飛助と小萩①

「だいたいお前はな、嘘をつくのが下手すぎるっていうかな」

「……うん」


 しょんぼりと肩を落とす太郎に無理やり猪口を握らせる。そこに舐める程度の酒を数滴垂らしてやると、意外にも彼はそれを飲んだ。


「全然平気です、ってのを装ってたんだろうが、店の連中は騙せても、付き合いの長いおれにはバレバレだわなぁ」

「……うん」


 空になった猪口に、酒をまたほんの少し垂らしてやる。それもちびりと飲み、はぁ、と太郎はため息をついた。酒の味を覚えさせる良い機会だと、すかさずそこにまた数滴分の酒を垂らす。


「寂しいなら寂しいって言やぁ良いじゃねぇか。何も遠慮するような間柄でもねぇんだし」

「だけど」


 そう言って、また猪口を空け、はぁ、とため息をつく。そこまで落胆する姿がおかしく、気の毒さよりも愉快さが勝って、ひひひと意地悪く笑いながら、太郎に注いだものよりも当然のように多い酒を口に含む。


「我が儘を言って良いのは、好いた女だけなんだろう?」

「――ごふっ?!」


 おま、お前それは誰が……と、咳込みながら問い掛ける。いや、聞かずともわかるのだが。

 やはり太郎はしれっとした顔で、「白狼丸が言ったんじゃないか」と言うのである。茜と太郎の意識が繋がっているというのは便利なこともあるが、厄介な場合もあるのだと改めて思う白狼丸であった。


「好いた女の我が儘は嬉しいって」

「ま、まぁそれは……言ったがな」

「そもそも俺は女じゃないし。男の俺がそんな我が儘を言ったって、飛助は困るだけだろ」


 ぽつりとそう言って、口を尖らせ、上目遣いに見つめてくる。


 飲んだのなんて白狼丸の一口分にも満たない量だというのに、一瓶空けたくらいの酔いっぷりである。頬は赤く、大きな瞳は涙の膜で潤んでいて、ここに葉蔵がいたならまず間違いなく襲いかかっていると思われる仕上がりだ。


 いや、あの馬鹿猿もか、と思って、白狼丸はまた、ふん、と鼻を鳴らした。


「えっと、その、まぁ、あれだ。確かに好いた女の我が儘は可愛いもんだがな。何も女に限った話ではないというか……。そうだ! ほら、お前だってじい様とばあ様に我が儘の一つくらい――」


 と膝を打つと。


「俺の記憶にある我が儘といえば、桃は嫌いだ、桃太郎と呼ばないでくれ、と言ったことくらいだろうか」


 そうぽつりと吐く。そして、その大きな瞳にこんもりと涙の珠をこしらえて、唇を震わせた。


「……あ、あああの時はおじいさんもおばあさんも、それはそれは悲しい顔を――」

「だぁぁぁぁ! 待て待て待て! いまのはおれが悪かった!」


 ぐしぐしと寝間着の袖でその涙を乱暴に拭ってやる。こりゃあ参ったと頭を搔いて、「畜生ぉっ、降参だ! 助けてくれぇ姐御ぉっ! いるんだろ! おおいっ!」と声を上げた。


 すると、当然のように潜んでいたらしい青衣が、やれやれとため息混じりに天井から降りてきた。


「あれ、青衣。いたのか」


 とろりとした目つきで、普段よりも舌足らずな太郎の長い髪をさらりと撫で、青衣は「今宵の坊は一段とめごいねェ」と目を細める。


「今日の青衣は随分と落ち着いた恰好をしているんだな」


 濃紺の忍び装束に身を包んだ青衣は、くね、と身体を捩り「いつもの方がお好みだったかえ?」と聞く。


「いいや、どっちの青衣も好きだよ」


 酔いの回った蕩けた笑みで吐息混じりにそう言えば、その海千山千の元忍びは、胸を押さえて、ぐうぅ、と呻いた。


「……犬っころ、もしもの時はわっちをこれで刺してくれ」


 そう言って白狼丸の手に苦無くないを握らせる。初めて手にするそれは、思っていたよりもずしりと重い。また、青衣自身はその意図で使用するつもりはないとはいえ、人を殺せる凶器であると気付いて、物理的な重み以外のものを感じ、つい落としてしまう。


「ちょいと犬っころ。せっかく新調したんだ、落とすんじゃァないよゥ」

「そ、そんなこと言ったって姐御。こんな物騒なもん握らせんな!」

「そんな物騒なもんじゃァないよゥ。まだ誰も刺しちゃァいないんだから」

「『まだ』って言うな! それにもしもの時って何だよ! 姐御だったらむしろ喜んで手籠めにすんだろ!」

「んまァッ! 失礼なことを言うんじゃァないよゥ! このわっちが、こんな状態の坊に手を出すなんざ無粋なこたァするもんかね」

 

 まずはきっちり坊の同意を得てだねェ、とその他にも手順があるのか、指を折りつつそう言うのを「まず良いから」と阻止する。


 そうだった、と一つ咳払いをして、なぁ坊? と優しく問い掛ける。


「何だ?」


 酔ってはいるものの、寝てしまうなどということもなく、太郎はふわふわと気持ちよさそうに左右に揺れている。そのまま倒れてしまわぬようにと、彼の左隣に座り、肩を抱いて支えてやると、素直に凭れて来るのがまた可愛らしい。白狼丸は、青衣が低い男の声で「畜生」と呟くのを確かに聞いた。


「坊はお猿に構ってほしいんだろう?」

「そう……なのかな。うん、そう、なんだろうな」

「よしよし、素直なのは良いことだ」

「俺……俺は、あんまり人と話すのが得意じゃないけど、飛助は、どんな話も楽しそうに聞いてくれてさ」

「そうだねェ。その辺はわっちも評価しているところだよゥ」

「だから飛助は、俺の特別なんだ」


 その言葉に、青衣と白狼丸が揃って眉をぴくりと動かす。それに気付いてか――いや、気付いてはいないのだろうが、太郎は、「でも」と続けた。


「特別なのは、飛助だけじゃないんだぞ。白狼丸も、青衣も、俺の特別だ。いまだって、白狼丸は、茜に会いたいのを堪えて俺に付き合ってくれているし、青衣も遠いところからわざわざ来てくれたし。本当に感謝してもしきれないよ」


 確かに青衣は遠いところ――通りの端にある扇子屋だが――からわざわざ出張っているが、天井裏に潜んでいたのはいまさっきのことではない。まさかあそこから一瞬で駆けつけたとでも思っているのだろうか。それはさすがにどんな優秀な現役の忍びでも不可能である。


「だけどな、嬉しくもあるんだ」


 そう言って、太郎はへらりと眉を下げた。


「飛助はここに来る前、辛いことがあっただろう? お父上にもあれから会っていないんだろうし。だから、飛助があんな風に楽しそうにしているのを見るのは、すごく嬉しい」

 

 いや、小萩の正体は狐なんだぞ、とは指摘出来ない雰囲気である。太郎だってあの小萩が狐であることを知っているはずなのに。


「嬉しいんだけど、寂しい。俺は、随分我が儘になってしまったなぁ」


 最後にそう零して、弱ったように笑った。

 その、彼の切なそうな笑みに、二人が釣られることはなかった。

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