雀と青衣①
いずれにしても、深く首を突っ込むこともないだろう。
自分はあくまでもただの薬師であり、雀は患者に過ぎないのである。
本来なら金をとるところを無料にしてやるのだ。それだけでも十分すぎるはずである。
だから、もう少し休ませたら、家にお帰り、と言うつもりだった。
これ以上情なんか湧かないように、と。
だったのだが――、
「あら、お嬢ちゃん目が覚めたのね! ちょっとアンタ、お嬢ちゃん気が付いたよぉ! ちょっとちょっと」
やはり気になっていたらしく様子を見に来たお幸が、大声で弥一を呼ぶ。そして、呼ばれた弥一も「おお、そうかそうか」などと言って何やらばたばたと物音を立てつつやって来て、どっかりと腰を下ろした。正直な話、大して儲かっている店ではなく、青衣が毎月渡している賃料で賄っている状態であるため、割と暇なのである。
「ああもうすっかり顔色も良くなって。これなら安心だ」
「いやぁ良かった良かった。食欲もあるみたいだし、そうだ、確か戸棚に饅頭があったはずだわ。ねぇ、青衣ちゃん、食べさせても良いかねぇ」
わぁわぁと急に賑やかになり、雀は、身の置き所がないのか、助けを求めるように青衣の方を見た。
「饅頭、食えそうかい?」
苦笑混じりにそう問い掛けると、雀は掛け布団を、ぎゅう、と握りしめて、こく、と頷いた。
「お幸さん、食わしておやり。食欲があるんなら、何だって食った方が良いんだ。人間、食えなくなったら終いだからねェ」
そう言って、ほっほ、と高らかに笑ってみせる。すると、腰など曲がり切っていても
「ばあさん、ワシの分は?」
「あるよ。青衣ちゃん、茶を淹れてくれないかい。せっかくだから皆で食べましょ」
「ああ、良いなぁ。青衣ちゃんの淹れる茶は美味いからなぁ」
「それは良いけど……店は良いのかえ?」
茶の準備をしながら、ちら、と店の方へ目をやる。
何なら番を代わろうか、と言いかけたところで――、
「……弥一さん、あれじゃァお客が来ないじゃないか」
いつの間に外したのか、壁に立てかけられた暖簾を顎でしゃくり、半眼で片頬を緩めると、弥一は「バレたか」と肩を竦めて笑った。
「何、今日はもう誰も来んって。店じまい、店じまい」
などという台詞を吐いて、お幸が出した饅頭にかぶりつく。
そんな経営をしているから、腕は良いのにここの売り上げは芳しくないのだ、と呆れる青衣である。
久しぶりに太郎達が店を訪ねて来たのは、雀と出会ったその二日後のことだった。
その日もひたすら薬草を磨り潰していた青衣は、「青衣ちゃん、石蕗屋のすごい色男がアンタを訪ねて来たよ」と興奮気味のお幸の声で、うきうきと店の方に顔を出してみると、そこにいたのは残念なことに太郎一人ではなかった。
なぁんだ犬っころとお猿もいたのかい、と露骨にがっかりしてみせたが、「何だとぉっ?!」とそれに乗っかったのは短気な白狼丸のみで、飛助は「またまたぁ~、おいらに会えて嬉しいくせに~」と糠に釘である。
「……まァ、立ち話ってェのも何だ。上がりな、茶ァくらいは出してやるよゥ」
そう言って、いつものように座敷に通す。
「今日はちょっと散らかってて済まないねェ」
扇子屋と繋がっている老夫婦の家はそう大して大きいわけでもない。この座敷は青衣がすっかり我が物顔で使っているが、元々は弥一の作業用の部屋だった。とはいえ、そこまで大口の注文が入るわけでもないため、彼の仕事道具は端に追いやられているし、修理なんかも何なら店の中でした方が接客も出来て都合が良い――それにそんなに客も来ないし――ということに気付いたらしく、いまでは店の隅で細々と絵付けやら加工をしている。
そういうわけで。
そこはすっかり青衣の仕事部屋となっている。
何せ、どちらかといえば扇子屋の客よりも、青衣の薬を求めてやって来る患者の方が多いのである。その稼ぎを考えれば店ごと開け渡した方が良いのではないか、などと弥一がまんざら冗談でもないように言って笑うものだから、もっと真面目に働きな、と妻のお幸から定期的に渇を入れられているところだ。
けれどそんなお幸の方でも、最近ではさらに青衣に相を見てもらいたいと若い女子も来るものだから、果たしてここは何屋だったかしらと忘れそうになっていたりするのだが。
それでも何にせよ、こんな寂れた扇子屋が賑やかなのは、青衣がいてくれるお陰だと、老夫婦は感謝しているのだ。だから、部屋も快く貸してくれるというわけである。
