舌切雀①

「……薬師が二日も店を開けるって言うから来たってのに」


 華やかな通りを過ぎた頃、養母は雀の手を振り払ってから忌々しげにそう言った。


「話が違うじゃないか。店には爺と婆がいるし、薬師も帰って来るし」

「それは……その……」

「だいたい、それをあたしに教えたってことは、つまりそういうことだろ? 手伝いに来いってことじゃないのか」

「ち、違います。あちらにお世話になるから、その、家には帰らないつもりで、それをお伝えしただけ、というか」


 おどおどとそう言うと、養母は雀の横っ面をぱぁんと打った。


「思わせぶりなこと言うんじゃないよ! とんだ無駄足だったじゃないか! 良いかい、これっぽっちじゃ全然金にならないんだよ。いつもいつもがらくたばかり盗んできやがって」


 懐から取り出したのは、青衣がたまにつけている銀細工の髪飾りだ。青衣が帰って来た時、すべて引き出しに戻したと思っていたが、ちゃっかり一つだけくすねていたらしい。


「か、返してください」


 ひりひりと痛む頬に添えていた手を伸ばす。


 確かに安物だとは言っていたし、実際にそうなのかもしれないが、だけど、これは姉さんにとてもよく似合うやつなのだ。


「はぁ? こんなのが一つなくなってたところで気付きゃしないよ」

「駄目です。お願いします。お願いします」


 袖に縋りついて、尚もお願いします、と懇願したが、養母はそれを振り払い、ついでに雀の脛を蹴り飛ばした。


「放しな! シワになんだろ! アンタみたいなのが軽々しく掴んで良いような安物じゃないんだよ!」


 そう言って、シワの寄ってしまった袖を伸ばすように撫でる。

 

 安物じゃない、と言われたが、雀にはそれがちっとも高価な着物のようには見えなかった。


 だって姉さんは言ったのだ。


 安物でも、着ている人間が一級品なら、その着物も一級品なのだと。

 ならば、その逆もまた然りである。

 どんなに着物が一級品だったとしても、着ている人間が粗悪ならば、その価値は下がるのだ。


 だから、言われてみれば確かに刺繡なんかもかなり凝っているようだけれども、雀にはそれがそこまで目くじらを立てるほどのものには見えなかったのである。


 町へ出るための余所行きの着物、というやつなのだろうとは思ったが、ここ数日、東地蔵を歩いている雀にはわかる。この町に住む人だって――いや、住んでいればこそかもしれないが、そこまで気合を入れた高価な着物を着ているのは、そういう職業の者だけである。それ以外の人達は、もちろん、貧しい集落の自分達と比べれば良い物を着ているのだろうが、それでも身なりはかなり質素だった。


 つまり、そんな着物は必要ないのだ、と雀は思う。

 確かにここは華やかな町ではあるけれども、そこまで着飾らなければならないようなところではない。婚礼でもあるまいに、いや、例え婚礼であったとしても四十も過ぎた女が若ぶってそんな派手な柄の着物を着ている方が滑稽だ。


 第一、その着物は、どの金で買ったのだ。


 父様が汗水流して働いて得た金か。

 それとも、自分が盗んできたものを売って作った金か。


 いずれにしても、その金はお前が使って良いようなものではない。


「……い、言います」

「はぁ? 何を」

「父様に、言います」

「ハッ、何を言うってさ」

「母様が、と、父様以外の男の人と抱き合っているのを見ました」

「な」

「それを、父様に言います」


 雀の言葉に一瞬怯んだが、は、と鼻で笑うと、「誰がアンタの言うことを信じるかね」と言った。


「信じないかもしれません。けど、全部言います。渦香西うずこうざいの寺の近くに住んでいて、由仁ゆひとという名前で、その人に金を渡すために、盗みをさせられていました、って」


 名前まで知られているのは厄介だ、と彼女は思った。

 まさかあの愚鈍な亭主が雀の話を信じるとは思えなかったが、万が一渦香西に行って、由仁という男はいるか、などと探されてしまえば大変だ。


「馬鹿だねぇ。そんなことを言えば、アンタが盗人だってこともバレちまうじゃないか。いくらあたしがやれって言ったってね、盗ったのはアンタなんだから。いくらガキでも罪人は罪人なんだよ?」

「それでも良いです。私は盗人なのは本当ですから。集落の皆にちゃんと言います」


 どうにか言いくるめようとするが、雀は頑として意思を曲げない。ギリ、と歯噛みをして、だったら、と養母は言った。雀の胸倉を掴んで、ぐい、と引き寄せ、暴力によって、その心を折ってやろうと手を振り上げた時だった。


 そうだ、もっと良い物があるじゃないかと、振り上げていた手を懐に入れた。

 せっかく町に寄るのだから、と、アレを新調したんだった、と。そう思いながら、美しい刺繍の施された袱紗ふくさに包まれているそれを器用に片手で取り出すと、雀に見せつけるようにして、ゆっくりと左右に振ってみせた。恐怖に見開かれている目が、それを追う。

 

 良く研がれた、鋏である。


「そんなにいらないことをしゃべる舌はさぁ、これでちょんと切っちまおうか」


 いやいや、と首を振る。

 口を開けてその言葉を発したが最後、舌を捕えられてしまうと思って、雀はぎゅっと固く口を閉じた。


「じゃあ、余計なことは言わないねぇ?」


 殊更に優しい声でそう尋ねれば、雀はちぎれんばかりにその首を振った。


 そうか、良い子だ。

 

 にんまりとした笑みに、ホッとし、力を抜く。


 ほぅ、と息を吐いたところで――、


 その僅かな隙間に、養母の長い指が差し込まれた。

 

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