第55話 同盟締結

「ほんとにマズいわ……」


 勉強の手を止めて、あたしは低い天井をぼうっと見上げた。


 落ち込んでいる夕島先ぱ――お姉ちゃんを励ましたことは、今でも後悔していない。歌手になりたいという彼女の夢を応援しようと決めたことも、『きらきらぼし』を弾いてあげたことも。

 でも、思ってしまう。もし彼女を家に入れていなかったら、あたしは今頃……と。


「最低だ、あたし……」


 そんなわけがないのだ。

 ここ何年間か、あたしはお兄ちゃんに対してずっと素直になれなかった。もしお姉ちゃんが来ていなかったとしたら、あたしは今も酷い反抗期のままで、口も聞いていなかっただろう。むしろお姉ちゃんが背中を押してくれたおかげで、あたしは少しずつお兄ちゃんと話せるようになってきた。混浴ではあんな大胆なことまでしてしまったし。


(でも……だけど……)


 我ながら、なんて強欲なのだろう。あたしたちは血の繋がった兄妹なのだ。これ以上先に進むことはできない。仲の良い兄妹でいるべきだ。健全な関係のまま大人になって、いつまでも一緒に――。


(一緒に、いられるの……?)


 いられないのだ、と気づいてしまった。

 いや、きっと最初から分かってはいたのだ。ただ目を背けていただけで。

 いつかあたしは、お兄ちゃんではない誰かと結婚するのだろう。その誰かと同じ家に住んで、子どもができて、少しずつ歳を取っていくのだろう。それは決して不幸せではないはずだ、そう思っていた。思いたかった。お兄ちゃんよりももっと、あたしの心をときめかせるような人と出会えるのだと。


(でも、いない……そんな人、いないよ……っ)


 あたしはまだ中学三年生だ。十五年しか生きてない。でも、分かる。もう分かってしまったのだ。笹木孝樹以上の人が現われることなんて、この先ずっとないのだと。


「どうすれば良いのかな、あたし」


 自嘲して、ふと気づいた。

 そうだ、澪奈だ。あの愚妹ったら、この前お兄ちゃんとバスタオルなしで一緒にお風呂に入っていたじゃない!


「そっか……そうだよね」


 遠慮していたって何にもならない。

 お姉ちゃんのことは好きだ。でもあたしは、彼女のことを「お義姉ちゃん」と素直に認めたくはない。そのためには、身内どうしで対立している暇はないはず。あたしは立ち上がって、澪奈の部屋へと向かった。



 ***

 


「澪奈ー。入るわよー」

「その扉は呪文を知らなければ開かぬ」

「知らないわよそんなの」


 わたしが制止する間もなく扉が開いてしまい、クソ姉がわたしの部屋にずかずかと入ってきた。


「なんの用」

「同盟締結のご提案よ」

「同盟!?」


 その漢字二文字に血が騒ぐ。同盟――これほどまでにわたしの心を刺激する言葉が他にあろうか。


「いやいっぱいあるでしょ……って、そうじゃなくて」

「具体的に、どこからの攻撃に備えるの?」

「攻撃なわけないでしょ」


 頭を掻きながら、クソ姉は面倒そうに言った。


「ほら、結衣花さんの攻勢が最近すごいでしょ」

「それは……まぁ」

「このままだとお姉ちゃん……結衣花さんにアイツを取られちゃうよ、って話」


 お姉ちゃん云々は姉妹であるわたしたちが使うと紛らわしくなるから微妙だが、わたしにとってもそれは危機を覚えることだった。

 結衣花さんは良い人だ。わたしの部屋を片付けてくれたし、毎晩美味しいご飯を作ってくれて、洗い物もやってくれる。何より美少女だから、わたしのお絵描きが捗る。彼女をこっそりモデルにしたメイドのイラストを投稿したところ、一日で二千件のいいねがついた。


(だけど……確かに、お兄ちゃんを取られるのは困るかも)


 わたしの厨二病は半分は深淵から溢れ出て抑えきれない瘴気を中和するためのものだが、もう半分は溢れ出るお兄様への愛を誤魔化すためのものである。血が繋がっているから結婚できないし、万一のことがあると社会的にマズいことくらいは、中学一年生のわたしにも一応分かっている。だけど、やっぱり好きなのだ。そしてそれは雪奈も同じらしいということは、少し前から察していた。


「……利害関係の一致!」

「そうよ。あたしたちが蹴落としあってる暇なんてないのよ」

「そうだね」


 正直、気に障らないではない。この前まで卵もまともに割れなかったようなクソ姉と手を結ぶメリットはあまり思いつかないし、ちょっとわたしより発育が良いからって年上ぶる態度も鼻につく。でも、やっぱり雪奈は血の繋がった姉なのだ。結衣花さんとは違う。何だかんだ嫌いになれない、大切な家族。


「良いよ。結ぼう、同盟」

「そっか」

「へぇ、嬉しそうにしちゃって」

「べ、別にっ!」

「ツンデレなんだ、可愛い」

「中一のくせに調子乗ってるんじゃないわよっ」

「まぁまぁ落ち着いて。それより、さ……」



 ***



「ふあぁ……よく寝た……」


 沙月さんと僕たちが和解した翌朝。日曜日ということで目覚ましをかけずに惰眠を貪っていた僕は、何やら布団が妙に温かいことに気づいた。


「まさか、この感触は……っ!?」


 ちょっと結衣花さん、と言いかけて心臓が止まった。


「雪奈と澪奈っ!? ど、どうしてここに……」


 眠い目を擦りながら、ゆっくりと起き上がる二人。

 妹とはいえ、もう一緒に寝るような歳ではない。ごく普通のパジャマを着ているけれど、シチュエーションがシチュエーションだからか、妙に目に毒だ。


「おはよ、お兄ちゃん」

「おはよう」

「……お、おはよう」


 どうやら二人は、何やら企んでいるらしい。

 落ち着かない、でもだからこそ結構楽しい日々は、まだまだ当分続きそうだ。



  〈 第4章 対決……!?〉Fin.

  〈 第5章 逆襲の妹たち〉へ続く

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