舌切雀③
あいつらもたまには気が利くじゃないか、と青衣は思った。
きりりと冷えた冬の日である。
けれど、その日は珍しく太陽がしっかりと顔を出していたこともあり、早朝こそ頬を刺すような寒さではあったけれども、正午を過ぎればそれも少しは和らぐ。
午後から半休をもらったのだといういつもの三人が、
立ち話ってェのもナンだ、とお決まりの台詞を吐いて座敷に上げようとすると、白狼丸が「いや、おれらは用があるから」と、とてもそうは見えない顔で、「いやいやおいらはここに残るんだぁ」と半べそをかく飛助の首根っこを掴んで引きずって行ってしまったのである。
来て早々に一体何なのだ――、と思った青衣であったが、ここ数日のあれこれを思い出して、成る程、と得心した。つまり三人は――いや、もしかしたらそう思っているのはあの犬猿のみかもしれないが――青衣を元気づけるためにやって来たのだろう。そして、それにはやはり一番これが手っ取り早い、と太郎一人をここにおいて行ったというわけである。そんなとっておきの手土産と並んで座り、甘酒と饅頭をいただいているところであった。
「なァ坊」
「何だ」
「最近巷じゃァ、人を化かす狐だか狸だか鶴だかがいるんだってねェ」
「あぁ、俺も小萩や千鶴を見るまでは正直信じられなかったけど」
鬼の子の俺が言うことではないんだけどな、と何やら照れくさそうに笑いながら、甘酒を啜る。ほんのりと酒粕の香りはするが、さすがにこの程度で酔ったりはしないようである。
「もし……、もしもわっちがそうだと言ったら、坊はどうする?」
「青衣が? それは……いま俺の目の前にいる青衣が偽物、という意味か?」
「いいや、いままでのわっち全部がさ。最初に会った時からずゥっと化け狐だったら、ってことだよゥ」
そう言って、じぃ、と湯呑を持つ手を見る。
女のように長く細い指、白くきめ細やかな肌。本物の女でもここまできれいなのはそうそういないと評される、男らしさのかけらもないその手を。
見た目はどんなにきれいでも、やはりこの手は汚れている。
そんな汚い手で、どうしてお前に触れられよう。
だから。
正体のバレた狐のように、ある日突然消えてしまえたら。
だとしても、それをわざわざ口にするとは、自分も弱くなったものだと思う。本当にそう思っているのなら、何も言わずに消えれば良い話だ。心のどこかで引き止めて欲しいと願う自分がいる。
だけど、優しい太郎はそうしないだろう。狐には狐の世界がある。人と交わらぬ方が狐の幸せだと。きっとそう言うだろう。本心では仲間と離れたくないと思っていても、我慢するはずだ。
「だとしたら、そうだな。狐に戻れば良いと思う」
あぁやはり。
「人の姿で居続けるのは、きっと大変だろうしな」
そう。
自分を偽り続けるのは大変なのだ。
だから。
「本当の姿になって」
狐として、人から離れて。
「俺のそばにいてほしい」
野に帰っ――
「うん?」
「ううん? どうした?」
「いや、狐の姿で坊のそばにいるのかえ?」
「そうだ。さすがに店の中に毛のある生き物を入れるわけには行かないけど、そうだなぁ、中庭に小屋でも作らせてもらって――」
「え? えぇ?」
「そしたら俺も飯はそこで食うよ。うん、きっと白狼丸と飛助も来てくれるだろうし。あぁでももちろん青衣が野に帰りたいって言うなら……」
「ちょ、ちょいとお待ち」
「どうした?」
「どうしたもこうしたもないだろ」
「え? 俺何かおかしいこと言ったか?」
「おかしいに決まってるだろ。人を化かす狐なんだよゥ?! ずゥっと坊を騙してたんだよゥ?!」
もしもの話をしていたはずなのに、気付けば本当に自分が化け狐のような気になって、青衣は腰を浮かせた。
「だとしても」
まぁ座れ、と落ち着き払った声で袖を引かれ、大人しく腰を落とす。少し乱れてしまった裾を軽く直して、気まずさから横目で彼を見る。
「青衣は青衣だ。いまさら、狐だからさようなら、なんて言えないよ。どんな姿でも良いから、俺の仲間でいてほしい」
なんて、俺の我が儘なんだけど、と弱り眉で笑う。
「白狼丸が言うにはな、俺はもっと我が儘を言っても良いんだそうだ。もちろん限度はあるし、人も選んだ方が良いんだけど。青衣になら言っても良いんじゃないかと思って。……駄目だったか?」
「駄目なはず……あるもんかね」
その言葉を吐き出すと同時に浮かんだ涙をそっと拭う。
「坊はね、どんどん我が儘になった方が良いんだ。好いた男の我が儘なんて可愛いもんだからねェ」
「白狼丸は好いた女の我が儘は可愛いと言っていたが――、成る程、好いた者の我が儘は皆可愛いんだな」
ほう、と納得したような声を上げ、膝を打つ。だったら、と空にした湯呑を置き、それの温もりが残る手を、青衣のそれに重ねる。
「青衣ももっと俺に我が儘を言ってくれ。俺も青衣のこと、可愛いと思いたい」
「――!? か、可愛いだってェ?!」
「好いた者の我が儘は可愛いんだろう? 飛助なんかは俺が何か言う度に可愛い可愛いと言うからさ。たまには俺だって言う側に回りたいじゃないか」
「あっはっは。坊、アンタって子は本当に……」
再び滲んだ、さっきとは意味の違う涙をそっと押さえ、くつくつと喉を鳴らす。太郎はそんな青衣を見て、「俺何かおかしなこと言ったか?」とやはり不思議そうに首を傾げている。なァんにもおかしくなんかないさ、と返しながらも尚も笑い続ける青衣に、口を尖らせかけた太郎だったが、ふ、と肩の力を抜いて、「良かった」と頬を緩めた。
「青衣、ここ最近大変だったろ」
「うん、まァ、そうだねェ」
「青衣が笑ってくれて良かった」
「……そうかい」
雀のことは、隠しているわけではなかった。
ただ、隣の集落に住む少女が勉強を習いに来ていること、その子が野盗に襲われて大怪我をし、それの看病に追われていたと、それだけを伝えていた。嘘ではない。あの女は母などではない。
雀がすっかり元気になって元の生活に戻れるのなら、そのままで良かった。
けれど、そうはならなかった。
だから青衣は、一つ決着をつける気でいたのである。
それ故の、あの問いだった。
わっちは、殺さない。
何度もそう言い聞かせた。
だけれども、もしかしたら加減が出来ぬかもしれない。
そうなったら、もう仲間を名乗ることは出来ないだろう。
なのに、太郎は言ったのだ。
どんな姿でも良いから、俺の仲間でいてほしい、と。
果たしてそれは人殺しでも有効なのだろうかとは思ったが。
だから尚更――、
殺すわけにはいかなくなっちまったねェ、とこれだけは決して声に出すことなく、あくまでも、心の中でそう呟いた。
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