飛助と小萩③
「……タロちゃん、今日の夜、部屋に行っても良いかい?」
せっかく三人揃っているのだからと仲良く卓についた朝食の席で、飛助がおずおずと問い掛けてくる。ちらり、と隣の白狼丸を気にしているところを見ると、一応彼には気を遣っているらしい。
太郎としては、もちろん、と即答したいところではある。けれども、昨夜も白狼丸は茜との逢瀬を我慢してくれているのだ。二夜続けて、というのはさすがに忍びない。
だから、茶碗を持ったまま、ええと、と言ったきり、俯いて固まってしまった。どうしたものか、と。
「太郎」
その声で顔を上げる。
太郎の斜め向かいにいる白狼丸は、青菜のおひたしを口に運びながら真っ直ぐ彼を見つめていた。
その目が言っているのだ。
おれは昨日言ったよな、と。
遠慮する間柄じゃねぇんだ、おれ達は。
我が儘でも何でも言やぁ良いだろ。
それに背中を押され、太郎は茶碗と箸を置いた。
「……良いよ。来てくれ」
「い、良いのっ!?」
その返答に思わず太郎ではなく白狼丸の方を見てしまう。すると、その案外優しい友は、ぷい、と顔を背けて言った。
「太郎が良いっつってんだろ」
「でも、茜ちゃんは……?」
「それなら心配いらないよ、飛助」
何が、と二人は仲良く揃って太郎を見、首を傾げた。太郎はその二人の視線を悠然と受け止めてにこりと笑う。
「俺が桃を食えば済む話だ。どれ、仕事が始まる前にいまからひとっ走りして買ってくる」
などと、心なしか青い顔で腰を浮かせかけるものだから、いつも何かと衝突する犬猿二人もこの時ばかりは抜群の団結力を見せた。二人同時に立ち上がり、飛助が肩を押さえて太郎を座らせ、白狼丸はその手で彼の口を塞ぐ。
そして、
「太郎は食うな!」
「タロちゃんは食うな!」
「おれが!」
「おいらが!」
食うからぁ! と最後はぴったり声を揃えて叫ぶ。
太郎は、きょとんと目を丸くすると、むぐ、と口を塞がれたまま頷いた。
「おいらもさ、そろそろかな、とは思ってたんだよ」
半端に残っていた飯をかき込んで、飛助は盆を持って立ち上がった。
「何がだよ」
面倒臭そうにそう返したのは白狼丸である。
「
そうは見えなかったがな、と意地悪く笑う白狼丸の尻を軽く蹴飛ばす。それくらいは想定していたのか、持っていた汁椀を傾けることもない。
「今日、帰すよ」
そう言って食堂を出ていくその後ろ姿が本当に寂しそうで、白狼丸はもう一言くらいからかってやろうと控えさせていた言葉を引っ込めた。
そんなことも知らない狐の子は、今日もにこにこと作業部屋を掃除し、菓子が回ってくれば、いそいそと茶を淹れた。今日は、特別上手く淹れられたと弾けんばかりの笑顔でそれを渡されると、確かに綺麗な黄金色である。
「お前の毛皮みたいだな」
思わずそんな言葉が口をついて出る。小萩は、ぎく、と肩を震わせて、他の人に聞かれやしなかったかとおどおどと辺りを見回した。が、偶然にも兄さん達は店の方に届け物があると言って、皆、出払っている。伝えるなら、いまだ。
「おいで、小萩」
いつもとは違う、落ち着いた声色に、何かしらを感じ取ったのか、小萩は恐々とその膝に乗った。その身体をぎゅう、と抱いて、ありがとう、と呟く。
「本当にありがとう。おいら、楽しかったよ。本当の小萩じゃなくて、お前は狐だけどさ、でも、おいらにとってはお前も本物だ」
「と、飛兄……。あた、あたいは……」
「もう帰るんだ、小萩」
「やだ、いやだよ。ここでずっと一緒に」
「駄目だ。お前は狐で、おいらは人なんだ。住む世界が違うんだよ」
「やだやだ、やだよぅ」
わんわんと泣く姿も、やはりあの頃の小萩にそっくりで、飛助は胸が痛い。けれど、これを乗り越えねばならぬ。
「春になったらおいらまた
ぼろぼろと流れる涙と鼻水を袖でごしごしと拭いながら、小萩は何度も頷いた。
「くれぐれも狐の姿で人間の前に出るんじゃないぞ。近くに行くことがあったら、必ず顔を出すから。な」
「うっ……うん」
「良い子良い子。小萩は良い子だなぁ」
「良い子だよぅ。ずっとずっと良い子でいるよぅ」
「ずっと良い子でいてくれ。さぁ、ほら、菓子を食おうか。せっかく茶も上手に淹れられたんだもんな。あんまり泣いてちゃ塩っ辛くなっちまうぞ」
「……うん」
小萩の親がすっかり良くなったとの知らせを持ってきたのは、例の六人の爺だった。最後までしっかり面倒を見てくれるつもりだったらしく、飛助は何度も深く頭を下げた。その中には当然、これからもこの狐の子を何卒よろしくお願いします、という気持ちも乗せてある。
すると、
恩人殿の
頼みと
あらば
相わかった
任されよ
では
頭の中にそんな声が聞こえてくる。やはり彼らには届くらしい。
ありがとうございます、と呟いて、何度もこちらを振り返っては手を振る小萩が見えなくなるまで、飛助もまたずっと手を振り続けた。
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