「好きな方を、選びなァ?」
雪原の上の血だまり
青衣の過去①
「あいつは本当に男なのか?」
兄姉達が寝静まった夜半のこと、なかなか寝付けないでいる自分の耳に、酒に酔った父のそんな声が聞こえてきた。
「男ですよ。ちゃあんとあれがついているじゃありませんか」
「それはそうなんだが」
からからと笑いながらの母の返しに、父は口ごもった。
母のその言葉に思わず自分のそれに触れてみる。自分が男であると証明する唯一のものである。
父が言いたいのは、例えばそれが年の割に小さすぎるとか、そういうことではない。兄や姉達と比べて、身体そのものが小さすぎるのである。もちろん、成長など個人差があるものだし、自分もこれからぐんぐんと大きくなる可能性はある。
そう思っていたのだが。
数えで八つになる年、村は酷い凶作に見舞われた。元々貧しい家である。なのに我が家は近所でも評判の子沢山で、それでも食えるうちはそれが夫婦円満の象徴でもあるように羨ましがられたものだが、こうなるとろくに働けぬものはただのお荷物だ。ましてや年相応に働けぬ自分のような
それで。
末っ子の自分と、年の離れた姉が城へ奉公に出されることとなった。
器量良しの姉はそこでとあるお武家様の目にとまったらしい。本妻ではなく愛妾というやつである。朗らかだった姉の顔つきは、日に日に険しくなってどんどん
本妻から酷い嫌がらせを受けていたと知ったのはその後だった。
けれどそれを知ったとて、幼い自分には何も出来なかった。
自分はまだまだ童で、しかも、年齢にも性別にもそぐわぬほど小さかった。栄養が足りていないのではと哀れんだ食堂係がこっそりと握り飯を作ってくれたりもしたが、どんなに食べても年相応の男子の身体にはならなかった。
「後で迎えのものをやるから部屋で待て」
そんな声がかかるようになったのは、姉の訃報を聞いてすぐのことだった。
「ちゃんと準備をしておくように」
付け加えられたその言葉にこくりと頷く。
準備、というのは『女装』である。
初めて声をかけられた時、こんな下働きの童に一体何の用があるものかと、大部屋の隅に座って、その『迎え』が来るのを待っていると、きらびやかな着物やら髪飾りやらを持った女中頭が訪ねてきて驚いたものである。
更に驚いたのは、その着物と髪飾りは自分のために用意されたものであるということと、それらをすべて身につけてから殿様の部屋に行かねばならない、ということだった。
女物の着物に袖を通し、髪を結い上げられ、豪奢な髪飾りをつけると、どこからどう見ても女にしか見えなかった。もっと言うと、自分の境遇を儚んで自死を選んだ姉によく似ていた。
そこの殿様は、自分のような童を愛でるのが趣味だった。かといって、少女が好きなわけではなく、あくまでも、女の恰好をした
幸いだったのは、文字通りに愛でるのが趣味であり、その先のことについては――年齢も年齢だったからなのか――なかったことである。
定期的に女の恰好をして殿様の元へ通い、酒を注ぎ、慣れない舞を踊る。完璧な舞ではなく、たどたどしいのがまた良いのだという。
そんな日々が続いたが、身体は一向に男らしくならず、声も半端に低くなるのみで脛毛すら生えない。
殿様は自分を隣に座らせ、せいぜい腿を撫でるだけで満足していたようだが、その側近共はそうではなかったらしい。
ある夜のこと、殿様の部屋を出た後で数人に羽交い締めにされ、彼らの部屋へと連れ込まれた。
ろくな抵抗も出来ぬまま、気付けば昼だった。痛みに軋む身体で這うように廊下に出たところで女中頭に見つかり、丁寧に洗われて、彼女の部屋で寝かせてもらうことになった。
その夜、高熱を出したために医師が呼ばれ、身体中の痣やら噛み跡などについて詰問されることとなり、自分に無体を働いた者達は全員、文字通り吊るし上げられた。
自分のような童ではなく、長年仕えた側近達の方を切り捨てるのかという声もあったようだが、聞く耳も持たなかったという。自分はそれほどまでに殿様の贔屓だったのだ。
