第5章 逆襲の妹たち

第56話 結衣花さんとの間接キス

(はぁ……ゴールデンウィークが終わったと思ったらもう中間テストかぁ……)


 色々あった鬼怒川温泉旅行も、終わってみたらあっという間だ。もちろん温泉は最高だったし、都会とは全然違う空気感も良かった。

 でも、僕の頭にこびりついて離れないのは、深夜の混浴露天風呂でちらりと見てしまった雪奈ゆきなの裸だった。日頃はツンツンしている彼女が、僕が入っていることは分かるだろうにやって来て、しかもバスタオルさえ巻かずにくっついてきたことはあまりにも衝撃的で。


(最低だ、僕は……兄として失格だよ……)


 少し前に一緒にお風呂に入った澪奈みおなに嫉妬しているかのような口ぶり、そして頬にされた口づけ――。中間テスト二週間前を切っているいま、しかも今日は貴重な日曜日だというのに、頭は勉強モードに入ってくれない。

 雪奈の顔立ちは結衣花ゆいかさんとも互角のレベルだし、青みがかったセミロングの黒髪は美容室のカットモデルよりもさらさらだ。唯一の欠点かもしれない目つきの悪さも、あの夜はむしろ、中学三年生とは思えないほどの色気をかもし出していたように思う。


(あれ以降、特に何もないんだよな……いや、あったら困るわけだけど)


 ただ、僕に対して理不尽な怒りをぶつけることが少なくなったような気もする。当たりが強いことも結構あるけど、まぁ可愛いものだ。まだ先とはいえ受験を控えているのだから、ストレスも溜まるだろう。

 もし僕の妹じゃなかったら、即座に恋に落ちているレベルの美少女。その雪奈とあんな時間を過ごしたことは、いっそ忘れたことにしてしまった方が――。


孝樹こうき君。入っていい?」

 

 溜め息をついたその時、ドアが控えめにノックされた。ドア越しにも分かる、どこか蕩けるような美声の持ち主など、僕は一人しか知らない。


「もちろん。どうしたの?」


 夕島結衣花ゆうしま ゆいかさん。学年一の美少女にして、紆余曲折の末に僕たちと半同棲生活を始めることになったメイドだ。今日も相変わらずお気に入りのメイド服――ゴスロリ風の黒いワンピースを着ている。膝丈だから白ニーソに包まれた太腿も見えるし、胸元も結構開いているので角度によっては谷間さえ見えてしまう目に毒な格好だけれど、彼女が着ると可愛らしくもあった。


「んー、なんかさ、孝樹君が捗ってなさそうだったから」

「まぁね……って怖いんですけど!? なんで分かったの!?」

「そりゃあ、女の勘ってやつだよ」

「まさかとは思うけど、隠しカメラとか――」

「……え、もしかして私、マジで疑われてる?」


 彼女は溜め息をついて、椅子に座っている僕の両肩をポンと叩いた。


「だって孝樹君、ここ何日か、ときどき上の空になってるんだもの」

「……そうだった?」

「うん。さっき朝ご飯を食べてた時も、私の呼びかけに反応してくれなかったし」

「え、ごめん……」

「謝らなくて良いよ。私が心配になっちゃっただけ」


 どうやら僕は、自分で思っているよりもずっと、雪奈のことを頭のどこかで考え続けているらしい。あろうことか結衣花さんの呼びかけを無視してしまっていたなんて。


「そういうわけでさ、ちょっと散歩に行かない?」

「散歩?」

「そ、お散歩。こういうときは気分転換も大事だと思うから」



 ***



「お待たせしてごめんね。さ、行こっか!」

「う、うん」


 着替えてきた結衣花さんの服装をちらりと見て、僕は慌てて目を逸らした。

 青系のフレアスカートは普通に綺麗だと思う。けれど彼女が纏っているトップスは白いオフショルダーで、しかもヘソ出しルックなのだ。


(ちょ、ちょっと露出多くない……!?)


 流石に本人に言うのははばかられたので、僕は脳内で叫んだ。


「え、えっと……それで、散歩っていうのはどこに?」

「んー、決めてなかった!」


 太陽のような笑顔で、彼女は笑った。


「とにかくさ、孝樹君を外に連れ出したかったから」

「結衣花さん……」

「とりあえずそこのコンビニでも寄ろっか」


 僕は手元に何も持っていなかったので、結衣花さんが交通系ICカードでジュースを買ってきてくれた。後で返すよと僕が言うと、彼女は、これは私のおごりだよと言って、僕の脇腹を肘でちょんちょんと小突こづいてきた。

 コンビニのすぐ近くにある公園で座って飲もうかということになり、僕たちはゆっくり歩き出した。


「でも……奢ってもらっちゃって本当に良いの?」

「何も言わずに連れ出しちゃった私が悪いし。それに、孝樹君はもっと人に甘えた方が良いと思うからさ」

「そう、かな……?」

「お父さんが家にあまりいないから、実質今までは孝樹君がお父さんみたいなポジションだったよね。雪奈ちゃんと澪奈ちゃん、家事はどっちかっていうと苦手みたいだし。でも……その、今は私がいるじゃない?」

「うん。おかげさまですっごく助かってる」

「お、おうよっ! だ、だからさ……今は私に甘えて欲しいなっ……と言いますか……」


 隣を歩いている結衣花さんの目を見て言うと、彼女は真っ赤になってそっぽを向いた。声がひっくり返って尻すぼみになってゆくのも可愛い。

 それにしてもだ。大事なことを言うときには相手の目を見て話せ、そうすれば真っ直ぐな気持ちがちゃんと伝わるぞ、という父からの教えを実践しただけなのだが――。


「結衣花さん……もしかして、照れてる?」

「照れてないっ! ほら、あそこのベンチに座るよっ」


 ここ最近で一番あたふたしている彼女に頬の緩みを抑えきれないまま、僕は彼女の隣に腰を下ろした。その時ふと、都合の良い妄想が脳裏をよぎる。


(これって……結衣花さん、もしかして僕のことを――)


 僕だって分かってはいるのだ。そんなものは妄想に過ぎないと。学年一の美少女で頭も良くて、誰からも好かれ頼りにされる彼女が、ごく平凡なクラスメイトである僕のことを恋愛的な意味で好きになってくれるはずがないと。

 

 冷静になるべく、僕が胸を撫でて溜め息をついていると、結衣花さんがペットボトルを差し出してきた。


「ほらっ、どうぞ!」

「あ、じゃあ有り難く……」


 そうして何も考えずアップルティーを飲んでしまって、はたと気づいた。


(……1本しかないじゃん! どうしよう、結衣花さんの飲むものが……)


 何と言って良いか分からず、とりあえず彼女にペットボトルを返すと――結衣花さんは数秒間その飲み口を見つめた後、普通に口をつけて飲んだ。


(ゆ、結衣花さん!?)


 まごうことなき間接キス。そりゃあ妹たちとしたことはあるけれど、こんな風に意識してしまったのは初めてだ。それとも、あの平気そうな様子からして、やっぱり結衣花さんは僕のことなんて意識すらしてくれないのだろうか――。


「い、今さらだけど……私の好みで選んじゃって良かった?」


 そんなことを思っていると、彼女は少しぎこちない様子で僕に聞いてきたのだった。

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