第45話 そうだ、マカロンを作ろう。(後編)

「どう? このくらい?」

「うーん……まだまだ」 


 にっこりと笑う彼女に項垂うなだれて、僕は再び銀色のボウルの中に入った卵白を掻き回し始めた。このまま掻き混ぜ続けていれば、いつの日かこれがマカロンの生地になるらしい。やっぱりハンドミキサーがあったら良かった……電気とモーターという文明の偉大さを思い知らされる。


「結衣花さんは何を作ってるの?」

「これ? バタークリームだよ。ほら、間に挟まってるやつ」

「あれか。卵が入ってるんだ」

「卵って結構何にでも入ってるよねー」


 水とグラニュー糖のシロップを電子レンジから取り出した彼女は、さっき泡立てておいた卵黄が入れてあるもう一つのボウルに流し入れた。そしてまた混ぜながら、何回かに分けてバターを投入してゆく。


「お、らしくなってきた」

「バニラエッセンスも入れまーす」


 お洒落しゃれな香りを感じながら会話をしている内に、僕のボウルの中もようやく良い感じになってきた。


「どれどれ? おぉー」


 僕からミキサーを奪った彼女が、慣れた手つきで軽く混ぜた。

 さっと手を放すと、白いクリーム状の液体がツノのように尖っている。


「よしっ。食用色素とアーモンドパウダー……はないから、きな粉と砂糖だね」

「了解……」

「もう、そんなにがっかりしないの」


 果たしてこれでマカロンになるのかという気がしないでもないけれど、結衣花さんが作るのだから何とかなるはずだ。それに、レシピ通りに作るよりもかえって楽しいかもしれない。


「じゃあ、またお願い」

「おう」


 今度はゴムベラを使い、面の部分で泡を押し潰すように混ぜてゆく。その間に結花さんもバタークリーム作りに戻った。これを一人でやるのは大変だっただろう。

 一人で延々とボウルを混ぜ続ける結衣花さんのメイド服姿がふと脳裏に浮かんで、僕は何だか申し訳なさを覚えた。


「なんか……その、ごめん」

「え、急にどうしたの?」

「この前さ、『彼女に給料を出すのはやめろ』って父さんに言われたんだよ。今、その意味が実感できた気がして」


 そりゃあ結衣花さんは性格が良いし生真面目だから、給料をもらってマカロンを作ることも嫌がらなかったかもしれない。でも――。


「こうやって一緒に作るからこそ、その……結構楽しいのかなって」


 気恥ずかしさに、ボウルの中に目を落として混ぜながら、それでもなぜか素直にそう言ってしまった。今日の僕はどうしたんだろうか。くさいセリフなんか吐いて。


 隣で掻き混ぜていた彼女の手が止まった。


「……もうっ、言わせないでよ」


 引き寄せられるように自分の首が横を向く。

 目に映った結衣花さんは満面の笑みを浮かべていて、頬は少し紅潮していた。


「楽しいよ、私だって」

「……お、おう」

「その……共同作業ならでは、っていうか」

「そ、そっか」

「な、何か言ってよっ!」


 彼女が前を向いたまま叫んで、それから僕たちはどちらからともなく吹き出した。


「良い感じだね。……マカロナージュ」


 ボウルの中の白いクリームは、すっかりちょうど良く混ざっていた。



 ***



「えー、マカロン作ってたの!? あたしもやりたかった……」

「ごめん、また今度な」

「くっくっく、二人とも大義であった。それで、これは全て我への供物くもつであろう?」

「んなわけあるか」

「あだっ!」


 馬鹿なことを言っている澪奈の頭を軽く叩いて、僕も席に着く。


「ひぐっ……今ので背が縮んだぁ……許さぬぞ……」

「バカね、縮むほど高くないくせに」

「何おう!?」


 いつもの姉妹喧嘩はさておいて、僕は向かい合わせで座っている結花さんと一緒に、大皿の上に並べたマカロンを眺めた。普通はピンクやら黄色やらのイメージが強いけれど、今回の色無しも新雪のように綺麗で美味しそうだ。


「じゃあ、食べよっか」

「いただきます」


 いざ口に運ぶと――まずサクッという感触があって、次にバタークリームの甘味。そして口の中で全てがふわりととろけ消えてしまった。


「美味しい……」

「よかったぁ……ちゃんとマカロンになってる」

「きな粉だって意外に分からないかも」


 隣に座っている雪奈が、結衣花さんの言葉に目を丸くする。


「これ、アーモンドプードルじゃないんですか!?」

「ほう、よく知ってるね」

「いっ、いや、それはまぁ……」

「実は雪奈ちゃん、作ったことあったりして」

「それはないですよっ! たまたま昔調のを思い出しただけですっ」

「ふぅーん」

「夕島先輩ってば、もう……!」


 よく分からないが楽しそうな二人。

 一方、雪奈の正面に座った澪奈は頬を緩ませていた。


「ほっぺたが落ちそう……」

「その例え、リアルで聞いたの初めてかも」


 二十個以上あったはずのマカロンが、四人でパクパク食べているうちにどんどんなくなってゆく。


「ちょっと待って、今みんな何個食べた?」

「私は二個」

「僕は三個」

「我は一個」

「はい中二病は嘘つかない。三個食べてたの、ちゃんと知ってるんだから」

「うぐっ……そういう貴様は?」

「あ、あたしは二個よ」

「はぁっ……この愚姉は足し算も出来ぬのか」

「えっ」

「雪奈が二個食べたなら十個余ってるはずだけど……」

「九個しかないね」


 生温かい目が一斉に雪奈に向けられて、彼女はあっという間に真っ赤になった。


「こ、これは違うのっ! 澪奈の監視をしてたら何個食べたか忘れちゃって――」

「見苦しいぞ、愚姉」

「ほら二人とも、その辺にしとけよー」


 キャンキャン吠えている二人に声をかけて僕が溜め息をついていると、結衣花さんがマカロンを持った右手を差し出してきた。


「はい」

「結衣花さん……?」

「あーん」

「えっ!? ちょっ、いや結衣花さんはまだ二つしか――」

「いいからいいからっ」

「え、でも……むぐぅっ!」


 半ば強引にマカロンを詰め込まれる。彼女の中指の先がわずかに上唇に触れ、雪奈と澪奈はこちらを向いて唖然としていた。


「先輩……」

「お、お兄ちゃんが……」

「ふふ、隙あり」


 蠱惑こわく的な笑みを浮かべた彼女に、僕の心臓はドキリと跳ねた。

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