鴨原中の盗人②

「はい、いらっしゃいませ」


 にこにことお幸が出迎えると、ほっそりとした中年女性は、店の中をぐるりと見渡した後で、「すみません、薬が欲しいのですけど」と言った。


「あらまぁ、お薬の方でしたか。困ったわねぇ、ちょっといま出てるんですよ」

「そうなんですか。困ったわ、遠いところからはるばる来たというのに……」


 額に手を当てて眉を寄せると、心なしか顔色も悪いように見える。聞いてもいないのに山を二つも超えて来たなどと言われれば、このまま追い返すのも不憫で、せめて少し休んで行かれてはどうか、とお幸は座敷を勧めた。


「雀ちゃん、申し訳ないけどね、お布団お願い出来るかしら。少しここで休ませてやりたくてねぇ」


 患者用の布団を指差すと、雀はこくりと頷いて、慣れた手つきでてきぱきとそれを敷いた。青衣が不在の時はお幸の代わりに雀が床の準備をするようになっているのである。


「それじゃ、頼んだよ」


 そう言って戸が閉まると、か細い声で「すみません」などとしおらしくしていたその女は、がばりと身を起こして雀を睨みつけた。


「ちょっと今回は時間をかけすぎなんじゃないのかい」


 その声に、雀はぎくりと肩を震わせた。


「誰が飯食わせてやってると思ってるんだ。ええ?」

「そ、それは、その」

「アンタが盗んでこないとウチには金がないんだよ」


 そう言われ、はい、と拳を握りしめる。


「アンタの大好きな父様の稼ぎじゃね、とてもじゃないがやっていけないんだ。わかってんのかい」


 わかってます、と返して、雀は俯いた。


 彼女を拾い、可愛がってくれる養父は東地蔵あずまじぞうの下駄職人のところで働いているが、彼女の言う通り、確かに稼ぎはあまり多くはない。けれども、彼は、「贅沢さえしなければ、そこまで食うに困るほどではないから、雀は何も心配しなくて良いよ」といつも言うのである。飯を見ても、着るものを見ても、贅沢をしているようには見えず、ならば彼の稼いだ金はどこに消えているのだろう、とは思いつつも、それを尋ねることは出来なかった。


 しかし、ある時、雀はその理由を知ることになる。


 集落の大人達の態度の変化から、盗みがバレたことに気付いた雀は、朝になって家を追い出されると、逃げるように集落を出た。確かにバレてはいるのだろうが、誰もそれについて触れてこようともしない。それも不気味で怖かった。いっそ捕まえられて問い詰められたなら、全部話して許しを請うつもりだった。そうやって大ごとにでもなればきっと、もう盗みなんてしなくてもよくなるだろう。


 そう思うのに、自分から打ち明ける勇気はなかった。


 逃げる先は隣の渦香西うずこうざいという、子どもの足で歩いても一刻程度の距離にある集落だった。

 隣ではあるが、大きな川を挟むためか、雀の住む鴨原中かもはらなかとの交流はほとんどない。だからそこはまだ雀を知るものは少なかった。たまたま寺にいた年の近い子どもと数回遊んだ程度である。今日もそこで時間を潰せないだろうかと思ったが、そろそろ何か盗ってこないと養母から叱られてしまう。どこか上がり込める家はないだろうか、と物色していると――、


「ごめんねぇ、今日はこれしかなくて」


 聞き慣れた声だった。


「良いんだよ。いつも済まないな」


 と、こちらは聞いたことのない男の声である。


「早くアンタと一緒になりたい」


 甘えたようなその口調には全く聞き覚えがなかったが、それでもその声の主はわかる。養母である。声は寺の裏にある共同墓地の方から聞こえてきた。こっそりと近付いてみると――、


 養母よりも一回りは下に見える若い男が、彼女と抱き合っていたのである。


「俺もだよ。だけど、まずは借金を返さないことにはどうにも」

「わかってるよ。だからこうしていつも金を渡しているんじゃないか」

「本当に済まない。金を返し終わったら、必ずお前のことを迎えに行くから」


 そんな会話が聞こえ、雀はその場に立ち尽くした。

 金がないのはそういうわけだったのか、と。


 養父に教えた方が良いのだろうか。

 

 真っ先に考えたのはそれだった。

 養母を諫めることなど、頭にはなかった。既に彼女には些細な口答えも出来なくなっていたからである。だけど、養父なら。


 そこまで考えて、雀は首を振った。


 それでもあの二人は好き合って夫婦になったのだ。養母がいまどう思っているのかは知らないが、養父の方はいまでも彼女を愛しているだろう。知らないままの方が良いことだってきっとあるはずだ。自分さえ、何も知らない阿呆の振りをしていれば良いのだ。


 その男がいつか借金を返し終わったら養母を迎えに来てしまうかもしれないが、その時こそ自分が養父を支えてやれば良い。そんなことを考えて。



「わかってるんだったら、さっさとしな。アンタがぐずぐずしてるから手伝いに来てやったんだ。ほら、その辺の薬でも三つ四つ――」


 そう言って伸ばした手をぱちんと払う。ほとんど無意識だった。


「――たっ。何すんだい!」

「だ、駄目です。姉さんがいない時には絶対に薬には触らないって、約束をしたんです」

「ハァ? 姉さん? 姉妹ごっこまでしてんのかい。さすがアンタは役者だねぇ。そうやっていつも取り入ってんだ?」


 厭らしい笑みを浮かべて、叩かれた手を擦る。


「その姉さんとやらも阿呆だねぇ。どこの馬の骨ともわからん娘に留守を任せてさぁ。こいつが盗人だなんて知らないんだから」


 店にいる弥一とお幸を警戒して声はうんと落としていたが、それでも養母は笑いを堪えきれなかったようで、身体をくの字に曲げて「ああおかしい」と目尻の涙を拭った。

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