けれど、殿様も良い年である。誰が後を継ぐか、などという話は自分の耳にも届いていた。隠居したとしても、彼が生きているうちは良いかもしれないが、どう考えたって残るのは自分だ。そうなった時、ああやって吊るされるのは、自分なのだ。
何も持っていない自分が、ただ一つ持っているのはこの命くらいのものだというのに、そのたった一つすら、最後は他者に奪われてしまうのか。
いや、姉は、自ら奪ったのだ。奪えるのだ、自らでも。それを選べば。自分で選べば。
村で家族と暮らしていた頃、母親はよく自分に野草のことを教えてくれたものである。畑仕事は手伝えなくとも、野草摘みくらいなら出来るだろう、と。
しかし彼女の教え方は、単純に、食える、食えない、だけものではなかった。特に『食えない』ものについては、やけに詳しかったものである。これは手足に痺れが出るだの、これは腹を下すだけで済むだの、と。
それを思い出し、「これは『子が死ぬ草』だ」と言っていた野草を探して食った。
ごくりと飲み込むと、喉がかぁっと熱くなったものの、不思議と苦しくはなく、むしろ舌に広がる痺れを心地よく思うほどである。目を閉じ、その時をひたすらに待って――……、
そこで青衣は目を覚ました。
布団も寝間着も汗でじっとりと濡れている。
昔の夢を見たのなんて久しぶりだ、と額の汗を拭って身体を起こす。
あの時。
毒草を食ったあの時も、こうして目を覚ましたのだ。
ただ、あの時はこんなに汗をかいたりなどせず、何ならしゃっきりと爽やかに目を覚ました記憶がある。
その時に知ったのだ。
毒の一切効かぬ、この
引っ掛かるのは、自分は出来の悪い娘で、全くの無学だと笑っていた母親が、やけに毒についてだけは詳しかったことである。
それがどうしても気になって、こっそりと母親の実家を調べたのは数年前のことだ。
父と駆け落ちして家を出た彼女の一族は、薬師の家系であった。
けれど、薬師や医者の類は大抵の場合、神か仏かと崇められるはずのなのに、どうやらそうでもないらしい。むしろ忌み嫌われているようで、屋敷も村のうんと外れの方に追いやられている。
「あの家は、毒にとり憑かれている」
旅行者を装って村の人間に尋ねてみると、そんな答えが返ってきた。
病や怪我の薬ももちろん調合するのだが、専門は毒なのだという。例えば望まぬ子を孕んでしまった女、あるいはその親といった者があの家の門をくぐるのだと。
確かに
「アンタ、あの家がどんな方法で解毒薬を作っているか知らねぇからそんなことが言えるんだ」
あの家はな、と震える声で彼は言った。
「幼い我が子に毎日少しずつ毒を飲ませて、それに慣らしてから、その血で薬を作るんだぞ。そのためだけに、何人もの子を産ませるのだ」と。
その時はもちろん驚いた振りをした。
まぁなんて恐ろしい、などと言って口を押さえて。
けれど、頭の中はすっきりと冷えていた。
成る程、そういうわけだったか、と。
きっと母親はそれに嫌気が差して家を飛び出したのだ。どんなに忌み嫌わて村八分の状態だったとしても、あの屋敷の大きさからしてかなり裕福な暮らしをしていたはずである。だけど、貧しさと天秤にかけても、そちらに傾くほどに嫌だったのだ。子の自分から見ても仲睦まじい夫婦だったから、家を飛び出す口実などではなく、父のことは本当に愛していたのだろうが。
そうして、堕胎薬などを使うこともなく、たくさんの子を産んで――、
その結果が
どうやら自分はその母親の家系の血が濃かったのだろう。代々少量の毒を摂取し続けた結果、それに耐性のある子が生まれてきた、というわけである。もしかしたら姉もそれで喉をついたのかもしれないが、あくまでも憶測だ。
もしや身体が大きくならないのもその副作用か何かだろうか、とも思ったが、もうここまで来ると、これはこれで自分の武器だ。なぜなら既に青衣は、忍びの道に入っていたからである。
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