第42話 鬼怒川温泉旅行⑨ 良縁成就

「知ってます? 日光東照宮ここって標高634メートルなんだって」

「さっき看板立ってたよね。スカイツリーと同じってすごい」


 旅の終わり、三日目。

 鬼怒川温泉から東武鉄道に一時間ほど乗って、僕たちは栃木県が世界に誇る日光東照宮にやって来た。


「こんなにきらびやかになったのは三代将軍徳川家光の時で、その時にかかったお金は数百億だとか。あと、主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置になるように設計されているんだそうです」

「それは初めて聞いた! 雪奈ちゃん物知りー」

「あはは、これはさっき電車の中で調べただけで……」


 流石に連休だから覚悟はしていたけれど、予想を軽く上回るものすごい人出だ。はぐれないように四人で固まって延々と続く石段を上りながら、前を行く結衣花さんと雪奈は楽しそうに話している。

 その一方、次女は僕の隣を無言で歩いていた。


「澪奈も混ざったら?」

「いい。上るので精一杯」

「そっか。――危ないっ!」


 僕が突然話しかけたのが悪かったのか、澪奈が石段の端につまずいて転びかける。慌てて彼女の肩をかかえているうちに、前を行く二人とはあっという間に離れてしまった。


「ごめん、澪奈」

「わたしこそ」


 後ろの観光客たちの邪魔になるといけないので、僕は妹が差し出してきた手を取って再び歩き始めた。これは転ばぬ先の杖なのだ――そう思うことにして。


「澪奈はさ、今回の旅行、楽しかった?」

「うん」

「特にどこが?」

「昨日行った『東武ワールドスクウェア』とか」


 世界の有名な建築物や遺跡なんかを25分の1の縮尺で再現したテーマパーク。エッフェル塔やピラミッド、首里城などの精巧なミニチュアが、彼女のお気に召したらしい。退屈そうにしていた雪奈のぶんまで、澪奈は写真をどんどん撮っていた。デッサンの練習にでも使うのかもしれない。


「後は……お兄ちゃんと一緒に寝たことかな」

「お、おいっ……その言い方はちょっと」

「ふふ、冗談」


 口に手を当ててクスクス笑う澪奈。

 いつもとは違うその仕草がどうにも色っぽくて、僕は思わず目を逸らした。


「あーっ、ちょっと何二人で手を繋いでるの!?」

「何って……わたしが転ばないように、お兄ちゃんが繋いでくれただけ」

「……そう。ほ、ほら行くわよっ」


 いつの間にか頂上に着くと、肩をいからせた雪奈はプイッと前を向いて歩き出した。でも、彼女の雰囲気は前よりもどこか柔らかいような気がした。これも旅行のおかげだろうか。それとも――。


(い、いやいや……何を思い出してるんだ僕は!)


 雪奈の唇が触れた右頬を思わず触りそうになって、慌てて首を振った。


「うーん……やっぱりお姉ちゃんと何かあったでしょ」

「だ、だから何もなかったって」

「むぅ……あやしい」


 ふくれっ面でこちらをのぞき込んでくる澪奈。これが女の勘というやつなのだろうか。恐るべし。

 嘘をつくのは心が痛むけれど、もし「雪奈にキスされた」などと言おうものならどうなることか。頬にだけどね、と補足しても修羅場になる未来しか見えない。


 少し小さめだけど朱色が綺麗な五重塔や、教科書にも載っている金色の美しい陽明門を目に焼き付けて、僕たちは今日一番の目的地である日光二荒山ふたらさん神社にやって来た。


「ふぅ……やっと着いたぁ」

「ここが朋友みとも神社か」

「祭られている神様、少彦名命すくびこなのみことは学問と知恵の神様なんだって。今年受験の雪奈ちゃんにぴったりだね」

「うっ……せっかく忘れてたのに」

「おいおい、忘れちゃダメだろ。でもまぁ――」


 雪奈の長い髪を自然に撫でてしまい、慌てて手を引っ込めた。彼女も後一年ではなの女子高生なのだ。乙女の命たる髪を勝手に触るのは良くなかっただろう。


「ごめん、勝手に」

「……べ、別に良いけど」

「でも」

「……バカ」


 それからは大して話すこともなく、長い待ち列に並んでしばらく待って、そしてみんなでお参りをした。


(雪奈が受験に受かりますように。そして……)


 実は僕も事前に調べていたのだが、この神社は家内安全、商売繁盛、開運、そして良縁成就など色々なご利益がある、超パワースポットなのだそう。父さんがいない間、笹木家は僕が守らなければならない。結衣花さんのお母さんのこともある。課題は山積みだ。


(……みんなが幸せでいられますように)

 

 こんなことを願うのは強欲かもしれない。

 僕たち下々しもじものことなんて、神様はいちいち聞いちゃいないだろう。

 だからこそ、僕がみんなのために必死に頑張り続けることができれば、いつかきっと神様も味方してくれる――。


「ほら行くよ、お兄ちゃん。あっちの狛犬こまいぬにリボンを結ぶんだから」

良縁成就りょうえんじょうじゅのお守りってこと? だったら私はピンクが良いかなー」

「わたしは早く宝物館に行きたい」

「まったく、澪奈ったら風情ふぜいがないわねぇ」

「むぅ……だったらわたしは赤にする。情熱の赤」

「ふふ、澪奈ちゃんなら赤も似合うと思うよ」


 楽しそうな彼女たちの後ろ姿に思わず口元が緩んだ。


 これから僕と彼女たちの関係がどうなっていくのかは分からない。でも、あの笑顔を守るためなら何だってできる。何だってしよう。そう強くちかい、僕は砂利を踏みしめて空を見上げた。小さな白い雲がところどころに漂う五月の空は、突き抜けるように青かった。




  〈 第3章 疑似家族旅行〉Fin.

  〈 第4章 対決……!?〉へ続く

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