桃嫌いの桃太郎と恩返しの物語達

宇部 松清

「あなたの妻にしてください」

倉庫係の年近い先輩

庄之介の噂話①

「なぁおい、聞いたか?」


 噂話が好きなのは、何も女ばかりと決まったわけではない。

 興奮気味の庄之介しょうのすけの声に「聞いてねぇ」と生返事をし、白狼丸は今朝方入荷したばかりの小豆袋と帳面とに視線を往復させた。


「何だよ、つまらねぇやつだなぁ」


 白狼丸はくろうまるが食いついてこなかったことに落胆した庄之介が、大袈裟に肩を落としてから、次の獲物を探してキョロキョロと首を左右に振った。

 そんな彼とばっちり目が合ってしまった葉蔵ようぞうは「やべぇ!」と肩を竦めて慌てて視線を逸らしたが、時すでに遅しである。


「おぉ、葉蔵は聞いてくれるな」


 などと言われてその肩を取られてしまっては逃げ場もない。また、彼はまだ十九と年も若く、白狼丸がここで働き始めるまでは一番の下っ端だったこともあって、「はぁい」と力なく答えるしかなかった。


 葉蔵さん、御愁傷様。こりゃあ今日は残業だな。


 同情し、心の中で手を合わせてやるも、かといってそこを代わってやれるほど白狼丸の心は広くない。これがきっと太郎ならば、「では私が伺いましょう」と進んで犠牲になるのかもしれないが。


 底抜けに優しくて生真面目な友の姿を思い出し、白狼丸は密かに頬を緩めた。



「災難だったな、葉蔵さん」


 やっと開放されたらしい葉蔵が、何やらげっそりとした様子でやりかけの帳面に手を伸ばす。白狼丸の声に振り向いて「そう思うなら助けに来てくれても良いだろ」と眉を下げた。


「やだよ。庄さんの話、っげぇ上につまんねぇんだもん」

「その長くてつまらない話を俺が引き受けたお陰で、お前の作業が捗ったんだと思わないか?」

「思ったから手伝いに来てやったんだろ。感謝しろよな」

「そりゃどうも」


 葉蔵はもちろん、ここで働く者達は皆、白狼丸という男が、ほんの数年前までは人の仕事を手伝うような人間ではなかったことを知らない。

 寺の供物を盗んで食い、道端の花を理由もなく踏み荒らし、嵐で橋が壊れたと村人が総出で修補にあたっている時も知らん顔して素通り――するだけならまだしも、泥団子を投げつけてくるような悪童だった。


 しかし、太郎が友達になってからというもの、


「白狼丸殿、おばあさんがお団子をたくさん作ってくださいましたので、村の子らにも分けに行きましょう」

「白狼丸殿、村の外れにある桜が見頃にございます。誰か大人に教えに行きましょう」

「白狼丸殿、あそこの家、屋根が壊れてるではありませんか。一緒に直しに行きましょう」


 自分は酷い人見知りだというのに、そんなことを言って、彼を引っ張るのである。拒否しようにも太郎は彼より小さい癖に力が強く、それで渋々村の輪の中に入っていくことになるのだった。

 けれどそうなると今度は、言い出しっぺの太郎が白狼丸の背に隠れてしまうのである。そんなに人が嫌ならなぜここまで引っ張ってきたのかと呆れながらも、だからといって引き返そうとすると、その大きな瞳に涙を溜めてふるふると首を横に振るのであった。


 その必死さに負けて付き合ううちに、彼の中の当たり前が少しずつ変わっていった。


 春には桜の開花を誰よりも早く知らせ、

 夏には川釣りの仕方を子ども達に教えてやる。

 秋には木の実やらきのこやらをどっさり採っては家々に配って回り、

 冬になれば老夫婦の家の屋根の雪をおろしてやるようになった。


 とはいえ粗暴な態度は相変わらずだったから、腫れ物のような扱いであることには変わらなかったが、それでも村の大人達は「あいつもやっと大人になったか」と苦笑いだったという。ただ、白狼丸の方は変わったというのに、太郎の人見知りはそのままだった。その点については少々納得のいかない白狼丸である。

