笠地蔵③

 それじゃあさ、と飛助は六人の爺――厳密には、まだ何かしらの力を使っていない一と二の爺に向けてだが――に言った。


葛桂くずがつらの集落にさ、芝居小屋を建ててくれよ。雨風が凌げる壁と屋根があればちっちゃくても良いからさ。何なら舞台は外でも良いんだ。お客さんの方だけでも屋根があれば」

「芝居小屋」

「とな?」


 一と二の爺は顔を見合わせた。


「そんなもので良いのか」

「そんなもの、って。芝居小屋だよ? 芝居小屋! もう最高のやつじゃん! 天気の心配をせずに芸が見られるんだから!」

「ううむ」

「ううむ」

「えっ、逆に何が不満なの? どういうのを想像してたわけ?」


 今度は逆に飛助の方が、ぐぐぐ、と顔を近付ける。すると六人の爺は、負けじとさらに顔を――などということもなく、かといって彼に気圧されて一歩引くでもなく、微動だにしなかった。そしてそのまま、何の表情も変えずに、ぽつりぽつりと話し出す。


「富」

「であるとか」

「富? あぁ、金? いやぁいまおいら定職に就いてるし、芸もすれば稼げるからなぁ」

「不要ですかな?」

「そうだな。芝居小屋の方が良い」

「ほほぅ」

「では、名声」

「であるとか」

「名声? それこそ地蔵様にどうにかしてもらうものでもないよ。それにね、おいら芸の世界じゃあそこそこ名が知られてるんだから」


 へへん、と胸を張ると、六人の爺達は、何やら不思議そうな顔をした。人間が真っ先に求めるものといえば富と名声とばかり思い込んでいたのである。しかし、人間の欲は底がない。富と名声だけでもないだろう。


「ならば」

「不老長寿は」

「どうだ」

「はぁ? そんな、おいら一人だけ長生きしたって仕方ないよ。良いよ、このままでさ」

「むぅ」


 よほど『芝居小屋を建てること』が意外だったらしく、爺達はなかなか納得しない。


「では」

「色事は如何か」

「色事かぁ……。何、その気がない人でもおいらに惚れさせたりとか出来るわけ?」


 なら、と言って食堂の方に目をやると、爺達は、これは良い反応だぞ、と眉を動かした。


「我々は」

「地蔵なるぞ」

「やって出来ぬ」

「ことはない」

「どうだ」

「どうだ」


 飛助は考える。

 この場合、八重やえ五月さつきにした方が良いのか、それとも太郎にすべきか、と。元々彼は男色の気などないのである。というか、男でもその気になるのは太郎に対してだけであって、飛助は基本的には女が好きだ。


