庄之介の噂話②
あくまでも、単なる噂話なのだという。
狐だが狸だかはわからないが、最近、人を化かす厄介なのがいるらしい。
どこそこの誰それが娶った女が狐だったとか、
山道で困っている老婆を親切心から助けたら、その礼にともらった饅頭が馬の糞だったとか。
「そんなくだらねえ話であんなに拘束されてたのかよ……」
そう言って白狼丸が眉を顰めると、葉蔵は「庄さん、おんなじ話五回も六回もするんだ。さすがの俺でもそれさっきも聞きましたって六回目に言ったよ」と葉蔵はげんなり項垂れた。
そんな彼を容赦なく「そんなん二回目の時点で言えよ」と笑い飛ばすと、「お前と俺は違うんだよぉ」と泣き言が返ってくる。
本当に泣き出しそうな面を見て、白狼丸は小さく息を吐き、「ほら、これでも食って元気出せや」と食後の口直しにと添えられている桃を差し出す。良いのか? と葉蔵は目を輝かせてそれに手を伸ばした。
瑞々しく果汁を滴らせたそれは、間違いなく当たりの桃だ。幼い頃から桃に囲まれて育った白狼丸には食べずともわかる。白狼丸の村は、それはそれは美味い桃が季節を問わず年中実るところだったから、白狼丸だってそれは決して嫌いではない。
けれど、彼が。
太郎がそれを好まないのだ。
好まない、などという言葉では片づけられないほどに。
だから桃は、友として、そして、茜の夫として、絶対に避けねばならぬものなのである。最も、当の本人は自分さえ食わなきゃ問題はないのだと「俺のことは気にせずに食えよ」と強がりでも何でもなくさらりと告げて来るのだが。
ただ、今日の飯に桃が出たということは――、
「今日も会えないのか」
そうぽつりと呟いて、がくりと肩を落とす。
桃は魔除けの果実だから、それが近くにあるというだけで、鬼である茜は表に出て来られない。ここから離れた青果店に並ぶ程度ならまだしも、こんなに桃の香りが漂う長屋で、彼女が顔を出すわけがないのである。
「何か言ったか?」
美味そうに桃を頬張っている葉蔵が呑気な声で尋ねてくる。「いんや、何も」とだけ返して、冷めた茶を啜った。
さて、仕事の続きだと食堂を出、作業場へと歩く。その途中で葉蔵が、「なぁ」とやけに思い詰めたような声で言った。
「何だよ」
午後の作業内容を頭の中で反芻してうんざりしていた白狼丸が面倒臭そうに返すと、葉蔵は、まだ何かを噛んでいるかのようにむぐむぐと口元を動かしている。
「どうした。歯に何か挟まってんのか?」
楊枝なら食堂で――、と言いかけた時、「そうじゃなくてさ」とその声を遮られる。せっかちな性分なのか、彼はこうして言葉を被せる癖があるらしい。
「お前と太郎は、そういう仲じゃ、ないんだよな?」
慌てて被せてきた割には、ゆっくりと、確認するかのように尋ねられる。
「そうだっつったろ、さっき」
と、軽い調子で返すと、葉蔵は「良かった」と息を吐いた。
それじゃあさ、と白狼丸に向けられた瞳は、先程の桃に向けられたものよりも輝いている。
「俺が狙っても良いってことだよな?」
ぱぁっと表情を明るくさせて告げられた言葉に、思わず「はぁ?」と気の抜けた声が出る。
「だからさ。お前と太郎は何でもないんだろ? ただの友達――っていうか幼馴染み、ってやつなんだよな?」
「お、おう」
「そんで、飛助のやつも、まぁどう見たってあいつの一方的な恋慕だ。てことは、俺がそこに割り込んでも良いということだろう?」
「ま、まぁそうなる……けど。何だよ葉蔵さん、アンタそっちだったのか」
思わず彼から距離をとるが、いやいやいやいや、と葉蔵はちぎれんばかりの勢いで首を左右に振った。
「俺だってな、女が好きだ。だけど、うん、なんていうかな。太郎はまた違うんだよなぁ。男とか、女とか、もうそういうのじゃないんだよ」
「それはまぁわかる気がするけど」
現に太郎は、店に来る男性客共を次々と
「だからさ、別に俺は男なら誰でもってわけじゃないんだ。そんなに警戒するなって。お前のことをどうこうしようって気は全くないから」
ははは、と笑って気安く肩を叩く。それに白狼丸は「おう」とだけ返した。
まぁ確かにこの店の男衆も、まかり間違って太郎の方から誘われるなんてことがあれば断る人間の方が稀だろうな、などと白狼丸は考える。男とか女とかそういうものではない、というのは葉蔵の弁だが、一理あると彼は思った。
何せ太郎自身は確かに男ではあるが、彼の中にはそれはそれは美しい女鬼がいるのだ。あの内側から滲み出るような妙な色気もそこに起因するのかもしれない。
「というわけで」
「――うん?」
太郎について考えを巡らせているところへ、再び肩を叩かれる。年の割に若い顔立ちの葉蔵が、にんまりと笑って彼を見つめていた。
「太郎について色々教えてくれ」
「はぁ? 色々って何だよ」
「色々は色々だよ。お前が一番長い付き合いなんだから、詳しいだろ?」
「詳しいだろって言われてもなぁ。何を教えりゃ良いんだ」
「そうだなぁ。ほら、趣味嗜好とか、そういうやつだよ」
「うへぇ。面倒
「そう言うなって。頼むよ」
なぁなぁ、と両肩を揺すられれば、いよいよもって面倒になり、差し当たってこれだけは伝えておかねばなるまいと――、
「とりあえず、あいつはすげぇ人見知りだから、あんまりべたべた触んな」
とだけ言ってやった。
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