 


「何とか午前の分は取り戻せたな」

「いやぁ助かったよ白狼丸。しかし、悪かったな」

「何がだよ。そもそも葉蔵さんが庄さんの相手をしてくれたから――」


 遅めの昼食を食べに食堂へと向かう道すがら、葉蔵が「そうじゃなくて」と白狼丸の言葉を遮る。


「昼飯……、太郎と食う約束してたんじゃないのか?」


 視線を右へ左へと泳がせて、さらにうんと声を落とす。まるでとっておきの内緒話でも打ち明けるかのようである。それがあまりにもあからさまだったので、白狼丸は、成る程、と思った。


「葉蔵さん、別に約束なんかしてねぇって。そりゃな、たまたま時間が被る時もあるし、そうなりゃ一緒に食うけどよ。ただ――」

 

 そこまで言って、葉蔵の肩を強めに叩く。


「おれ達は何もってわけじゃねぇんだから、四六時中ひっついてなきゃ駄目だってことはねぇんだって」


 いてぇな、と顔を歪める葉蔵に、尚も「第一、男同士だぞ?」と明るく言い放つと、彼らの仲をそう思っていたらしい彼は、「な、何だ」と拍子抜けしたような声を上げた。


「いや、俺はてっきり……。ほら、お前達何かといつも一緒だし、こないだも三人で数日店を離れてたろ。飛助とびすけの方かとも思ったんだが、ありゃあどう見てもあいつの一方通行だしさぁ」


 ということは少なくともおれとはそう見えていないのか、と白狼丸は密かに優越感に浸る。


「しかし、葉蔵さんは優しいなぁ」

「何が」

「おれと太郎がデキてると思ったから、一緒に飯行くの悪いなって思ったんだろ?」

「そりゃあ、まぁ」


 ありがてぇありがてぇ、などとおどけつつも、心の中ではほんのわずかにどきりとしている。


 、違うんだけどな、と。


 太郎とは恋仲ではないが、夜半になると現れる女鬼めおにの『茜』は彼の恋人――いや、妻なのだ。


 夜にしか会えず、また、人ならざるものであるがゆえに、大っぴらに紹介出来るものではないため、『真夜中に出会った、この世のものとは思えぬほどに美しい女』は、白狼丸が見た幻想ということになってしまっている。


 皆が寝静まった夜半の間だけとはいえ、この長屋に鬼がいると知られれば、ここを追い出されるかもしれないし、それだけでは済まないかもしれない。捕えろ、首を落としてしまえ、などと騒がれれば厄介だ。

 当然白狼丸も飛助もそうはさせじと抵抗するし、あの抜け目ない元忍びの青衣あおいだってどこからか聞きつけて加勢するだろうが、心優しい太郎のことだから、自らその首を差し出しかねない。厄介というのはそっちの意味である。


 だから白狼丸は、そんな『幻想を見るほど女に飢えた男』という不名誉な称号を渋々ながらも享受しているのだった。それも茜を愛すればこそである。


 ただ最近では、女の幻を見るほど飢えている男が、こんな野郎ばかりの職場(最も、店の方には女中がいるのだが)で我慢出来るわけがない、ということは、友だ何だといって、結局太郎とそういう関係なのではないか、などという根も葉もない――とは一概に言い切れぬような噂もあったりし、つまり、葉蔵が言ったのはそういうところに端を発しているのである。


「それはそうと」


 昼食の盆を卓に置いて席についたところで、話を変えようと白狼丸が葉蔵に言う。


「庄さんの話って何だったんだ?」

「何だよ、興味あったんなら本人に聞けば良かっただろ」

「やだよ。げぇしつまんねぇっつったろ。葉蔵さんから聞いた方が無駄がねぇ」

「お前なぁ」


 あの人一応先輩だからな、と窘める葉蔵も顔はしっかり笑っている。庄之介の話が無駄に長くてつまらないのは倉庫係なら皆知っていることなのだ。


「まぁ、なんてこともない噂話なんだけどな……」


 

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