雀と青衣③

 それから雀は毎日のように扇子屋にやって来た。


 それでも最初は迷惑なのではと遠慮したのだろう、二日ほど日をあけた時もあった。けれども青衣が「助手が無断欠勤たァ良い御身分じゃァないか」とわざと悪い笑みを浮かべると、それからは毎日決まった時間に通うようになったのである。


「違う違う、そっちのじゃァないよゥ」

「え? あ、あぁ、申し訳ございません」


 間違いを指摘する度に、雀は手をついて詫びて来た。床に擦りつけんばかりに低くしたその頭が小さく震えている。


「顔をお上げな。そんなこの世の終わりみたいな面ァするんじゃァないよゥ。何もアンタが間違ったからって、患者が死ぬわけじゃァないんだ。何せ処方するのはわっちなんだからねェ」

「ですが」

「だから、一人前になるまでは、わっちの許可なしに薬に触っちゃァならないよ」


 良いね、と念を押すと、雀は、口をぎゅっと引き結んで強く頷いた。


 正直なところ、雀の物覚えは悪かった。

 覚えられないのなら、書き留めておけばどうか、と提案すると、字が書けないのだという。読む方も、簡単な字なら何とか、という程度である。


 これは薬の知識よりもまずは読み書きから教えた方が良さそうだ、と青衣は密かに頭を抱えた。


 どうせその養父母はこの子を寺子屋に通わせる気などないのだろう。集落内で嫁に出すとなれば、特に読み書きなど必要ないのだろうし、下手にさかしい女は敬遠されるものだ。けれど、ならば尚更家事の一つでも教えてやるべきではないのか、とも思う。


 厄介者だと家から遠ざける割には、早く嫁の貰い手がつくようにと家事を覚えさせるつもりはなく。

 かといって寺子屋にでも通わせて読み書き算盤を身に着けさせ、商売人に弟子入りさせるでもない。


 ただただ、寝床と飯だけを与えるなど、まるで家畜ではないか。

 いや、まだ家畜の方が目的が明確だ。

 働かせるなり、太らせてから食うなり――。


 食う、という言葉で、青衣はひやりと汗をかく。


 もしや、その目的ではあるまいか、と。


 いや、それだとしても。

 だったらもう少し食わせるはずだ。こんな言い方も何だが、こんな貧相な身体では買い手もつかないだろう。


 腹いっぱい食って女らしい丸い身体になってほしいと思う反面、そうなってしまったらしまったでいよいよ売り飛ばされてしまうのではと案じる気持ちも湧いてくる。

 

 我が子でもないのに、雀の行く末が心配で堪らない。

 自分が面倒を見られる間はせめて、とも思うが、それでも雀の帰るところはここではない。引き取るなんて無責任なことを軽はずみに言えるわけもなく。


 一刻も早く薬師として一人前にさせてやりたくとも、その前に読み書き算盤である。もどかしいことこの上ない。


 いずれにしても。


 その養父母のことは少し調べてみようか。


 青衣はそう考えた。



「なぁ雀」


 懸命に手本をなぞりながら文字の勉強をしている雀に声をかけると、彼女は筆をおいて、膝の上できちんと手を合わせ、青衣を見上げた。


「明日から二日ほど用があってここをあけることになった。何も用がないなら、わっちがいなくてもここに来れば良い。お幸さんに飯のことは言っておくから。何なら泊まっていったって良いんだよゥ。そっちの方があの二人も喜ぶかもしれないしねェ」


 これまでも、石蕗屋への薬の配達などで半日ほど店を離れることはあった。その時も雀はここにいて、必死に字の勉強をしていた。そして、休憩時間には弥一とお幸と共に菓子をつまんだりしていたのだという。


 だから今回も、「わかりました」と返ってくると思っていた。


 いや、その返答は確かにあったのだ。

 ただ。


 雀は、一瞬表情を曇らせた。

 けれど、すぐに笑顔を作り、その上で「わかりました」と返したのである。


 確かにそれは本当に一瞬だったし、気付いたとしてもほんの少しの違和感程度で終わるはずのものだった。けれど、青衣にバレぬはずがない。


 何か隠している。


 青衣がよく口にする『女の勘』というやつか、はたまた元忍びであるが故か。青衣はそう判断した。


 そういうことなら、と、普段通りの笑みを貼り付けながら、頭の中では、さぁどこから手を付けたものかと思案を巡らせた。



 養父母については、案外あっさりと調べはついた。

 共に四十三で、子は無し。雀が言っていたことは、とりあえず嘘ではない。鴨原中かもはらなかの集落の人間から聞き出した情報によれば、雪の日にかごに入った赤子を保護したことも、その子を『雀』と呼んで、育てていることもまた事実であった。


 けれど、やはり、というのか。


 傍から見れば、夫妻は決して雀を可愛がっているようには思えないのだという。

 とはいえ、養父の方は東地蔵で働いているらしく、朝日が上る頃に家を出て、帰宅するのは夜もどっぷりと更けてからなのだそうだ。いつだったか、父様と東地蔵の祭に行ってきたと、雀が嬉しそうに話していたから、なかなか顔を合わせられないだけで、彼の方には少なくとも何がしかの情はありそうだ、とのことである。


 だけどね、とその話好きの女は言うのだ。


「奥さんの方、ありゃあ駄目だね。旦那を送ると、しばらくしてあの子を蹴り飛ばして家から追い出すんだ。あたしが大袈裟に言ってるんじゃないよ、本当に、本ッ当に蹴り飛ばすんだ。背中をね。それで、夕飯時まであの子は家に帰れないんだよ」


 いつも、どこで何をしてるやらねぇ、と眉を下げるその女に、「友人のところにでもいるのではないか」と言うと、彼女は「まっさかぁ!」と勢いよく首を振った。


「この辺にゃ、あの子が友達なんて呼べるような子どもはいないよ。それに――」


 と、辺りを伺うように左右をちらと確認してから、彼女は声を落とした。


なんて阿呆、ここにゃいないって」


 

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