千鶴の布②
そんな覚悟を示されて、千鶴は言葉に詰まった。
が。
「角……ということは、鬼なのですね」
そう言って、ぐぅ、と喉を鳴らし、俯く。
半鬼である茜の角は、前髪を上げなければそう目立つものでもない。そこで、言わなくても良かったことをバラしてしまったことに気付いた茜が、しまった、という顔をして白狼丸を見上げた。そんな粗忽なところも可愛いとつい頬が緩んでしまいそうになるが、いまはもちろんそんな場合ではない。何せ本妻と押しかけ女房の一騎打ちである。
「地蔵様の嘘つき。人は人と番うものだなんて」
ふるふると身を震わせて何やらぶつぶつと呟いている千鶴の肩に手を乗せる。さっき払われたばかりだろうに、とその手を除けるよう促そうと白狼丸も腰を落としたところで、千鶴はがばりと顔を上げた。
「白狼丸様は人ではありませんか! 人は人と添い遂げてこそ幸せなのではないのですか!」
その叫びが、しんと静まり返っている廊下に響く。従業員達の大部屋と離れているとはいえ、ここで騒がれるのはまずい。おい、ちょっと声を落とせ、と言うと、さすがに白狼丸の言うことは聞くらしく、大人しく「すみません」と肩を竦めた。けれども。
「いくら人と姿かたちが似てようとも鬼は鬼です。白狼丸様が幸せになれるはずがありません。鶴の私が涙を呑んで身を引くというのに、なぜそこの女鬼は良いのですか」
鬼でも良いのなら、私でも良いではありませんか。
そう言って、ずっと抱いていた布を白狼丸に押し付ける。
「けれど、地蔵様と約束してしまいました。私は潔く身を引きます。だから、だから、あなたも――」
ぐいぐいと押し付けられる布を受け取ると、千鶴は床に突っ伏してさめざめと泣いた。あなたも諦めなさいよ、人は人と番うものでしょう、と何度も繰り返しながら。
人は人と番うもの。
その言葉が茜に突き刺さっているのだろう。
ぷくりとした唇を呆けたように半開きにして、長いまつ毛を震わせている。
その口が、「確かに」という言葉を吐き出すのを遮るように、白狼丸が茜の肩を抱く。
「違うな」
一体何が違うのかと、千鶴は涙と鼻水まみれの顔を上げた。茜もまた、いまにも泣き出しそうな顔のまま彼を見る。
「おれは人じゃねぇんだ」
「……は」
突然何を言い出すのかと、千鶴も茜も目を剥いた。
「おれはな、由緒正しき山犬の子なんだ。わかるか、山犬ったらあれよ。山の神様の遣いってやつだ。だから、鬼とだって番になれるってなもんよ」
山犬に由緒も何もないような気がするが、いまは知ったことではない。
人は人としか添い遂げられないというのなら、山犬にでも何でもなってやらぁ。
かなり無理のある話だと白狼丸自身もわかってはいる。
これで千鶴が納得するとは正直思えなかったが、口をついて出てしまったものは仕方がない。
「そんなわけ……」
やはり千鶴は信じられないようで、疑いの目を向けている。それに、だとしたら、鬼とではなく鶴の自分とでも良いではないか、という思考になってもおかしくはない。
「は、白狼丸。それは本当か?」
が、茜の方はしっかりと信じたらしい。さすがは太郎が主人格なだけはある。基本的に疑うことを知らないのである。
「お、おう、そうだ」
「兄上が白狼と聞いていたから、てっきりその血が流れているとばかり思っていたが、そうか、白狼丸は山犬様の子であったか」
「おっ、おう」
お前まだ兄貴のこと信じてたのかよ!
違うって何度も説明したじゃねぇか!
そう叫びたいのをぐっと堪える。
茜がここで信じてくれれば、この与太話にも少しは信憑性が出て来るというものだ。
「えっ、え、えぇ……?」
案の定、茜のその反応に、千鶴の方でももしかしたら真なのではないかと思い始めたようである。
「正直なところ、やはり人である白狼丸とは不釣り合いなのではないかと、それだけがずっと心配だったんだ。だけど、これで安心だ。そうか、そうだったのか」
良かった、と胸の前で手を合わせて、嬉しさに涙を滲ませながら笑みを浮かべる愛しい女の姿を見れば、もう自分は一生山犬のままで良いと思う白狼丸であった。
そして、依然おろおろと迷っている千鶴の肩を優しく叩き――、
「そういうわけだから、お前とは添い遂げられない。わかってくれたか」
そうとどめのように言うと、千鶴はがくりと項垂れて、「はい」と言った。
さて、そういうわけで『鶴女房事件』も落着と相成ったわけだが、かといってこの後白狼丸と茜が心身共に夫婦となれたかについては、また別の話である。
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