七体目の地蔵③

 その晩に起こったことについては、訪ねて来たのが爺に化けた地蔵であることも含めて、すべて太郎と白狼丸に話した。ここ数日、長屋の天井裏に潜んでいる青衣にもきっと聞こえているだろう。あっさりと信じた太郎に対し、白狼丸はなかなか信じなかった。やむなくこっそりと狐に戻らせれば、地蔵の部分はさておくとしても、という悪あがきをしつつもその小萩が狐であることを信じた白狼丸である。


 さらに、千鶴の件も伝えてやると、「そういや今日はまだ一度も襲撃されてないな」と思い出したように顎を擦る。


「襲撃はないだろう」


 窘めるような視線を向ける太郎に対し、「だってよぅ」と口を尖らせる様は、まるで母親に叱られる子どものようである。


「とにかく、布が織り上がったらさ、もらってやんなよね。それで気が済むみたいだから」

「まぁ、もらうくらいはやぶさかでもねぇけどよぉ。でも、布なんかもらったところでどうすりゃ良いんだよ」


 それで褌でも縫えってか、とため息混じりに吐き出された言葉に、そりゃ良いな、と吹き出したのは飛助だけであったが。


 それから毎日のように仲良くじゃれ合っている二人を見て、白狼丸は「お前、それ狐だぞ」と皆がいる前では声にこそ出さないものの、かなり呆れていた。飛助にしても心の中では「こいつは狐なんだよな」という気持ちは常にある。だから、いま飲んでる茶ももしかしたら馬の小便かもしれない。この狐がやって来た経緯を聞けば、それはないと思いたいが。


 だけれども、いまは騙されていたいのだ、と飛助は思う。


 ずっと会いたかった少女なのだ。

 あの時してやれなかったことを全部やるのだ。

 それが終わるまでは、狐でも何でも良いから。


「あたい、たくさん食べて早く大きくなるから。そうしたら、飛兄のお嫁さんにしてよぅ」


 ねぇねぇ、と瞳を潤ませて、小萩が襟をくいくいと引く。それを見つめる紙資材係の男衆は何やら眩しいものでも見るかのように目を細めた。


「やっと飛助にも春が来たか」

「これから冬だってのにな。いやぁ暑い暑い」

「うんと食べて飛助好みの良い女になれよ、小萩」

「大丈夫、親戚ったって、遠いんだろ? 問題ねぇ問題ねぇ」

「ちょ、ちょっと兄さん達!?」


 無責任に盛り上がる兄さん連中に飛助は眉を下げたが、小萩の方は強力な味方を得たと上機嫌である。


「小萩、あのね、えっと」


 どうにか断らねばと焦るも、心底嬉しそうに頬ずりまでされると、もう何も言えない。例え狐であっても、いまは小萩なのである。


「……まぁ、いっか」


 短い期間だけという約束だしな、と思い直してほんのり獣の匂いがするその身体を優しく抱き締めた。


 

 そんな日々が続いた数日後の夜のことである。


「何だか萎れてんなぁ、太郎」

「萎れてなんかいないさ。俺は草木じゃないんだから」

「草木じゃねぇのはわかってるけどよぉ」


 ここ数日、白狼丸は夜になると太郎の部屋を訪れるようになっていた。無論、茜に会うためである。


 もっと広い部屋を用意しろと平八に詰め寄ったところ、確かに冬場の冷え込みを考えればなぁ――と言って、案外それはあっさりと聞き入れられた。例の掃除用具入れよりももう少し広い(と言っても、約二畳だったのが三畳になっただけではあるが)部屋になったのである。そこもやはり元々は物置部屋だったようで、他の従業員が寝泊まりする部屋とはかなり離れている。そんなところもまた何かと都合が良い。


 従業員は男も女も基本的に大部屋が宛がわれるこの石蕗つわぶき屋においてはかなりの好待遇であるわけだが、これに関して不満を言うものはいなかった。何せ、この太郎を野郎共のいる大部屋に入れれば、確実に大変なことになるからである。それは従業員一同が容易く想像出来ることであったから、むしろこいつだけは隔離した方が良い、というのが総意だったりする。


 広い部屋になっても、荷物が増えるなどということはなかった。使い込まれた布団と、打飼うちかい袋に、着物は替えも含めて三着程度。それから、壁には白狼丸の毛皮があるだけである。けれどいまはその敷いた布団の横に小さな火鉢がある。床に置いた盆の上には、白狼丸の大部屋からこっそりくすねて来た酒の瓶もある。猪口は一応二つ用意したが、きっと太郎は飲まないだろうと思われた。


 いつもなら、そろそろ茜になっても良い頃合いである。

 が。


「おかしいなぁ」


 何の変化も現れないことに、太郎は首を傾げつつ、ぺたぺたと己の身体をまさぐり始めた。


「お前何やってんだよ」

「いや、茜にならないな、って思って」

「だろうな」

「だろうな、って。白狼丸、何か知ってるのか?」


 座り直して、ぐい、と顔を近付けられれば、つい癖でその唇に触れてしまいそうになる。この時間にこの場所で向かい合っているのは茜と決まっているからだ。


 あっぶねぇ、と心の中で呟いて、呼吸を整えてから、ふん、と鼻を鳴らす。


「今日はおれが桃を食った」


 その単語を吐くのすら忌々しそうに顔を歪めて、ぷい、と顔を背ける。


「桃を? そんなことしたら――」


 茜は出て来られないじゃないか、と太郎が言うと、まぁな、とぶっきらぼうな言葉が返ってくる。


「今日は、茜とじゃなくて、お前の相手をしようと思って」

「俺の?」

「最近明らかに元気がないからな」

「そんなことないよ」

「いいや、ある! おれにはわかる!」


 とん、と胸を人差し指で突かれ、


「あの馬鹿が狐ばっかり構ってやがるから、寂しいんだろ」


 とずばり指摘すれば、太郎は、耳まで赤くなって、「そんなこと」と絞り出すように言ってから――、


「……ごめん、あるかもしれない」


 と正直にこうべを垂れた。

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