよゥ」


 そんなことを言いながら、するりと紐を解き蓋を外すと、側面がぱたんぱたんと開いて――、


「す……雀」


 その中で、雀がちょこんと正座をしていた。


「雀ぇ!」


 涙まみれ、鼻水まみれのまま、正平は雀に抱き着いた。幽霊でも、幻でもない、しっかりとした人の弾力と温みがある。


「ちょいとわけあってね、この子はしゃべることが不自由になっちまったけど、どうだい、これからも一緒に暮らしてやってくれるかい?」

「しゃべることが……?」

「奥方から聞いてるだろう? 谷に落ちたって。まァ、そん時にちょいとねェ。それ以外はどっこも悪いとこはないんだが――」


 どうする? と尋ねると、正平はぶるんぶるんと首を振った。


「良いんです。しゃべれなくたって、良いんです。雀は雀です。私の大事な子なんです」


 と、そこまで言って、はた、と思い出したように「ああ、違うな。ええと、鈴様とお呼びしないといけないんだったか」と慌てて袖で顔を拭う。


「良いんだよゥ。その子は雀だ。アンタの雀だよ。わっちが一芝居うっただけさね」

「芝居?」

「そうさ。お屋敷だのなんだの、あんなのまるっきり出任せだよゥ。雀はどこの子かもわからない。だから、いままで通り、正平さん、アンタの子だ。これからはいっそ東地蔵に居を移して二人で暮らしたらどうだい」

「そ……そうですね。そうします。雀、雀。これからはずっとそばにいるからな」


 その言葉に強く頷いたのは雀だ。涙と鼻水でさんざんに湿った胸元にしがみついて、うううう、と唸るような声を出す。その小さな身体を抱いて、正平はまたおんおんと泣いた。


 そんな二人を見て、広げていた扇子をぱたりと閉じ、青衣はちらりと後ろに控える二人を見た。


「さて、お次はあの強欲女の仕置きといこうじゃァないか。犬っころ、お猿、しっかりわっちを見張っておくんだよゥ」

 

 うっかり殺さないようにねェ、と裂けんばかりの笑みを浮かべると、お付きの者に扮した二人はぞくりと肩を震わせてから互いを見やって呟いた。


「……ほんとに姐御ってば人使いが荒いんだから」

「……太郎を連れて来なくて正解だったな」


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