鶴女房②

「何だよ、やっぱ心当たりあんじゃんか」


 あ、の口のまま固まっている白狼丸に向かって飛助が呆れたような声を出す。白狼丸は、いや、それが、などと言いながらその場にすとんと座り、腕を組んで「いや、でもまさかそんなことが」などと呟いている。


「ほら、ちょっと話してみなよぅ。場合によっちゃおいらも姐御には告げ口しないからさ」


 ということは、場合によっちゃ告げ口するってことじゃねぇか、と半眼で睨むと、まぁねぇ、という言葉が返ってくる。

 もうどんな話をしてもどうせ伝わる――というか、何ならいまだってこの部屋のどこかに潜んでいるかもしれないなどと思えば、黙っていても仕方がない。


「おれが言うのも何だが、絶対に信じらんねぇ話だぞ?」


 そんな前置きをして、少し離れた位置にいる葉蔵も手招き、男三人が車座になって顔をつき合わせた。何ともむさ苦しい構図である。


「鶴を、な」

「鶴?」

「おう。旦那に頼まれて桃望沢の方に遣いに行ったろ。そん時にな、ついでだからと故郷の村に寄ったんだ」


 とそこで、無意識にか胸元に手が伸びた。

 あの時太郎のじい様から預かった文をここに挟んでいたからだろう。あれを渡した時の太郎の笑みを思い出して、胸がじわりと温かくなる。彼は、それを壊れ物のようにそっと開いて読み終えると、内容などそう大したものでもないというのに、優しく胸に抱いて白狼丸に礼を言ったのだ。わざわざ寄ってくれたのか、ありがとう、と溢れんばかりの笑みを向けられれば、疲れも何もかも一気に吹き飛んだものである。


 そんな宝物のような思い出に浸っている場合ではない、と白狼丸はわざと大きく咳払いをした。


「そんで、その時に罠にかかった鶴を見つけてな。割と小せぇやつだった。子どもか、若い雌かってくらいのな。さっきの女の歯型は、そいつの足に食い込んでた鋸歯と同じだった」


 とそこまで言って、ちらり、と二人を見る。飛助も葉蔵も何とも言えない複雑な表情で彼を見つめていた。


「何だよ、そのつら

「いや、別に」

「うん、別に。何もない、よなぁ。なぁ、飛助?」

「ええ、そりゃあもう」

「信じてねぇだろ」

「いや、信じろっつぅ方が無理な話だと思わない?」


 だってさ、と飛助が大きなため息をつく。


「てことは何? さっきのお嬢ちゃんがその助けた鶴ってことでしょ?」

「ま、まぁそういうことに……なるん、だろうな?」

「いや、狐や狸ならまだしもさ。鶴だよ? 鶴が人に化けるなんて、おいら聞いたことないんだけど」

「そんなんおれも聞いたことねぇよ」


 狐や狸ならまだしも、と白狼丸が飛助の言葉を繰り返すと、今度は葉蔵が「あ」と発した。そこで白狼丸も気付いて「あぁ」と言う。何だ何だ、いきなり何を通じ合っているのだと、飛助が二人を交互に見つめていると――、


「狐か」

「いや狸かもしれんぞ」


 と眉を顰める。


「ねぇ、何の話? 白ちゃん? 葉蔵兄さん? ねぇねぇ」


 自分だけ蚊帳の外かよ、と焦り出した飛助が葉蔵と白狼丸の肩を揺する。すると彼らは揃ってげんなりした表情を作るのである。


「倉庫係の先輩の話なんだけどさ」


 そう葉蔵が切り出すと、飛助は「っあー、良いです良いです。倉庫係の先輩って、庄之介兄さんでしょ? だったら」と慌てて両手を振った。


「おい、そこまで毛嫌いすんなよな」

「ちょっと、おかしなこと言わないでよ白ちゃん。おいら何も嫌いなんて言ってないじゃん」


 ただちょーっと話が長くてつまらないだけで、と視線を逸らす。


「おいおい、紙資材係の方にまで我が倉庫係の汚点が知れ渡っちまってんのか」

「いやいや葉蔵さん、汚点ってアンタ。あの人一応先輩な」

「まさかお前にそんな指摘されるとは思わなかったよ白狼丸。いや、それよりもだ。安心しろ飛助。庄さんから聞いた話ではあるが、何、かいつまめば長い話でもないんだ」

「なぁんだ。それなら」


 どうぞ、と促された葉蔵が簡潔に語ったのは、最近巷では人を化かす狐や狸がいるらしい、という、ただそれだけの話である。


「成る程。確かに鶴はちょっとと思うけど、狐や狸ならありそうですねぇ」

「だろう?」

「てことは? あの娘は狐か狸が化けて……?」

「あの顔つきならどちらかといえば狐だろうな」

「まぁ、どちらかといえば、そうかもね。うん、狸っぽい丸みはなかった」


 しばし、しん、と静かな時が流れた。


「でもなぁ、あん時助けた鶴は、罠を外した後、普通に空を飛んでったんだぞ? いくら狐が化けてても空は飛べねぇだろ」


 まだ納得がいかない様子の白狼丸が言う。


「だからさ、それは本物の鶴なんだろうよ」

「そうそう、その現場をどこかで見てた女狐がさ、こりゃあ良いネタを見つけたぞ、ってんで」

「で? わざわざ足におんなじ歯型こしらえてきたってか?」

「そういうことだろうな。あの歯型だって、よくよく見たら化粧か何かかもしれんぞ」


 足を引きずっていたのだって演技の可能性もある、と言われれば、確かにな、とも思う。

 

 とにもかくにもこの話し合いにより、この三人の中であの娘は、人を化かす女狐だろう、と結論付けられたのだった。


「とりあえずさ、気を付けなよ、白ちゃん」

「何にだよ」

「食いもんとか差し入れられても、絶対に食うなよ? 馬の糞かもしれないよ?」

「うげぇ、マジかよ」

「そうだな。あり得る話だ。そんじゃ茶は馬の小便だな。ははは」

「おい、葉蔵さんまで。そんなん言われたらもう何も飲み食い出来ねぇだろ」

「あの娘からのだけ避けときゃ良いんだよ。相手にされねぇってわかったら、そのうち飽きて帰るって」

「そう、だよなぁ」


 それよりも、白狼丸がこっぴどく騙されて相手の気が済めばもっと早くに帰るんじゃなかろうかとも葉蔵は考えたが、そこは黙っておくことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る