笠地蔵と鶴女房の落着

小萩の甘味①

「なぁんで白ちゃんもいるんだよぉ」


 ちゃっかり酒の用意までしていそいそと太郎の部屋に向かった飛助は、主の了解を得て開けた戸の先にいた先客に向かって苦虫を噛み潰したような顔をした。


「そりゃあいるに決まってんだろ。悪いか」

「悪いに決まってんだろ。あれだよ、姐御風に言えば、無粋ってやつだよ! 無粋!」

「良いじゃねぇか。どっちにしろ姐御だってどこかに潜んでんだろうし」

「それは……そうかもしれないけどさぁ」


 ちら、と天井を見上げるが、不自然な隙間などはない。もちろん、素人に感づかれるようでは忍びとして失格であるわけだが。


「飛助、そんなところに突っ立ってないで、こっち来いよ」


 嬉しそうに手招かれれば、無粋な犬のことも、抜け目ない雉のことも頭からすぽんと抜けて、飛助は太郎に飛びついた。まるで主に名を呼ばれ、わっさわっさと尾を振りながら駆け寄る犬である。


「わぁい、タロちゃん、タロちゃぁん」

「ちょ、ちょっと飛助」

「ぐぅ……糞ぉ……」


 元はと言えば太郎が飛助に構ってもらえなくて寂しいということに端を発した席である。こンの馬鹿猿と引き剥がしたいのを、白狼丸は歯を食いしばって堪えた。今日だけは、今夜だけは、いまだけは、と。


 青衣の方でも太郎の気持ちを汲んでいるのか、苦無はもちろんのこと、竹串すら飛んでくる気配もない。


「飛助、わかったから。もう少し、離れて」


 明確に太郎の拒絶が出たところでやっと出番が来たかと白狼丸が手を出した。後ろ襟を、ぐい、と引っ張り、無理やり引き剥がす。


「ぐええ、苦しい。何すんだよぉ」

「太郎が離れろっつってんだろ」

「ちぇー」


 強制的に距離を取らされた飛助は、口を尖らせて不満そうな顔をしつつも、案外素直に応じて、すとんと布団の上に腰を下ろした。


「ま、良いけどさ。なんてったって、タロちゃんってばおいらに構ってほしかったんだもんな」

 

 タロちゃんが! おいらに! おいらに構ってほしくて! と隣で腕を組んで鬼のような顔をしている白狼丸に向かって強調してやると、今夜だけは多めに見てやろうと歯を食いしばっていた彼がぶるぶるとその身を震わせ始めた。そろそろその我慢も限界を迎えそうだ、というところで、まぁまぁ、と太郎が割り込んでくる。


「飛助、恥ずかしいから、あんまり言わないでくれよ」


 羞恥からほんのりと頬を赤く染めている太郎が、それでも嬉しそうに目尻を下げているのを見れば、沸騰寸前だった白狼丸の怒りもしゅんと冷める。


「昔は白狼丸さえいてくれたら寂しくなかったんだけど、仲間が増えると、駄目だな。一人でも欠けるとすぐに弱ってしまって。情けない」


 白狼丸さえいてくれたら、の言葉に、今度は彼がふふんと鼻を鳴らす。そうだろう、そうだろう、何たっておれはお前の一番の友なんだからと。飛助がそれに忌々しそうに舌を鳴らすと、天井の方からも微かに「ちっ」という音が聞こえ、彼は密かに苦笑した。


 そりゃあ姐御も悔しいよなぁ。出会う順番はどうしたって変えられないんだから。


「そうだ、それで、飛助は俺に何か用があったのか?」

「ううん? 特にないけど?」

「そうなのか? 飛助から部屋に来たいって言うから、てっきり何か用があるのかと」

「用はね、特にないんだ。ただタロちゃんとゆっくり過ごしたかっただけ」

「何だ。それなら、一つ聞いても良いだろうか」

「何だい?」


 胡坐をかいた膝をうきうきと動かして、身を乗り出す。今日はめいっぱい甘やかしてやるんだと、そう心に決めていた飛助は、どんなきわどい質問が飛び出そうとも包み隠さずすべて打ち明けるつもりでいた。


