白狼丸の帰宅②

 相変わらず狭い室内である。


 太郎は、小さな行灯の淡い光の中、部屋のちょうど中心に座っていた。

 いつもはしゃんと伸びている背中が今日はちょっと傾いでいて、足も斜めに崩されているため、何だか女のようにも見える。


 もしや茜か? とも思ったが、こんなにも桃の香が満ちている中で彼女が姿を現すとは思えなかった。それに、体格は華奢ではあるが立派な男のそれである。


 狭すぎて火鉢すら置けない部屋はきりりと冷えていて、誰かが貸してくれたらしい半纏を被ってはいるものの、それでもまだ寒そうである。


 いま時期でこうなら、冬はどうなっちまうんだ。


 こりゃああの狸親父平八をぶん殴ってでももっと広い部屋を用意させねばならんな、などと思いつつ、羽織っていた白狼の毛皮をその背中にかけてやろうとすると、「駄目だ、白狼丸が冷える」と固辞される。


「おれは良いんだよ。お前の方がどう見たって病人だ」

「何も病人ってわけじゃ」

「立派な病人だろ。そんな血の気の引いた顔してよぉ」


 そう言って無理やり毛皮を着せてしまうと、太郎は一度ふるりと震えた後で、はぁ、と深く息を吐いた。眉間のしわが解けていくのを見て安堵し、「それで?」と顔を背けてぶっきらぼうに言う。茜ではないものの、いまの太郎は何だか目に毒だ。


「……お帰り、白狼丸」

「ううん? お、おう」


 まさか、わざわざそれだけのために? と拍子抜けするが、生真面目な太郎のことだ、ないことではない。ただいま、と返しながら彼を見ると、安心しきった顔で目を細めていた。

 

 何だよ、たかだかおれが帰って来ただけで、そんな顔しやがって。


 そう思うものの、白狼丸とて嬉しくないわけがない。


 そうだ、文を――と懐に手をやったところで、すい、と距離を詰めてきた太郎が白狼丸の胸に凭れかかってきた。


「――!? た、太郎!?」


 いや、やはり茜なのだろうか。


 その肩を抱くべきなのか、それとも振り払うべきなのか。どうしたものかと両手を半端に浮かべていると、もぞり、と太郎の頭が動いた。物言いたげな上目遣いで、じぃ、と白狼丸を見つめている。その顔はやはり男の太郎である。


「白狼丸」

「な、何だ」

「抱いてくれないか」

「ひえぇっ! だ、だだだ抱いてくれって、おま、お前!」


 おい姐御、見てるんだろ。お前の可愛い坊がとんでもないこと言い出してんぞ! おい、出て来いよ! 何か投げて寄越せや! 手裏剣とか鳥の子とか、忍びなら持ってんだろぉっ!?

 いや、待てよ。もしかしてそもそも姐御の仕業か!? また一服盛ったんじゃねぇだろうな!?


「どうしたんだ白狼丸」

「どうしたもこうしたもねぇよ! お、お前、そういうのは茜の時にって……!」

「はぁ? 何を言ってるんだ」

「な、何をって。だから、その、お前を抱くって話で」

「そうだ。昔はよくしてくれただろ?」

「む……、昔?」

「長雨が続いてなかなか会えなかった時には、してくれたじゃないか」

「あ、あぁ、そゆこと……」


 太郎の求めているのが、あくまでも友としての抱擁であることに気付いて、額に浮かんだ汗を拭う。こんなに冷えた夜なのに、何やら全身が熱い。


 仕方ねぇな、と彼の身体を包んでやる。


 彼の言うとおり、長雨が続くと二人はなかなか会えなかった。屋根の隙間から漏ってくる雨が、受け皿として用意された盥の中に落ちる音を聞きながら、早くお天道様が顔を出しますようにと祈った白狼丸である。恐らく太郎も同様だっただろう。


 彼の願いがやっと届いて太陽が顔をしっかり出した朝には、一も二もなく飛び出して、ぬかるむ山道を駆け下りた。けれど、こんなに焦って会いに来たと思われては恥ずかしい。あと少しというところで立ち止まり、呼吸を整えてから、胸を張ってのっしのっしと太郎のもとに向かっていた白狼丸である。


 待ち合わせ場所のようになっている集落への入り口で、ずっと昔からそこにある切り株にちょこんと腰かけている小さな太郎は、白い毛皮がわさわさとこちらへ向かってくるのを見つけると、遠目でもわかるくらいにそわそわし出す。それを見るのが白狼丸は好きだった。本当は駆け出して飛びつきたいのだろうが、男としての矜持がそれを踏みとどまらせているのだろう。


 何かあるごとに、私は男ですと虚勢を張る弟分が白狼丸には堪らなく可愛かったものだ。


 そして山を下り切って太郎の前に両手を広げると、彼は決まって恐る恐る遠慮がちに、その中に入ってくる。その小さな身体をぎゅうと抱き締めてやると、「白狼丸殿、苦しいです」などとまだ他人行儀な言葉遣いで嬉しそうに言うものだから、つい彼も調子に乗って、そのままぐるぐると回ったり、高い高いと投げてやったものだ。


 そんなことを思い出して、浮かびかけた邪な考えを打ち消し、これはあくまでも友としてのアレだから、と何度も言い聞かせつつ、ぎゅ、と両腕に力を込める。


「苦しいよ、白狼丸」


 やはり彼はそう言ったが、あの時と同じく、その顔は笑っていた。

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