飛助の軽業②
緩やかな弧を描いたその雪玉をまるで引き寄せるかのようにして捕まえる。
「さすが寅二さん、お上手お上手。さぁさ、どんどん投げてよ。これはね、一個や二個じゃあ、全然面白くも何ともないんだから」
確かにたかが雪玉一つ受け止めたところで何が面白いか、という話ではある。けれどもそれは額の上に梯子を直立させた状態で言う台詞ではない。
軽く天を仰いだ姿勢で早く早くと笑う軽業師を、集落の老人達は手を叩くことも忘れて見入っていた。動いているのは、額に梯子を乗せた飛助と、足元に妻の作った雪玉を控えさせた寅二だけである。
「うむ、そうですな。ではもう一つ」
「はいはぁい。――ぃよっと。ほい、次々ぃ」
「よろしいですかな、ほぉら――」
「はいよぉ。いやぁ、寅二さん投げるの上手いねぇ。どうだい、最後は伊那さんが投げるかい?」
「いいや、アタシにゃ無理ですよぅ。飛助殿にぶつかったら大変ですわ」
「あっはっは、ぶつかったって大丈夫大丈夫。それはそれで面白いじゃないか」
そんな軽口を叩くと、「そんなら私が投げても良いかい」と一人の老婆が進み出た。いつの間に作ったのか、手には雪玉が握られている。
「おぉ、良いよ良いよぉ。ちゃあんと狙ってね。駄目だよぅ、おいらの腰を狙ったりしちゃあ、ぜぇったいに駄目だよぅ?」
片頬を上げてにやりと笑う。それはもちろん『振り』というやつである。果たしてそれがその老婆に正しく伝わっただろうか、と三つの雪玉でお手玉をしながら待つ。
「そぉれ」
そんな気の抜けた掛け声と共に放たれた雪玉は、狙ってか、それともたまたまか、彼の
あぁ、と数人が声を上げる。飛助の方でも大袈裟に「ぐわぁ」などと言ってわざと梯子を大きく揺らせば、視界の隅で伊那が、大変、と寅二の袖を引くのが見えた。
ほんと仲の良いことで。
円満な夫婦に目を細めつつ、なぁんちゃって、と体勢を立て直す。
「こらこらぁ、ちゃあんと狙ってねって言ったじゃん〜?」
あっはっは、と笑いながらそう返すと、それまで静かだった観客達から、あいやお見事! などという声援が飛んできた。やっと温まってきたな、とほくほく顔の飛助である。お涙頂戴の芝居でもあるまいし、いつまでも黙って見られては、やっている方もつまらない。
おいらの芸は声援やら野次やらが飛び交ってこそなんだから。
やってる方は良くても、見てる方は寒かろうと、半刻ほどで芸を終えると、静かな集落に、まばらな拍手が響く。人数も人数だし、手を打つのも老人ばかりだから、これでも精一杯である。
「最後までご覧いただき、ありがとうございました。さぁ、早く家に入って入って。寒かったよね。ごめんよぅ、こんな寒空の下で」
もっと暖かい時分だったら良かったのになぁ、と口を滑らせると、前列で見ていた老人が「また来てくださるかね」と掠れた声で尋ねてきた。
「やらせてもらえるのかい? でもなぁ」
雪が溶けてもこぉんな何もない野っ原じゃあなぁ? とにんまり笑うと、「そうじゃなぁ、ここは何もないしなぁ」としょんぼりとした答えが返ってくる。
それに、ちちち、と舌を鳴らして、「だーかーらー、さぁ」とにんまり笑う。
「皆が座って見られるようなござが欲しいなぁ」
両手を大きく広げて、うんと大きいやつね、と言うと、
「それなら、アタシらが春までに編むよ」
とどこからか声が聞こえてくる。
「あとねぇ、おいら、甘いものに目がないんだよねぇ」
じゅる、とよだれを啜りつつ言うと、
「それなら
「ありゃあ、絶品だからな。それが良い」
「そんじゃあさ、どうにか皆で協力してたぁっくさん作ってよ」
「何だ、アンタ見かけによらず随分食うんだねぇ」
「違う違う。皆がつまみながらおいらの芸を見る分だよ。知らないかもしれないけどさ、町じゃあ皆飲み食いしながら芸を見るんだぜ?」
「へぇ、そうなのかい」
「そうそう。だからさ、集落総出で頼むよ。それが出来るんだったら、おいらまた来るからさ。お代もいらない。おはぎで十分」
だからさ――、とまだその場にいる老人達をぐるりと見回して飛助は言った。
「ずっと長生きして、ここの集落を盛り上げといてよね。お客さんが減ったらつまんないじゃん」
その言葉に、誰かが、盛り上げるも何もここには何もないし、とお決まりの台詞を吐いた。
「なぁに言ってんの。腕利きの職人もいるし、おはぎの名人もいるんだろ? それに、ここは春になったらきれいな花がたくさん咲くはずだ。川魚も良いのが釣れるんじゃなかったかい?」
昔を思い出しながら言う。
たった一度、大きな町への興行に行く途中に寄っただけの集落ではあったが、彼の記憶に鮮明に焼きつくほどの景色がそこにはあったのだ。
何度か来たことがあるという団員の話では、澄んだ川にはたくさんの魚がおり、秋は秋で見事な紅葉が見れるのだという。そういやあの時馳走になったおはぎは確かに美味かった。
「よく……ご存知ですな」
寅二が感心したように言う。
「寅二さん言ってたろ、名前は忘れちゃったけど、旅芸人がよく来てたって。おいらは一回だけだったけどね。小猿みたいなちび助がいたの、覚えてないかい?」
ここで「あぁ!」となれば感動的だったのだが、寅二も、その妻の伊那も「はて」と首を傾げるのみだ。仕方がない、長く生きている彼らは、思い出を長く溜め込む力も衰えている。冷やかしのようにやって来た旅芸人のちび助を覚えるくらいなら、愛しい相手との思い出を残しておく方がよほど有意義なのだろう。
「まぁ良いや。あー、長居しちゃった。おいらそろそろ行かないと」
熱が冷めると流石に寒い。
寅二の家に戻って、あぁ寒い寒いと防寒具を着込み、寄せておいた平八の鍋とザルを風呂敷に包んで、いざ、と腰を上げると。
「飛助殿、ありがとうございました」
寅二と伊那が深く頭を下げた。
「命まで助けていただいたばかりか、あんなに素晴らしいものまで見せていただいて」
「命を助けるだなんて大袈裟だよ。それに芸ったってさ、さすがに雪があるから大したこと出来なかったし。雪が溶けたらね、もっとすんごいのやるからね。びっくりして腰抜かさないでよね」
「ははは、それは楽しみですなぁ」
「うん、だからね、身体には気をつけて。伊那さん、お転婆もほどほどにするんだよ」
意地悪く笑って「せっかくの別嬪さんなんだから、お淑やかにね」と言うと、「こんな婆に何をおっしゃいます」と苦笑する。
「やだなぁ、年をとっても別嬪は別嬪でしょ。でもあんまり伊那さんのこと口説くと、隣の旦那さんがおっかないからなぁ。ノミで突かれる前に、退散、退散っと」
あはは、と戸に手をかけると、お待ち下さい、と夫婦は揃って焦ったような声を出した。
「何かお礼を」
と、縋るような声を出され、参ったなぁ、と頭を掻いてから、飛助はふと思い出して言った。
「それじゃあさ、笠を七つもらえるかい?」
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