鶴女房③
そのうち飽きるだろう。
白狼丸はそう楽観的に考えていたのだが。
「白狼丸様、白狼丸様」
その度に、
「おい、白狼丸。お前の嫁さんが来たぞ」
と先輩連中が冷やかすものだから、白狼丸は日に何度もこめかみに血管を浮き上がらせて「こいつはおれの嫁じゃねぇ!」と叫ぶ羽目になる。
「そう照れるなよ、白狼丸。いつまでも夢で会った美女にこだわってないでさ。そりゃあちょっと若すぎてお前の好みじゃないのかもしれんが、だったらお前好みに育てりゃ良いんだしよぉ」
「そうそう、若い女ってのは、そういう楽しみもあるもんだ」
へらへらとそう笑うのは既に嫁も子もいる先輩方で、これがまた円満な家庭を築いているものだから、「結婚って良いものだぞ」などと無責任に勧めて来るのである。そりゃあ白狼丸にしても、結婚したくないわけではない。茜とならば、いますぐにでも祝言を挙げて名実共に夫婦の仲になりたいのだし、出来ることならこの長屋を出て居を構え、二人きりの生活を送りたい。
出来ることならしてるっつぅの。
そんなことをぽつりと呟く。
貯蔵庫の寒桃が切れたのは昨夜のことで、「また仕入れなくちゃねぇ」というお峰母さんを必死に説得し、せめて春までは勘弁してくれ、と話をつけたばかりである。
だから、今夜こそは、と考えている白狼丸だった。
今夜こそは茜に会って、まずはしっかりと誤解を解かねばならぬ。太郎の方にはあの後きっちりと説明をしたが(それにしても、太郎の方は「そうなのか」程度の反応だったが)、それが茜の方にも正しく伝わっているとしても、やはり目と目を合わせて話がしたい。
だから、もらった菓子を一緒に食べましょうと微笑む千鶴を素っ気なくあしらい(そもそも本当に菓子なのかもわかったものではないし)、お節介焼きの先輩方の声も無視して、白狼丸は仕事に戻った。
太郎の方とはあれからなかなか会えずじまいである。
食堂の利用時間が合わず、もちろん相変わらず一緒に風呂に入ることも叶わない。部屋を訪ねれば、もう寝ているのか、戸を叩いても応えはなかった。
まさか避けられているわけではあるまいな。
そう考えたりもするが、太郎に限ってそんなことはないだろう。白狼丸はそう思うし、飛助もそう言っていた。何せ太郎は昔から白狼丸にべったりなのだ。
けれども仮に。
茜の方が会いたがっていない、と考えたらどうだ。
自分の好いた男――というか夫が目の前で唇を奪われた上、その女が自分よりもずっと近いところにいる。面と向かって止めろとも言えない。桃のせいで表にも出られず、太郎の内側にこもってまた一人で泣いているかもしれない。
そう考えると、なんとなく太郎の顔色も悪かったように思えてしまう。
とは思うものの。
この手の相談が出来るのは、この長屋内では飛助くらいのものである。けれどその彼は、一昨日から平八に用を言いつけられてここを出ている。
何でも、
普段何かと衝突する、まさに犬猿の仲の飛助だが、いなけりゃいないで張り合いがなく何ともつまらない。さらに太郎にも会えないとなれば、心に再び大穴が空いたような気がして、そこに吹く風の冷たさに、白狼丸はぶるりと身を震わせた。
もそもそと一人で白米を食んでいると、断りもなく隣の椅子が引かれて、卓の上に盆が乗せられる。それがまた肩が触れてしまうほどに近いものだから、白狼丸はその相手を確認するまでもなく自身の椅子を動かして距離をとった。
「どうして逃げるのです、白狼丸様」
やはり隣にいるのは千鶴で、前髪の下の眉を、きゅ、と寄せて切なそうな顔を向けている。
「どうしてもこうしてもねぇこった。何度も言うが、おれはお前を娶るつもりなんざこれっぽっちもねぇ」
「そんな、つれないことをおっしゃらないでくださいな」
「お前な、ほんといい加減にしろ」
「だって白狼丸様は、独り身なのでしょう? 姉さん達がそうおっしゃっておりました」
「うぐ……。独り身、ではあるが」
いや、対外的にはそうなっているだけで、本当は妻帯者なのだ、と声を大にして言いたい。けれど、まさかこの場で言えるわけがない。
「だったら良いではありませんか。倉庫の兄さん達もお似合いだとおっしゃってくれています」
「あの人達はな、どんなおかちめんこでもそう言うんだよ」
「そんな」
涙混じりの声と、ぐす、と鼻を啜る音が聞こえてくると、さすがの白狼丸も居心地が悪い。この雰囲気に呑まれてしまわぬように、とにかくな、と声を張って、
「おれはお前のことを娶るつもりなど一切ねぇからな!」
勢いよく立ち上がると、まだ茶碗に残っていた飯をその状態で食って、ごっそさん、とお峰母さんの元へ盆を返し、足早に食堂を出ていった。
ぽつんと一人残された千鶴は、さめざめと泣きながら、さらに塩辛さを増した味噌汁を啜った。
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