訪ねて来た女②
「あー、その、何だ。あのな、何だかよくわからんが、おれはお前のことなんか知らねぇしな?」
知らねぇ女を娶るわけにはなぁ、などと回りくどい言い方をしたのは、その娘にはやはり覚えがなかったからである。多少見知った女であれば強く出ることも出来たのだが、どこの娘かも知れぬ者を感情のままに叩き出せば、店にも迷惑がかかるかもしれない。白狼丸にしてはかなり気を遣った方である。
すると彼の真向かいでもじもじと着物の袖をいじっていた娘は、恥ずかしそうに身を捩らせつつ足を崩して、裾をほんの少し捲りだした。
なんてはしたない、と女中達の方からそんな声が聞こえる。声の主はここの一人娘である雛乃であった。
すそそそ、と畳の上を滑るようにして太郎の隣に移動すると、「あのように足を見せるなんて、わたくしだったら致しませんわ」などと小声で憤慨している。太郎に対し、自分はそのような女ではないのだというのを強調したいらしく、その反対側に座る飛助は、相変わらずだなぁと笑いを噛み殺している。
もちろん太郎はというと、その女が足を見せたことも、雛乃の言葉にもこれといって心を動かされた様子はなく、ただ、「そうなんですね」と返すのみだったが。
さて、白く細い足を晒した娘である。
「これに覚えがありませんか」
続いて吐き出されたその言葉に、後ろの従業員達の大半が揃って身を乗り出した。その中には当然飛助もいる。急に周囲がざわつきだしたことに、太郎は全くついて行けず、とりあえず自分も腰だけは浮かせてみたものの、ここからどうしたら良いのやらと辺りを見回すのみである。
「ゆっ、有罪っ! これは有罪だよ白ちゃん! よりによってそんな趣味があったのかよ、こンの
「何だよ有罪って! 知らねぇ! 断じておれじゃねぇ! そんな趣味はねぇっつうの!」
「白狼丸、そんなに生きた人間が食いたかったのか。言ってくれれば」
「タロちゃんも『言ってくれれば』とか言わない! ていうか、言ってくれればって何?! まさか俺を食えとか言い出すんじゃないだろうね?!」
「だって」
「だっても糞もあるかぁっ! もうタロちゃんはしばらく黙ってて!」
「え。わ、わかった」
「お前が黙れぇっ!」
当の本人よりも熱くなっている飛助に向かって檄を飛ばすと、白狼丸は、激高したままぜぇはぁと肩で息をし、返す刀で娘の方を睨みつけた。
「覚えなんざあるわけねぇだろ! お前も! お前のその足の歯型にも! まぁったく覚えはねぇっ!」
いよいよ堪忍袋の緒が切れた白狼丸は立ち上がった。いまにもその娘を蹴り飛ばしかねない剣幕に、倉庫係の男衆が慌てて彼を取り押さえる。
「待て、落ち着けって白狼丸!」
「んだよ、離せよ伊助さん! どうせ
「お前なぁ、こんな若い娘さんにそりゃあねぇだろ」
「うるっせぇな、詐欺に
「よく見てみろよ白狼丸、なかなか可愛い娘さんじゃないか。何もいきなり娶る娶らないの話じゃなくてもさ、お付き合いくらいしてみたらどうだ。な?」
「馬鹿言うんじゃねぇぞ葉蔵さんも! おれにはな――」
とつい茜の名を出しそうになって止まる。
その名を出したところでどうなる。
そんな相手がいるのなら連れて来いなどと言われたらどうするのだ。
馬鹿正直な太郎は、自分がその茜であるとか、実は自分の正体は女鬼で、などと彼のために白状しかねない。
信用されたらされたで鬼などと一緒に働けるわけがないと追い出されてしまうだろうし、下手すりゃ奉行所へしょっ引かれるかもしれない。かといって信用されなかったとすれば、太郎はただの空気の読めない痴れ者になってしまう。
いずれにしても、太郎のことは何としても自分が守らねばならぬ。
自分さえ堪えれば、良いのだ。
女の幻を見る阿呆でも何でも良い、自分なら痴れ者でも、腫れ物でも良い。
けれども太郎だけは、こいつにだけは憂い顔をさせてはならぬ。
そう思って、ぐ、と歯を食いしばる。
白狼丸の勢いがわずかに萎んだのを見計らって、平八がまぁまぁ、と割り込んできた。
「落ち着け、白狼丸。お前というやつはそういうところが短気で良くない。見ろ、娘さんを。可哀相じゃないか」
そう言われて娘を見やれば、目に涙を溜めてカタカタと震えている。
「おい、若菜。娘さんを女中部屋で休ませてやんなさい」
名を呼ばれた若菜という名の女中は、はぁい、と気の抜けた返事をして駆け寄り、ほら行こ行こ、と娘の手を引いた。ぐすぐすと鼻を鳴らして立ち上がった娘は、未練がましく白狼丸の方をじぃっと見つめた後で、一つ決意したように頷くと、若菜の手を振り払い、傷む足を引きずるようにして彼の方へと駆け出した。
そして未だ男衆に羽交い絞めにされている白狼丸の眼前に立つと――、
ちゅ、とその唇に自身のそれを重ねて、再び、
「あなたの妻にしてください」
と言った。
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