ござの上に広げられた薬草に、小皿に分けられた粉末。天秤や、
やっぱり姐御って薬師だったんだなぁ、などと思ったのか、白狼丸と飛助は揃って「ほぅ」と感心したように息を吐いた。
「人の商売道具、あんまりじろじろ見るんじゃァないよゥ、この助平が」
これだから無粋な男共は、と自身もその『男』であることを棚に上げて困ったように眉を下げる。すると、すまん、と言ったのはそこまでじろじろ見ていなかった太郎である。
「おや、坊も興味があったのかえ? わっちはそこの仲良し二人に言ったつもりだったけど」
ふふん、と流し目をやって嫌味たらしく挑発してやると、その仲良し二人は仲良く同時に互いを指差して声を上げた。
「誰がこんなやつとっ!」
「全然仲良しじゃないっ!」
息を合わせてそんなことを言えば、青衣はくつくつと喉を鳴らして「ほォら、仲良しじゃァないか」と愉快そうに笑う。それを見て、良いなぁ、と指でも咥えんばかりに寂しそうな顔をする太郎に湯呑を握らせ、「坊にはわっちがいるだろゥ?」と優しい言葉をかけてやると、ありがとうと言ってふにゃりと笑う。
随分表情豊かになって来たものだ、と青衣は思う。
初めて町で見かけた時もそうだが、ここに来た時だって、彼はどこか固い顔をしていた。付き合いを深める中で、彼が笑う顔も何度も見て来たけれど、それでも何かに遠慮しているかのような印象を受けたものである。
同じ店で働いて、一つ屋根の下で暮らしているこの三人を羨ましく思うことはある。ほんの数日前までちょいちょいと天井裏に潜んで様子を見ていたが、この度の二つの事件――青衣はそれを『鶴女房事件』と『笠地蔵事件』と呼んでいるが――が良い刺激となったのだろうと思う。さすがに茜と白狼丸の閨を覗き見ることはしなかったが、飛助の話では、
「まぁ多くは語れないけど、前途多難とだけ」
とのことだったので、まだあの二人は清い交際なのだろう。最も、真夜中に二人きりで会うことのどこが清いのかはわからないが。
「それで、今日は何の用で来たんだい?」
そう切り出すと、ぎゃあぎゃあと喚いていた犬猿がぴたりと止まった。
「いや、まぁ別にこれといって用なんかねぇんだけどな」
「うん、ちょっと近くまで寄ったから、お菓子でも買って顔出そうか、って。ねぇ?」
そう言って、手に持っていた風呂敷を開く。中にあったのはこの近くの菓子屋で買える饅頭の詰め合わせである。
ふゥん、と鼻を鳴らして二人を見る。青衣と目が合うと、どちらも、びく、と肩を震わせて視線を逸らすのが怪しい。さて、どこから突っ込んでやろうかと口を開きかけた時、「えっ?」と割り込んできたのは太郎だった。
「いつも青衣が一人で寂しそうだから、たまには皆で休みを合わせて遊びに行こうって話じゃなかったか?」
「――うっ」
「い、いやタロちゃん」
「白狼丸がそう言ったんだろ」
「お、おいっ」
「青衣の好きな菓子を買っていこう、って言ったのは飛助だし」
「うっ、うん、えっと……」
大真面目な顔をして、違うのか? などとおろおろ二人を交互に見やるのがおかしく、思わず、ぷ、と吹き出す。
「違うとかじゃなくてだな」
「タロちゃん、あのね、間違ってはいないんだけどね。何て言うんだろう、その、おいら達もさぁ……」
ねぇ、白ちゃん、などと言って弱り眉で同意を求めると、白狼丸の方でも、だよなぁ、などと頷くものだから、ついさっきまで胸倉を掴んで喚いていた人間と同一人物とは到底思えない。
「飯が被る時とか、二人共いつも言うじゃないか、姐御もこの場にいたらなぁって」
「い、いや、それもな?」
「そうなんだけどさ」
「もしかしてその『姐御』というのは、青衣のことじゃなかったのか? 俺はてっきり青衣のことだとばかり」
「うん、それも、合ってるんだけどな?」
「タロちゃん、もういい加減おいら達も恥ずかしいからね?」
もう勘弁してぇ、とどさくさに紛れて太郎に抱き着く飛助の襟を「油断も隙もねぇな」と引っ張る白狼丸も、耳まで真っ赤になっている。
そんな三人を微笑ましく見つめながら、青衣は――、
自分にもこんな幸せが来るんだから、あの子だって、と雀のことを思い出していた。
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