飛助の軽業①
「わぁ、すっごい」
仕事場に通された飛助は思わず声を上げた。
壁中に掛けられた仕事道具はかなり使い込まれてはいるものの、きっちりと手入れされ、磨かれている。
それから、天井までうず高く積まれた、鍋やら、ザルやら、釜やら。
それらすべてが依頼された修理品なのかと聞けば、そうだと返ってくる。
「でもさ、こんな風に積んじゃったら、どれが誰のかとかわからなくならない?」
「そうですなぁ。ですから」
と、寅二は、一番上にあったザルをひょい、と手に取った。中には小さな紙が一枚挟まっている。
「取りに来ていただく際に、ご自分で探してもらっております」
「成る程。そんじゃこの中に旦那様のもあるわけだ」
「そうです。紙が挟まっておりますじゃろ。念の為、ご自身で名やら印やらを書いていただいておりまして。それを目印に、ご自身で、と」
何せ学のない爺なもので、読み書きの方はとんと、と言うと、寅二は隙間だらけの歯を見せて笑った。本当に思い描いてきた――そしてこれまで飛助が目にしてきた職人とはかけ離れた印象の御仁である。
「それじゃあ、ちょっと探させてもらうね。ええと、釜とザルが一つずつだったな……」
他所様の預かり物を落として傷でもつければ大変だと、用心しながら目当てのものを探す。手を動かしながらそれを見ていた寅二は、「飛助殿は――」と口を開いた。
「うぅん、何だい?」
「飛助殿は、何か芸をされるお方ですかな」
「えぇ? 何でわかるの?」
「所作、ですかな。それと、指先ですなぁ」
「所作はまぁ、わかる、けど。指?」
まじまじと己の指を見つめる。
女のように細い指だと団の兄さん達からよくからかわれていたその指は、石蕗屋で働くようになってからはずっと荒れっぱなしだ。
「こんな荒れた指の芸人なんて――ああでも、芸の種類にもよるかぁ」
などとぶつぶつ言っていると、いやいや、と寅二は首を振った。
「指先にまできっちり力が通っとります。人に見られる仕事をしておる方というのは、そこにまで気を遣うものでしょう」
「あぁ……成る程」
そう言えば、昔親父から言われたのだ。
「己の才に慢心するな。慢心は指先に出る。そして、通な客ほどそこを見る」と。
実際、自分は方々で色んな芸を見てきたから目が肥えていてね、と言って「どれ、お手並み拝見」とふんぞり返る馴染みの客がいて、彼は、芸そのものよりも、そういった細かい点をついては、「指の先、足の先にまで心が入ってない」などと指摘して来るのである。顔には笑みを貼り付けつつも、またあいつが来たと兄さん姉さん達はぼやき、参っちゃうよねぇ、とそれに合わせて笑いながらも、飛助は内心冷や汗をかいていた。
確かに今日は気持ちが入っていなかったかもしれない。
団の皆からは煙たがられる類の客ではあったが、飛助にとっては調子に乗りやすい己を定期的に律してくれる存在でもあった。
それから飛助は舞台に出る時はもちろん、日常生活においても指先に気を配るようになった。といっても、これといって特別指先に力を込めて――ということではないが、ただ、見てる人はそこまで見ているのだと意識した程度である。
そのうちにそれが当たり前になっていたのだろう。
「何、寅二さん、結構芸とか見るの?」
もうすっかりいつもの調子でそう問い掛けると、いやいや、と寅二は眉を下げる。
「この年になりますと、わざわざ町まで見に行ったりなど出来ませんで。それにほら、ありがたいことに仕事もございましてな」
「そっかぁ」
「昔はここもいまより少しは賑やかでしたから、なんて言いましたかなぁ、名前はもう覚えとりませんが、旅芸人の一座が回って来てくれたりもしたんですわ。そういう時には仕事を放っぽり出して女房の手を引いたものです」
そこでちゃっかり『女房の手を引いて』なんて言葉が出るのが何とも微笑ましい。
「ですが、ほら、ここはもうこんな人から忘れられたようなところでございましょう? 芸人さんの方でも棺桶に片足を突っ込んだ萎びた爺と婆に見せるより、活気のある若い方に見てもらいたいでしょうしな」
ほっほと笑う寅二に悲壮感はなく、それが当然であるかのような口ぶりだった。
「なぁんだよぅ、だったらおいらが見せてやるよ」
「はい?」
「おいら、いまでこそ石蕗屋のご厄介だけどさ、本職は軽業師なんだ。寅二さんが昔に見た芸よりもすっごいやつ、見せてやるって」
おいら、そっちならちょっとはやるんだぜ? と笑って、隣の部屋で飯の仕度をしていた彼の妻――名は『
「さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。いまならお代はいただかないよぉ~」
雪の上に立った飛助は、防寒具も全て脱いだ軽装で、ぱんぱんと両手を打ち鳴らし、声を張り上げた。何だ何だ、と家々の戸が開く。ぬぅ、と顔を出したやはり皺くちゃの老人達に向かって何か羽織って来いと身振りで伝えると、彼らは少々訝しがりながらもその通りにしてやって来た。
「さぁって、これより始まりますは、軽業師飛助の華麗なる芸にござぁい」
まずは――、と、その場でくるりと回って見せる。手を地面につけることなく、猿のようにくるくると前に後ろにと回った後は、寅二の家の壁に立て掛けられていた梯子を拝借し、それの脚を額に乗せた。倒れないようにとうまく均衡を保ちながら、「おぉい、伊那さぁん」と声をかける。
「何でございましょう」
「あのさ、悪いんだけど、硬い雪玉を三つ四つ作っておいらに投げてくんないかな?」
「三つ四つもですか?」
「そうそう。投げる時は一個ずつでお願いしたいけど」
「わ、わかりました」
そんな会話をしながらも、額の上でゆらゆら揺れる梯子は決して倒れることはなかった。
ややしばらくして雪玉を作り終えた伊那が「飛助殿、投げますぞ」と声をかければ、
「あいよぉ、ふわって投げてな。伊那さんの肩にかかってるんだからねぇ」
などとおどける。
「そんな大役を……」
と尻込みする妻の代わりに「どれ、飛助殿、ワシが」と寅二が一つふわりと投げた。
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