白狼丸の紅葉③

「本当に済まなかった」


 その言葉をもうかれこれ三度は聞いている。


「いや、別にお前が悪いんじゃねぇし。ていうか、誰も悪くないというか。いやおれの愚息がだなぁ……」


 そしてこの返答を聞くのも三度目だ。


「もうさ、おんなじ話ばっかりで飽きちゃったよぅ。もっと楽しい話しようよぉ」


 ちなみに飛助がそう言うのも三度目である。


「こんな湿気た話じゃ、せっかくのお峰母さんのご飯も台無しじゃんか。あぁん、今日の煮物も最高〜。あーおいらお峰母さんみたいな料理上手の嫁さん欲しいなぁ」


 口を尖らせて愚痴を言えば、白狼丸の肩がぴくりと動いた。太郎も何かに気付いたような顔をして、俯き加減に飯を食む。


「飯なんて、おれは別にここで食えりゃそれで良い」


 吐き捨てるようなその言葉で、よくわからないが、どうやらいまのが失言だったと知る。けれど、そこで詫びるのも気まずく、何も気付かないふりをして、味噌汁の具をつまんだ。


「まぁ、とりあえずさぁ」


 味噌汁の椀を空けた飛助が、仕切り直しとばかりに声を上げる。


「その――……何だ、タロちゃんは少し学んだ方が良いな?」

「学ぶって、何を?」

「うん、だからさ、その……好き合った男女がすることだよ」

「好き合った男女がすることというのは、その、昨日白狼丸が茜にしようとしたことか?」


 真顔で確認され、赤面したのは白狼丸である。彼は、おぅ、あぁうぅ、と曖昧な返事をして俯いた。


「そっか、その辺は筒抜けなんだった」


 そうなると、やっぱりひっぱたいたのはタロちゃんの意思もあったりするのかな? などと思う。


「そんじゃもうだいたいわかってるんだな」

「わかって……ると言って良いんだろうか。とりあえず、着ているものは下帯も含めて全部脱ぐ、ということはわかった。安心してくれ白狼丸。子どもじゃないんだし、次からはお前にわざわざ脱がせてもらわなくとも、茜は自分で脱げる」

「ああもう、ここでそういうこと言うんじゃねえよお前は!」

「そうだよ、タロちゃん。脱がせる楽しみってのもあるんだから」

「もうお前も黙れぇっ!」


 やっと調子を取り戻したのか、いまだ腫れの残る頬に手をやりつつ、白狼丸が、ぎぃ、と飛助を睨む。片頬を腫らした間抜け面で睨みを利かせたところでちぃとも怖かねぇよぅ、と舌を出して笑い飛ばせば、恥ずかしいのだろう、ふん、と勢いよく鼻を鳴らして顔を背けた。いつもならそんな犬猿のやりとりを窘めるはずの太郎はというと――、


「良い年した女が人に服を脱がせてもらうというのは、ちょっと問題があるんじゃないだろうか。それに、脱がせるのが楽しいというのは一体……?」


 と真面目腐った顔で考え込んでいた。


 そんな太郎の頭を「やっぱタロちゃんは可愛いなぁ」と撫でていると、「おおい、飛助、飛助ぇ。いるかぁ」というのんびりとした声が聞こえてくる。声の主は同じ紙資材係の仙次である。年は二十八で、五名いる紙資材係の中ではちょうど真ん中に位置している、無類の酒好きだ。


「こっち、こっちにいますよぅ。どうしたんですか、仙次兄さん」


 大きく手を振りながら返事をすると、仙次は、おほぉ、と気の抜けた声を発して飛助を手招きした。


「俺もよくわからんのだがな、お前に客が来てるんだ」

「はぁ? こんな時間にですか? 誰だろ」


 自分を訪ねてくる人間なんていただろうか、と首を傾げてみせると、白狼丸が仕返しだとばかりに「お前ンとこにも、嫁にしてけろぉ、なんて物好きな狐が来たんじゃねぇのか」と悪い顔をする。

 そのはというと、三人が座る長い卓の端っこで、じぃ、とこちら――否、白狼丸に熱視線を送っているため、もちろんこれまでの会話は、すべて彼女に届かないようにうんと潜めた声でされていた。そうでなくとも飯時にするような話でもない。


 そんな視線に気付かない振りをしつつ、「お生憎様。おいら、怪我した鶴なんて助けてないもんね」と言って、んべぇ、と舌を出す。

 そう、そんな動物の類を助けたりなどはしていないのだ。

 さすがに数週間数ヶ月も遡れば、作業部屋に現れた小さな蜘蛛を見逃してやったとか、それくらいのことはあったかもしれないが。


「おいらのことからかってる暇があったら、あの狐の嫁さんどうにかしたら? 茜ちゃんに愛想尽かされても、おいら知らないからね」


 そんな軽口を叩いて席を立つ。

 ちらりと白狼丸に視線を向ければ何やら勝ち誇ったような笑みを浮かべて、


「ふっふっふ。茜がおれに愛想を尽かすなんてこたぁ、未来永劫ねぇんだよなぁ」


 と余裕綽々の態度を取るのがまた腹立たしい。


「何だよぉ。結局出来なかったくせにぃ!」


 悔し紛れにそんな捨て台詞を吐いて、「おおい、早くしろよぉ」と急かす仙次の後ろにつく。


「それで、お客さんって、どんな?」

 

 と尋ねると、仙次は、既に一杯ひっかけた後なのか、ほんのりとした赤ら顔で、それがな、と眉をしかめた。


「爺よ」

「爺?」

「そう、小柄な爺」

「小柄な、爺、ですか」


 いよいよもって何の心当たりもない――と言いたいところだが、爺なら今日、葛桂でさんざん会って来ている。


 もしかして忘れものでもしていて、それをわざわざ届けに来てくれたとか? それならまぁあり得る話ではある。


 などと考えていると、仙次は難しい表情のまま、尚も続けるのである。


「そう、小柄な爺。それも六人」

「は? 六人も?」

「そう。爺ばっかり六人。白狼丸には若い嬢ちゃんが訪ねて来てくれたってのによぅ。どうしてお前には爺が六人なんだよ」


 せめて一人くらい婆でも、と言いかけたが、いやこの場合婆でもあんまり変わらねぇか、と腹を抱えて一人でゲラゲラと笑う。これは確実に酔っている。


 確かに爺が六人でも、婆と合わせて六人でも、この場合大して変わらない。


 しかし、そんなに爺ばかりが六人も、一体自分にどんな用があるのだろう。


「もしかして、もう春の打ち合わせ、とか?」


 まだ冬もこれからだというのに、老人というのは随分せっかちなものだと思いながら、飛助は六人の爺を待たせてあるらしい勝手口の方へと急いだ。

 

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