 でも手に入るんだったら、そりゃあ。


 あの目が自分だけをとらえてくれたらどんなに良いだろう。あの声で飛助飛助と甘えてくれたらどんなに幸せだろう。


 そんなことを考えると、だらしなく頬が緩む。


「では」

「それで」

「よろしいかな?」


 とどめのようにそう言われ、飛助は「そうだなぁ」と頷きかけた。


 が。


「ううん、やっぱり芝居小屋だな」

「なんと!」

「色事より!」

「芝居小屋とな!」

「そ。よくよく考えたらさ、あのちょっとつれない感じがまた堪んないんだもんなぁ」


 成る程、と爺達は思った。


 こいつはもう何を言っても無駄だ。何を引き合いに出しても芝居小屋が勝るのだ、と。


「相わかった」


 そう言ったのは恐らく二の爺であろう。

 両手を合わせて、目を閉じ(元から開いているのかどうかも怪しかったが)何やらむにゃむにゃと呪文のようなものを唱え始めた。


 そうして、数秒の後にぱちりと目を開けると、何やら不満げに、はぁ、と息を吐いた。


「どうしたの? 大丈夫? もしかして過ぎた願いだったかい?」


 地蔵といえども心配になってその背中を擦ってやると、いいや、と(推定)二の爺は首を振った。


「呆気なく終わってしもうた」

「は?」

「地蔵六兄弟の次男であるワシの見せ場が……」


 やっぱり兄弟だったんだ、と思った飛助である。そして次男ということは、やはりこの爺は『二』であっていたらしい。


「そんなに簡単なの?」

「たかだか小屋一つ、造作もない」

「えぇ、そうなんだ。富とか名声の方が難しいやつなんだ」

「左様。むむ、残念無念」

「言うな、二よ」

「ワシなど狐の確認だけだぞ」

「ワシは温石しか出しとらん」

「ワシは鶴を説得して褒められたがな」

「ワシは機織りと専用の部屋だが」

「お前らはまだ良いぞ。ワシなど下手すりゃ出番すらない」


 四以外の爺に揃ってしょんぼりと肩を落とされると、飛助の方も何だか落ち着かない。彼にしてみればどんなに粗末なものだったとしても小屋を建てるなど、大ごとである。それこそ、金を貯めて、資材を用意し、さすがに一人では無理だから人を雇って――である。それに比べたら金を稼ぐことの方が簡単なように思われたし、芸の腕さえ磨いていけば嫌でも名は轟くだろう。そうこうしているうちに色事の方だって案外あっさりどうにかなるかもしれない。


 けれど、不思議な力を持つ地蔵の方ではそれはまるきり逆のようで、形のあるものを作る方がよほど簡単らしい。


「そ、それならさ」


 取り繕うようにそう声をかけると、沈んでいた爺達は一斉に顔を上げた。その勢いに、うぐ、と腰が引ける。


「葛桂の人達の夢枕に立つとか、出来る?」


 そう尋ねると、爺達は、む? と顔をしかめた。


「そんなこと」

「造作もない」

「我々は」

「地蔵なるぞ」

「おう」

「おう」

「良かった。それじゃあさ、芝居小屋のこと皆に知らせてよ。いきなり見知らぬ小屋があったらびっくりしちゃうから」

「相わかった」


 頷いたのは二の爺だった。どうやら余力があるらしく、その役をも買って出るつもりらしい。それに歯噛みしているのは、まだ何もしていない一の爺である。おのれ、次男のくせに、と悔しそうだ。けれど飛助が「それからさ」と言うと、やっと出番が来たか、と嬉しそうに目尻を下げる。慣れて来るとわずかな表情の変化もわかるようになって、飛助は密かに面白いと思った。


「お地蔵さん達のところに、屋根を作るように言っといてよ」

「何?」

「ワシらに?」

「屋根を?」

「そう。もうさぁ、寒そうで見てらんないんだよ。あんなに雪被っちゃって。夏は夏で暑いだろうし。あそこのじいさんばあさん、案外足腰強そうだしさ、それくらいやらした方が良いって。人間、なぁんにもしないでいるとさ、どうしても腐っちゃうんだよ。まだまだ長生きしてもらわないといけないんだから」


 働け働けぇ、と言って、あっはっは、と笑うと、六人の爺達は再び輪になって何やらひそひそやり始めた。


「おい、ワシらのことを案じておるぞ」

「ワシらは地蔵だが、ただの石の塊だぞ」

「寒いも暑いもないんだぞ」

「どういうことだ」

「ワシにわかるものか」

「ワシにもわからん」


 そこまで言うと、六人の爺は一斉にこくりと頷いて、揃って飛助の方を見て言った。


「その望み、すべて叶えてやろう」

「集落の人間には二のワシが行ってくる」

「芝居小屋の件、ワシらの屋根の件、どちらも二に任せる」

「さてそうなると、一が可哀相だ」

「一にも何か願ってやってくれ」

「おう、長男のワシに出来ぬことはない」


 さぁ、さぁ、と詰め寄られ、飛助は頭を抱えた。

 いま一番願いたいのは、そろそろ帰ってほしいということなのだが、そんなことを言えばきっと一の爺は盛大に拗ねてしまうだろう。


 すると一の地蔵は、うんと潜めた声で言うのだ。


「会いたい人、とか、おらんかの」と。


 その言葉に、ぎくりと肩が震える。


「……い、いる。いるけどさ。出来るのかい?」


 恐る恐る発せられたその問いに、一の爺はにんまりと笑った。

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