白狼丸のお遣い①

 桃望沢とうぼうざわにある、平八の弟夫婦のところへ菓子を届けるという遣いを終えた白狼丸は、来た道を若干逸れ、つい数日前にも訪れた故郷の方へと足を運んでいた。


 白狼丸の故郷の村は、そこに住む者達はただ『川上の村』と呼んでいるが、本来は『桃万とうまん村』という名で、万日の間、ただの一日も切れることがなく桃が生ることからそうつけられたらしい。一万日といえば約二十七年であるわけだが、村長の話では、彼が生まれる前からずっと、どんな季節でも桃は常にあったらしいので、万日どころではない。

 

 すっかり冷えた秋の風の中に、嗅ぎ慣れた桃の香を感じ取り、白狼丸は目を細めた。

 先日もらった給金で日持ちのする菓子をいくつか土産として買ったので、とりあえず村長にでも押し付けてやれば皆に行き渡るだろう。


 配り回るなんて柄じゃねぇし、などと考えながら、さくさくと山道を歩く。


 桃万村へ立ち寄るのはついでのついでである。本当の目的は、桃万村を流れる白寿はくじゅ川を下ったところにある太郎の集落だ。この集落にはこれといった名などなく、ただ、川下の集落と呼ばれており、住んでいるのも太郎の育ての親である老夫婦の他には、数軒の家がぽつぽつと点在している程度である。それもご近所、などと言えるような距離でもないため、家々の交流などはあってないようなものだった。ひたすらだだっ広い野っぱらに、粗末な家がぽつんぽつんとある、そういった集落である。


 先日、鬼ヶ島の帰りに寄った際には、手土産などという気の利いたものもなかったから、今日こそは自分達が働いている店の菓子でも食わせてやろうと思ったのである。まさか自分がこんな気を回せるような人間になろうとは、と我ながら驚いてはいるが、それもこれもあの底抜けに優しくて生真面目すぎるがゆえに融通の利かない無二の親友のお陰なのだと思うと何とも面映ゆい。


 ここまでくればもう少しだと、手頃な岩に腰かけて竹筒に汲んだ湧水で喉を潤していると、向こうの草むらが、風もないのにがさがさと揺れているのに気付いた。

 獣でもいるのかと、竹筒を肩から下げた打飼袋うちかいぶくろにしまって腰を浮かせる。狸や兎なら土産が増えたと喜ぶところだが、熊や猪だとしたら厄介である。どちらもまだ子なら勝ち目もあるが、大抵の場合、親も近くにいるものだ。下手に手を出すとまずい。


 さてどうする、と額に汗を浮かべていると、クルルォ、クルルォ、という鳴き声が聞こえてきて、白狼丸は何だ、と安堵の息を吐いた。声を聞けばなんてことはない、あれは鶴だ。ならば仕留めるのも可哀相だと思い、そのまま立ち去ろうとしたところで、ふと、さっきの鳴き声がやけに弱弱しかったことが気になった。


 怪我でもしたか、死にかけているのか。


 かといって自分にしてやれることは何もないが、苦しんでいるのならばいっそ一思いに絞めてやった方が良いかもしれない。

 そんなことを考えて、白狼丸はその鶴を刺激しないようにと慎重に草むらをかき分けた。


 そこにいたのはやはり鶴である。身体が小さいから若い雌かもしれないし、まだ子どもの可能性もある。見れば、その細い足に、ぎっちりと罠が食い込んでいた。


「成る程、これか」


 羽さえ傷ついていないのならば、外せば逃げられるだろう。その後のことまでは面倒見切れないが、ここで会ったのも何かの縁だ。これを仕掛けた猟師には悪いが、逃がしてやることにしよう。


「おい、暴れるなって。外してやっからさ」


 精一杯の優しい声をかけてやるが、鶴に人の言葉がわかるはずもない。鶴は人間が近づいてきたことでさらに興奮し、どうにか逃げようと懸命に羽をばたつかせている。顔も身体もその羽まみれにされながら、白狼丸は罠に手をかけた。


「くっそぉ。おれじゃなかったら、お前、この場で縊り殺されてんだからな!」


 そんな無駄口を叩きつつ、ぎっちりと食い込んだ鋸刃をぐいと開いてやると、ひっきりなしに羽を動かしていた鶴は、そのままばさりと飛び去ってしまった。


「まぁ、礼を言われるとは思ってなかったが。やけにあっさりしたもんだ」


 あっという間に小さくなるその身体を見送って、太陽の眩しさに目を細めた白狼丸は「こんなところで油売ってる場合じゃねぇんだった」と急ぎ足で村へと向かった。


 

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