白狼丸の紅葉②

「あぁ飛助、お帰り」


 裏から外に出て、太郎が立つ店先に行くと、彼は思った通り、何とも切ない表情でそこにいた。そんな憂い顔も様になるのが彼の恐ろしいところで、笑顔だろうが無表情だろうが何だろうが、彼の周りには常に数人の客がいる。


 お遣いものでしたらいまはこちらがお勧めで――などといつものように接客しているが、その声は暗く沈んでいる。


 あの駄犬め、おいらのタロちゃんに何て顔させやがる、とは思うものの、厳密には相手は太郎ではないのである。好き合っている男女のことに口を挟むのはさすがに野暮というものだ。けれども。


「タロちゃん、今日は定時に上がれそうかい? もし良かったら、飯を一緒に――」


 普段はそんな約束などしないのだが、今日だけは絶対に一人にさせてはならん、と飛助は声を張り上げた。太郎の場合、一人でいても、どうせ最終的には姉さん連中に囲まれるのだが、彼の心中としては一人でいるのと大差ない。


「え? あ、あぁ多分上がれる、と思う」

「わかった。そしたらおいら、食堂で待ってるから」

「うん、わかった」


 約束を取り付けたところで、飛助は今度は店の中を通って倉庫を目指す。野暮かもしれないが、一言言ってやらないと気が済まないのである。ついでに言えば、その紅葉の上から一発ぶん殴ってやりたい。


「白ちゃぁあんっ!」


 と勢い任せに倉庫の扉を開くと、すぐそこにいたのは、鮮やかな紅葉をぷっくりと腫れさせてげんなりと小豆袋を見つめている白狼丸である。その脇には気の毒そうな顔をした葉蔵がいて、飛助の姿を見つけるなり、助かったとでも言わんばかりに手を振って来た。


「葉蔵兄さん、これは……?」

「見てわかるだろ、白狼丸だよ」

「はい、それはもちろん見てわかりますけど」

「もう朝からずっとこうなんだよ。助けてくれ、飛助」

「いや、おいらにも無理です。ていうか、仕事になってます?」

「なってない。もうむしろ邪魔なくらいだ」


 当の本人を間に挟んでの会話であるにもかかわらず、いつもなら即青筋を浮かび上がらせて胸倉を掴んでくるはずの白狼丸が、視線を小豆袋に固定したまま微動だにしないのが事の深刻さを物語っていた。

 

「おおい白ちゃん。白ちゃんってば」

「……何だよ」

「うお、しゃべった。なぁんだしゃべれるんじゃん」

「うるせぇな。何の用だよ」

「何の用っていうかさ。何か倉庫ここで季節外れの紅葉が見頃だって噂を聞きつけて来たんだけど?」

「笑いたきゃ笑えよ糞が」

「何かもう悲壮感がすごくて笑うに笑えないよ。――葉蔵兄さん、どうせ使い物にならないんでしょ? ちょっと借りてって良いですか?」

「良い良い。むしろさっきから伊助さんと俺とでもう休めって説得してたんだが、聞きゃあしなくてな。邪魔だから、ほんとに」

「なぁおい、白ちゃん、酷い言われようだぞ? いつもなら胸倉掴んでるところじゃんか。どうしちゃったんだよぉ」


 ああもう重いなぁ、と言いながらずるずると引きずっていく。すると、彼の身体が倉庫から完全に出る、というところで――、


「……葉蔵さん、いま持ってるその小豆は駄目だ」

 

 と囁くような声が聞こえ、「こんな時でもその鼻は機能してんのかよ」と葉蔵と飛助は揃って苦笑した。

 


 何とか人気のない廊下まで引っ張って座らせて、自分もその向かいに腰を下ろす。

 

「茜ちゃんと会ったんだろ? 何でそんなことになってんだよ」


 声を落としてその名を出すと、白狼丸はぴくりと肩を震わせて、恨めしそうに飛助を見上げた。


「まさかと思うけど、嫌がってんのを無理やり押し倒したとかじゃないだろうな」


 さすがの白ちゃんでも軽蔑するぞ、と焚きつけてやると、「しねぇよ!」と威勢の良い言葉が返ってくる。ちょっと声を落としなよと窘めつつも、いつもの調子が戻って来たようで安心する。


「それじゃあどうしたんだよ。おいら、茜ちゃんのことはよく知らないけどさ、べた惚れなんだろ、白ちゃんに。信じらんないけど」

「信じらんないは余計だ。べた惚れ……なのは間違いないんだけどな」

「そこで『間違いない』って言えるのが腹立つな」

「うるせぇ。事実だ」


 そこまで言って、がくりと肩を落とす。そして一言、「憎い」と呟いた。


「は? 何が? 何が憎いんだよ。何があったんだよぅ。なぁなぁ」


 可愛さ余って――というのはよく聞く話ではあるが、一体何がどうなって『憎い』の境地に辿り着いてしまったのか。おいおい血生臭い話は千鶴とではなかったのか、と飛助の背中に冷たいものが流れる。


 白ちゃんを止めるのなんて、おいら一人じゃ無理だぞ。

 こうなりゃ姐御にも加勢してもらわないとなぁ。


 などと考えていると、白狼丸が再び口を開いた。


「あいつの無知が憎い。太郎の方に色事を教えてこなかった自分が憎い。それと――」


 そこで言葉を区切り、視線を落とした。

 その先にあるのは――。


「……何だよ。単純に入んなかった、ってだけの話?」


 呆れたように尋ねると、白狼丸は、こくり、と頷いた。

 想像以上のくだらない(とはいえ本人は大真面目なのだが)理由に拍子抜けする。


「いや、もうそれはさ、どうにもならないじゃん。そんなのね、ヤスリで削りゃあ良いんだよ、あっほらし」

 

 あぁ心配して損したー、と大袈裟にため息をついてみせると、最早そんな冗談も冗談に聞こえない様子の白狼丸は「そうか……ヤスリで削れば良いのか……」などと呟いている。溺れる者は藁をも掴むと言うが、初夜に失敗した者はヤスリも掴むらしい。


「いやいやいや! 良いわけないじゃん! ちょっと白ちゃんしっかりしてよ! 馬鹿じゃないの? 冗談、冗談だよぅ! 使い物にならなくなるって!」

「何だ……冗談か」

「何だよもう調子狂うなぁ。いや、方法なんて色々あるじゃんか、って話! そんで? 無理やりしようとしてひっぱたかれたんだ?」

「いや、逆だ」

「は?」

「これは、その前」

「え?」

「何するかなんて茜が知ってるわけないからな。これは着物を脱がせた時にやられたやつだ」

「……その状態でよく続けられたよね」

「まぁ……うん。そこは、まぁ。男として引けなかったというか」

「男としてじゃないよ。ひっぱたくほど嫌がってるならやめてやんなよ」

「いや、嫌がってるとかじゃなかったんだ。マジで。それはマジで。ただ、びっくりしたみたいで」


 そりゃあ何をするか全くわからない状態でいきなり着物を剥かれたら驚くだろうな。かといって逐一「ではこれからあれをします、これをします」と宣言するのも風情に欠ける。


 飛助はそう思い――、


「好き合ってても前途多難だね」


 と肩を、ぽん、と叩いた。


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