雀と青衣②

 雀はそれから、ちょくちょく顔を出すようになった。


 彼女の話では、家は東地蔵あずまじぞうの隣にある鴨原中かもはらなかという集落にあるらしい。養父母に育てられているという話から、てっきり家の仕事を山ほど言いつけられているのかと思っていたのだが、どうやらその逆らしく、彼女は何もさせてもらえないのだという。


 と、そう聞けば、随分大切に育てられているものだ、と思いたくもなるのだが。

 

 だから恐らくは、本当の娘ではない雀には、家のものを何一つ触らせたくないのではないか、と思われた。とはいえ、飯はちゃんと用意してもらえるし、布団も着替えもある。つまり、食う時と寝る時以外は、この家から出ていろ、という意味である。


 友人と呼べるような相手がいないわけではない。

 けれどその子だって毎日雀に付き合えるわけではないし、あまりしつこく家に行けば、煙たがられるかもしれない。

 だから、友人のところへは、日をあけて行くようにし、それ以外の日は「私もちょっと用があって」などと見栄を張った。それでも集落内をうろつけば、偶然見つかった時に気まずい。

 

 だから、なるべく集落の人間が行かなそうなところに行こう。


 あの時あんなところで倒れていたのも、そんな経緯で彷徨った結果だった、ということであった。


 

「薬師になったら、女一人でも食べていけますか」


 ある日、雀はそんなことを聞いてきた。

 行くところがないのならいっそ毎日来れば良いのに、遠慮しているのだろうか、入り浸ることはなかった。前回ここに来たのだって十日も前である。

 

 わっちは女じゃァないんだけどねェ。


 心の中でそんなことを思いつつ。


「食えるさ、もちろん。女一人どころか、わっちはここの扇子屋ごと養ってると思ってるよゥ」


 そう言いつつ、ごりごりと薬草を磨り潰す。

 

「青衣様は」

「その『様』ってェの、やめてくれるかい。擽ったくって敵わないよゥ」

「ええと、それでは何とお呼びすれば」

「そうさねェ。姉さん、とでも呼んでくれりゃァ良い」

「わかりました姉さん。それで、その、姉さんは薬師になるためにどれくらい勉強なさったのでしょうか」

「何だい雀、薬師になりたいのかえ?」

「もし、なれるのなら、と」


 それが命を救った――は大袈裟かもしれないが――自分への憧れなら嬉しいところであるが、『女一人でも食べていけるか』という問いが気になる。よもやこの年で、既に一人で生きる覚悟を決めたとでもいうのだろうか。


「わっちはねェ、そりゃァもう朝から晩まで机に齧りついたさ」

「そう……なんですか」

「そうとも。高価な薬学の本を片っ端から買い漁ってねェ」

「片っ端から……。やはり姉さんはお金持ちなのですね」


 着物もいつもきれいなものをお召しになってますし、と言って、しょぼん、と肩を落とす。長さの揃わない傷んだ髪が、さら、と肩を滑って顔にかかった。それを暖簾のようにかき上げて、ひょい、と顔を覗き込む。


「嘘だよゥ。本なんか全部借り物だ」

「そうなのですか?」

「そうさ。それにわっちだって家は貧しかったからねェ、着物なんて継ぎだらけのお下がりが当たり前だったさ。いまはその反動が出たってェところだろ」


 ま、これだって安物だしねェ、と言って笑う。


「手入れをきちんとして、あとは、着てる人間が一級品なら、安物だって――ほォら」


 舞うかのように袖をひらひらと振って見せ、しな、と身をくねらせる。


「一級品だろ」


 着てる人間が一級品だなんてどの口が言うのか、と思う。


 自分がここまで来るのにどれだけ汚いことをしてきたか。殺しはしていない。それだけはしていないけれども。


 それだけは、していない、というだけだ。


 だけれども、それ以外のありとあらゆることはしてきたと思う。騙す盗む唆すなど忍びにとっては特別なことでもない。


 こんな自分が一級品であるわけがないのだ。


 けれども、雀は、ほわぁ、と呆けたような顔をして、うっとりと青衣を見つめているのである。もしかしたら自分もこうなれるのではないか、と夢想しているかもしれない。


 いまはみすぼらしくても、この人のようになれるなら、と。


「それとね、薬の知識は机に齧りつくばかりじゃァ駄目さ。実際に見て、触って――」


 味わって、と言いそうになり、そこはつぐんだ。自分とこの娘は違うのだから。安易に試してそれが毒だったらどうするのだ。加減を知らないうちは危険すぎる。


「まァ、とにかく経験さね。雀が本気なんだったら、ここに通えば良い。わっちが教えてやるよゥ」

「よろしいんですか?」

「わっちもちょうど助手が欲しかったところさ。何せお幸さんではちょいと心許なくてねェ」


 お幸自身はやる気に満ちているものの、薬を磨り潰す力もなければ、出来上がった薬の名前も覚えられない。だから雀の時のように粥を準備するとか、湯を沸かすといったような手伝いがせいぜいである。


「毎日ここにいるわけじゃァないけどね。もしいなかったら店の方の手伝いでもしてやると良い。饅頭くらいは出してくれるだろ」


 そう言って笑いかけると、雀は丸い瞳を潤ませてふるふると身を震わせながら床に手をついた。


 そうして、何度も何度もありがとうございますと繰り返されれば、青衣は何とも擽ったい。


「頼むから顔を上げとくれよゥ。困った娘だねェ」


 と眉を下げた。

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