第40話 鬼怒川温泉旅行⑦ 雪奈と混浴露天風呂

 バイキング形式の夕食を楽しんだ後は、遊び兼布団の位置決めのババ抜きをした。白熱したトランプの結果は――。


「うわ、まさか雪奈ちゃんが……っ」

「あたしが一抜けっ!」


 まぁ運が良かったのだろう、最初に上がった雪奈が奥から二番目に陣取る。雪奈は顔に出やすいタイプのはずなのだが、意外にも一度もジョーカーを引かなかったらしい。続いて上がった澪奈は一番手前の布団に寝転んだ。残るは僕と結衣花さん。手元に残っているのはお互い二枚ずつ。


「さぁて、どっちを引く?」


 彼女は片方のカードを上に上げて挑発してきた。僕の手元にジョーカーはないから、結衣花さんが持っている二枚のうちどちらかがババなのは間違いない。そして彼女は右の方を引いてと言わんばかりだ。ならば……!


「嘘でしょっ!? まさか挑発に乗るだなんて……」

「はっはっは、こっちを引かなきゃ男がすたる、なんてね」


 こうして三位を勝ち取った僕だったのだが、どっちに寝るかは究極の選択だった。雪奈と澪奈に挟まれるか、それとも雪奈とだけ隣り合わせになる一番奥で寝るか――。


「じゃあ……こっちで」

「おぉー、だいたーん」


 数秒の間に迷いに迷った僕が選んだのは、二人に挟まれる方だった。


「い、いや別に……二人とも妹だから」

「またまたぁ、照れちゃってぇ」


 少しだけ悔しそうな結衣花さんに背中を軽くはたかれながら、僕はごろりと横になった。確かに彼女の言う通り、正直少しだけ恥ずかしい。どうしてこっちを選んだのか、冷静になってみると自分でも意味不明だった。

 雪奈も澪奈も僕の妹なのだ。二人とも美少女だとは思うものの、もちろん異性として見たことはない。……でも、その二人の間に結衣花さんが寝るというのが、心のどこかでしゃくさわったような気もして。


「よっ、ハーレム王」

勘弁かんべんしてくれ……」


 いつの間にか二人がノートパソコンを開いている。澪奈は絵を描くのだろう。雪奈は――何か調べ物でもするのだろうか。分からないけれど、とにかく僕は揶揄からかってくる同級生の美少女から逃げるように、枕に顔をうずめたのだった。



 ***



「みんな寝てる、よな……」


 深夜十一時半の少し前。

 あたしの隣で寝ているお兄ちゃんが、そわそわしながら静かに起き上がった。これから混浴露天風呂に向かうのだ。

 混浴と言っても予約制、それも一組三十分の貸し切りだから、お兄ちゃんは一人で入るつもりに違いない。まさか自分の計画が女性陣にバレているとは夢にも思っていないだろう。でもお兄ちゃんが風呂好きなのはみんな知っているし、露天風呂のことが書いてあるホテルのホームページを熱心に見ていたことも夕島先輩には筒抜けだった。……正直、先輩はちょっと怖い。

 でもそれはとにかく、ものすごく熱いお湯に五分間も耐えてつかみ取ったチャンスだし、何故かはよく分からないけれど夕島先輩と澪奈がこころよく譲ってくれた絶好の機会なのだ。


「よしっ……」


 お兄ちゃんがそろそろと部屋を出て行ったのを見計らって、あたしも起き上がる。自分の分のバスタオルだけ持って――。


「頑張れ、雪奈ちゃん」

「ひぃっ!?」


 右側に寝ている先輩に突然声をかけられて、あたしは思わず飛び上がった。


「部屋の鍵は私が閉めておくから……ね?」

「あ、はい……」


  ……やっぱり、この人怖い。



 ***


 

「ふぅっ……」


 木で造られた正方形の小さな浴槽を満たす透明なお湯に肩まで浸りながら、僕は外をぼんやり眺めた。遠くには日中にみんなで渡ったあの吊り橋も見える。やはり露天風呂というのは良いものだ――そう思っていると、不意に扉が開く音がした。


「は、入るよ」

「えっ……ゆ、雪奈っ!?」


 振り向いた先の暗がりに浮かび上がる、一糸まとわぬ真っ白な肢体。僕は反射的に目を逸らした。


「ちょっ、せめてバスタオルくらい……」

「い、良いじゃん別に」

「いや良くないって」


 ひたひたと歩み寄ってくる雪奈が、わずかに声を震わせた。


「……澪奈とはバスタオル無しで入ってたよね」

「それは……だって」

「だって?」


 澪奈はまだ中一だし、と言おうとしてやめた。

 その理屈だと何歳までなら良いのだろうか。そもそも中一とだってアウトかもしれないし、一方で父親と入浴している女子高生の書き込みを見たこともある。だから年齢は理由にならない気がして。

 

「まぁ……良いか」

 

 かけ湯をして、片足ずつそっとお湯に入ってくる妹。

 女性側から入ってくるぶんには大きな問題はないだろうと、結局僕は思考放棄した。残り時間は正味しょうみ二十分と少ししかない。この露天風呂を楽しむのが先決だ。


「いやー、綺麗だな」

「うん」

「今日は楽しかった?」

「うん」


 ……会話が続かない。いつもはあんなにしゃべる雪奈が、今はやけに静かだ。そもそも雪奈は僕のことを嫌っていると思っていたのだが、ここ最近――特に結衣花さんが我が家にやって来てからは逆な気さえする。

 僕がそう思ってしまうのは自意識過剰なのだろうか。思い違いだったら恥ずかしいにもほどがあるので、誰かに相談することもできないけれど。


「そういえば卓球の時……大丈夫だった?」

「……ごめんなさい。迷惑かけちゃって」

「いや、迷惑なんかじゃないよ。むしろ、いつもと違う雪奈が見れて良かった」

「そ、そう……」


 隣でお湯に浸かっている雪奈と腕が触れ合い、流石にびくっとした。いくら妹とはいえ、年は一つしか違わないし、一応異性だし、何よりお互い何も着ていないのだ。今までの彼女なら絶叫してひっぱたいてきそうな状況なのに、今は離れようとする気配すらない。


「お、お湯……熱くない?」

「うん。もうのぼせたりしないから」

「そっか」


 それから十分ほどの間、僕たちは一言も喋らずに身を寄せ合っていた。

 とうとう沈黙に耐えきれなくなった僕は、お湯の熱さにどうかしてしまった頭でストレートに聞いた。


「その、さ……雪奈は僕のこと嫌いじゃないの?」

「あ……ごめんなさい。違うの……別に嫌いとかじゃなくて」

「じゃあ、どうして――」 


 その瞬間、水面みなもにさざ波が立った。

 右の二の腕が柔らかな感触に包まれ、そして頬に雪奈の唇が触れる。


「え……」

「――あたし、やっぱりのぼせちゃったみたい」


 逃げるようにお湯から上がり、露天風呂を出て行く雪奈。

 取り残された僕は右頬を触りながら、しばしの間呆然としていた。

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