小萩の甘味②

「とりあえず、小萩はその寺で預かってもらうことになったんだ」


 たまたま腕に怪我をして舞台に立てない姉さんも荷物持ちとしてついて来ていたから、彼女に看病を任せて飛助達はそこからさらに離れた町へと急いだ。住職から、疲れが出たんでしょう、ただの風病ですよ、という言葉ももらっていたし、近くに住む医者も呼んでくれるという話だったから、安心していた。


 土産は何が良い?


 布団に横たわっている小萩にそう尋ねると、「甘いのが食べたい」という返事があった。真っ赤な顔で、にこりと笑って。


 町へ行くと、小萩は必ず甘味を欲しがった。体重が増えれば身体を使った芸に障りがあるからと、団では普段あまり甘味の類を口に出来ない。皆が我慢しているからと、小萩も強請ったりはしなかった。だけど、興行で町に行く時だけは別だ。飛助は自分の小遣いからいつも美味そうな甘味をいくつか買っては小萩に与えていたものである。それに付き合ううちに彼もすっかり甘党になったため、食った分はしっかり身体を動かさなければならなかったが。


「たくさん買ってきたんだ。食いきれないくらい。小萩は痩せっぽちだからさ。たくさん食べて大きくなれよ、って。お前は身体を張る芸をしないんだし、もっとふくふくになって、可愛くなって、きれいな嫁さんになるんだよ、っていつもそんなこと話しててさ」


 寺に戻ったのは、三日後のことだった。

 両手いっぱいの甘味を持って門の前に立つと、出迎えてくれたのは、瞼を腫らした姉さんだった。小萩が……と震えた声で告げられた言葉の意味を理解することが出来ず、荷物を放り出して彼女の元へ走った。


「亡くなったのは、おいら達が到着するほんの数刻前だった。もっと早く行ってやりゃあ良かった。そうしたら、最期に会えたのにさ」


 ずっとおいらの名前を呼んでたんだって。

 ずっと。

 ずっと。


 確かになんてことない風病だったんだ。お医者さんも、太鼓判押してたし、薬もあった。だけどさ、絶対なんてこと、ないから。


「そこで弔ってもらったよ。その寺、戦災孤児の墓がたくさんあってさ。連れて帰っても良かったんだけど、おいら達、興行でちょいちょい移動するだろ。それよりは友達がたくさんいた方が寂しくないと思って」


 落ち着いたら顔出すからな。小萩の好きな甘味、いっぱい持って会いに行くからな。


「約束したんだけどさ。忘れてたわけじゃないんだけどさ。いや、それでも忘れてたんだろうな。日々の忙しさにかまけて。駄目な兄ちゃんなんだ、おいら」


 ぐす、と鼻を啜って、込み上げてくる涙を拭う。

 少し離れたところに座っている白狼丸は、彼よりも盛大に袖を濡らしている。


「だから、おいら、偽物だってわかってはいたんだけど、どうしても小萩にたくさん食わしてやりたくてさ。甘いもの、好きだったから。ただの自己満足なんだけどな」


 話し終え、取り繕うように笑顔を作って「な? 全然愉快な話じゃなかっただろ?」と言うと、その身体を前後からふわりと包まれた。


 前からは太郎、後ろからは白狼丸である。


「無理に笑わなくて良いんだ、飛助」

「泣きたきゃあもっとがつんと泣けよな、馬鹿野郎」

「んな、何だよぅ。タロちゃんは良いけど、何で白ちゃんまで?!」

「仲間だからに決まってんだろ。――おおい、姐御。見てねぇで加われや」


 天井に向かってそう声をかけると――、


「しっかたないねェ」


 そんな声と共に、やはりそこにいたらしい青衣が、すた、と降りてくる。


「わわ、本当に出て来た! ずっといたの?! こっわ! 忍びの恰好までして!」

「ちょいと黙りな。口を縫い付けられたいのかえ?」

「だ、黙ります!」


 よろしい、と言って、前後を固められている飛助の右側から、覆い被さるような姿勢になる。


 と。


「……やっぱり男だってのは本当なんだな」


 ちょうど自身の腕に青衣の胸が接する形となった白狼丸が、ぽつりと言う。


「……ってぇ」

「姐御、普段はちゃんと詰め物してるのにね」

「うるっさいねェ。忍び装束この恰好に胸は不要なんだよゥ」

「いつもの派手な着物じゃないからかさ、何か一段と小柄に見えるよねぇ」

「だな。目元しか出てねぇからか、いつもより若く見えるしな」

「……そのおしゃべりな舌を切り落としてやろうかい?」


 この苦無、まだ誰の血も吸っていないからさァ、と言って睨みつけると、白狼丸と飛助は揃ってぶるりと震えた。


「二人共、青衣だって立派な男なんだ。良い年した男が小柄だの若いだのと言われれば、そりゃあ気分も悪いだろうよ」


 そこに太郎の冷静な突っ込みが入る。確かにそれはそうなのだが、普段『女』で通している青衣としては、そんなに男男と連呼されることこそあまり有難いことでもない。


「まァとりあえず」


 仕切り直しとでも言わんばかりに青衣がこほんと咳払いをする。


「各々、落着で良いのかえ?」


 各々――つまり、鶴の化身の千鶴の件と、狐の化身の小萩の件である。


「おいらの方はこれでおしまいだよ。地蔵様がちゃんと連れ帰ってくれてるはず」

「ま、地蔵様がついてるんなら安心だ。それで、犬っころ。アンタの方は?」


 いつまでも野郎に抱き着いているのも、と気付いた白狼丸が、飛助の身体から離れ、座り直す。さり、と顎を撫でて「そういや」と視線を泳がせる。


「まだ、だな」

「まだ布を織れてないってこと?」

「そういうことなんじゃねぇのかな」


 知らねぇけどさ、と言って、酒を注ぎ、くい、と飲む。おいおい白ちゃん手酌かよ、と言いながら飛助が銚子を持つと、おうすまねぇな、とそれを受ける。朝もさっきも、顔を合わせればすぐに喧嘩になる癖に、この二人は案外仲が良い。

 

 酒を注ぎ合って笑い合う犬と猿を見て、青衣は呆れたような顔をしつつも、口の端をほんの少し緩ませた。それを見て、太郎も安堵する。


「青衣もたまにはこうして会いに来てくれ」

「店の方にはちょいちょい顔を出してるじゃァないか」

「そうだけど」

「坊は、きれいに着飾ったわっちよりも、こんな地味な忍びのわっちの方が良いのかえ?」

「そういうんじゃなくて。俺は青衣ともゆっくり話したいんだよ。どっちかの方が、とかじゃなくて、どっちの青衣も好きだ」


 その『好き』に仲間以上の意味はないとわかっていても、頬が熱くなる。それが悔しくて、少しでも茶化して誤魔化してやろうと、太郎に得意の流し目を送る。


「わっちもねェ、しゃんとしてる凛々しい坊も酒で弱ってしなだれかかってくる坊もどっちも好きだよゥ」


 すると案の定太郎は、


「参ったな」


 と照れくさそうに頭を掻いた。

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