「その、小萩というのは、飛助にとってどんな存在なんだ?」


 だから、質問の内容に、少々拍子抜けしたのも事実である。


「そんな……愉快な話じゃないけど……良いかい?」


 心のどこかでは、芸人なんだから、どんな話でも愉快にしてみせろよ、とも思う。だけれども、これだけは。小萩のことだけは。


 けれど、そんな弱気の前置きに、太郎はもちろんのこと、白狼丸さえも異を唱えることはなかった。まぁ飲めや、とでも言わんばかりに白狼丸から猪口を差し出され、それを素直に受け取ってから、ぽつりぽつりと語り始めた。



 小萩、というのは、興行に向かう道中で飛助の親父が拾った孤児だった。そこは酷い戦があり、それの慰安のつもりの興行だったから、恐らく戦災孤児であろうとのことである。近くの寺にでも預けようと思っていたのだが、そのまだろくにしゃべれもせぬよちよち歩きの女児が、幼い飛助によく懐いたものだから、何とも手放しがたくなって、そのまま団で面倒を見ることになったのだという。


「名前はね、実はおいらがつけたんだ」


 その前に立ち寄った集落で、芸の礼にととびきり美味いおはぎを馳走になった後だったから、飛助は「この子の名前もおはぎにしよう」と安易に提案した。大人達から、そりゃあないだろうとさんざん笑われ、妥協する形で『小萩』と名付けられたわけである。


「可愛かったよ。鴨の雛みたいにさ、ぴよぴよぴよぴよいっつもおいらの後ろをついて来るんだ。飛兄、飛兄、って。芸の一つでも覚えさせようとしたんだけど、小萩は不器用で、お手玉一つ出来なくてさ」


 でも、芸が出来ればもっと一緒にいられると思ったのだろう、毎日毎日一生懸命練習して、やっとお手玉が出来たと言ってそれを揚々と見せに来た。すごいすごいと頭を撫でてやると、彼女は真夏の向日葵のような笑顔を見せて得意気になっていた。


 月日が経ち、小萩が十になった頃のことである。

 相変わらず不器用な小萩は、身体を使った芸も、傘回しも出来なかったため雑用係だった。それでも大事な団員であることには変わりなく、大きな興行があれば、その小さな身体に小道具やら化粧道具やらを括りつけて共に山道を歩く。弱音も全く吐かなくなり、年長の兄さん連中のからかいを言い返すほどのお転婆に成長していたのだが、そんな小萩が、その日は何だか口数が少ない。


「途中にある馴染みの寺で休憩させてもらってる時にさ、気付いたんだ」


 小さな小萩はいつも最後尾を歩いていた。それでも遅れることなく懸命について来るので、いつものように誰も彼女を気にかけていなかった。気を遣ってわざとゆっくり歩いたりすると、逆に彼女は子ども扱いするなとカンカンに怒るのだ。だからその時も誰も振り返らず、黙々と歩いていた。

 そのすぐ前を歩く飛助だけは、彼女に気づかれぬよう、数度こっそりと後ろを見たが、精一杯団員達について行こうと眉を吊り上げている顔は、いつもと同じだった。だから特に気にもとめなかった。


 寺に着き、荷物を下ろした小萩が、ぱたりと横になった。


 あっはっはさすがの小萩でもこの山道は堪えたか、などと言って、その顔を覗き込むと――。


「真っ赤でさ。もうほんと、絵巻の火の玉みたいに真っ赤っかだった。触ってみると、ものすごい熱でさ。誰も気付かなかったんだ。苦しいとも、何にも言わなくて」


 飛助もそうだったが、十にもなれば、団にとってその興行がどれだけ重要な収入になるかをよく理解している。疲れた、辛いなどと言って皆を困らせ到着が遅れたりなどすれば、大変なことになる。だから、小萩は何も言わなかったのだろう。

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