飛助のお遣い③

 幼い頃に一度だけ行ったことがあるというだけのその記憶を頼りに歩いていると、そういやそれが目印だったな、という地蔵を発見した。こんなところに一体誰が設置したのか、いまとなっては当然わからないのだが、それは六体あって、どれもかなり古ぼけていた。場所が場所だけに供え物などというものもなく、元々は赤かったのだろう前掛けも日に焼けて本来の色を失っている。


 飛助の記憶では確か六体だと思ったのだが、それは七つに増えていた。それだけ前掛けの色がまだ赤かったから、きっと誰かが新しく置いていったのだろう。頭の上に積もってしまっている雪をぱっぱと払ってやり、「ごめんな、いま何も持ってなくてさ」と言って手だけ合わせ、先を急ぐ。


 と。


「ううん、あれは何だ」


 思わずそんな声が漏れたのは、目指す方向に、雪をさらりと被った藁の束のようなものがあったからだ。

 

 誰かが捨てていったのだろうかと近付いてみれば、それは藁の束などではなかった。箕を被って蹲る老婆だったのである。


「えーっ! ちょ、ちょっと大丈夫?! おばあちゃん!? おばあちゃーん!」


 しっかりしてよぅ、と箕の雪を払って声をかけ続けると、弱々しくはあるが応えがあり、飛助はホッと息を吐いた。けれどもだからといって、はいさようならと去るわけにはいかない。


「おばあちゃん、家この近く? おいらが連れてってやるよ。ね、背負うからさ、ちょっとだけ立てるかい?」


 よっこいしょ、と痩せた老婆を背負い、掠れ気味の声で案内されるがままに歩く。どうやら葛桂くずがつらの者らしく、自分もちょうどそこに用があったんだよねぇ、などと明るく言って、彼女の家を目指した。


「はぁ、よっこら」


 そんなことを言って、老婆を布団の上に下ろす。家人――といってもこの老婆とそう変わらない年の亭主らしいが――が出払っていたため、火を熾してやると、何から何まで、と彼女は深く頭を下げた。


「良いよ良いよ。さっきも言ったけどさ、おいら元々ここに用があって来たんだ。旦那さんが戻って来るまでここにいるからさ、安心して横になってなよ」


 あはは、と笑ってから、あぁでも、と声を落とす。


「旦那さんに物取りとかと間違われたりするかな? あれ、むしろもう出てった方が良かったり……する?」


 顎を擦りつつ、ううん、と唸ると、すっかり顔色の戻った老婆が、


「アタシの亭主は、妻の恩人に向かって物取りだなんだと言うような阿呆じゃございませんよ」


 と言って笑うので、飛助も「そっか」と釣られて笑みを返した。


 その亭主が戻って来たのは、その直後のことで、彼は最初こそ見知らぬ若い男に驚いていたが、妻から事情を聞いて、これはこれはと手をついた。


「年を考えろといくら言っても聞きゃあしないお転婆でございまして」


 などと言いながら、恐らく客用のものであろう茶を淹れてくれたが、お世辞にも質の良いものではなかった。けれど、冷えた身体にはよく染みる。


「そのお転婆に、嫁に来てくれと泣いて縋ったのは誰でしたかねぇ」

「いやぁ、この年になると物忘れが酷くてのぅ」


 などと言って目を細める亭主の様子からして、それは事実なのだろう。

 

「なぁんだよぅ、一体何年連れ添ってるんだか知らないけど、まーだそんなにお熱いの?」


 独り身には目の毒だなぁ、とおどけてみせると、亭主の方は「これは見苦しいものを」と禿げ上がった頭を掻く。亭主が戻ってきた以上長居もしていられないと、残っていた茶を飲み干して飛助は腰を浮かせた。


「ああ、そうだ。寅二さんっていう職人さんのお家がどの辺か教えてもらえると助かるんだけど」

「寅二?」

「そうそう、腕の良い職人さんなんでしょ? おいらね、石蕗つわぶき屋の旦那様のお遣いで来たんだ。もし良かったら教えてくれないかな」

 

 丸い目を、きゅ、と細めてにこりと笑う。石蕗屋の姉さん連中からも可愛いと褒められるその笑みは年配にも大層受けが良い。ただ、雛乃からは、「嘘くさい笑顔ですわね。あざとくて嫌です」とバッサリだったが。


 べぇっつにお嬢様から不評でも良いもん。おいらの好みは年上のお姉さまなんだから。あ、あとタロちゃんと。


 笑み一つでそんなことをあれこれ考えていると、目の前の老人は、ほっほと笑って、くいくいと己を指差した。


「それでしたら、ほれ。ワシにございますよ」

「――え」

「ワシが寅二にございます」

「え、えぇ、そうだったのぉ?」

「石蕗の旦那様のお遣いでしたか。それはそれは」

「ああ、うん、そう……です。いやぁ、困った。おいらったら旦那様のご友人になんて失礼な態度を」

「ご友人だなんて大層なもんじゃございませんて。そんな畏まらんでくだされ」

「ああ、いやぁ。参ったなぁ……」


 職人という言葉から、てっきりもっと気難しくて武骨な老人を思い描いていた飛助は目の前にいるのが、それとは対極のような好々爺であることに少々拍子抜けして、力なく笑った。

 けれどそう言われてみれば、彼――寅二の指は聞いていた通りにごつごつと節くれだっており、長年の作業によるものなのか、数本、歪に曲がっているものもある。


「寅二さん、全然思ってた職人さんっぽくなかったから」


 正直にそう言うと、笑ったのはその妻の方である。


「そうでしょうそうでしょう。この人を訪ねてきた人はみぃんなそう言うんですよ。それにほら、こっちには道具も何も置いてませんし」

「てことは、やっぱりここで作業するわけじゃないんだ」

「そうです。仕事はこの奥の部屋で。ここには仕事を持ち込まないようにしているんですよ」

「アタシがね、許さないんですよ。だってほら、木くずやら何やら酷いもんですから」

「ああ、わかるわかる。おいらもちょこっと仕事で齧るから。うん、木くずはどうしようもないよねぇ」

「まぁ、恩人殿も職人で?」

「恩人殿なんてやめてよ。おいら、飛助っていうんだ。それとね、職人なんて大層なもんじゃないんだ。仕事の合間にちょっと彫り物をするくらいかな」


 確かにかつてはそうだったのだが、実はいまはもうすっかり逆転して彫り物の合間に仕事をしているのだとは、あえて言わなかった飛助である。

 

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