第39話 鬼怒川温泉旅行⑥ 温泉卓球
「あ、雪奈。お前だけ先に上がってきたのか」
「ん……」
入浴を終えて大浴場の近くのロビーで待っていた僕のもとに最初に現れたのは雪奈だった。しかしよく見ると少し様子がおかしい。頬は真っ赤だし、足取りはふらふらしていておぼつかない。
「ちょっと、大丈夫?」
「えへへ、らいようぶぅ……」
「もしかして……のぼせちゃったのか?」
周りもよく見ずによろよろとこちらに突っ込んできた彼女を、僕は立ち上がって抱き留めた。長い黒髪はまだ乾ききっておらず青っぽく光っていて、浴衣に包まれた身体からは温泉の良い匂いがする。
「おーい、雪奈さーん?」
「らぁにぃ……?」
「ちょっと、らしくないぞ。いつものツンツンはどこ行ったんだよ」
「いひひひ……おにーひゃん、すきぃー……」
「えぇっ」
緩みきった顔を僕の胸元に
「おー、こんな公衆の面前で兄妹仲良くイチャつくとは大胆ですなぁ」
「ゆ、結衣花さんっ!? いや、これはイチャつくとかではなくてですね……?」
「あはは、分かってるって。ね、澪奈ちゃん」
「……うん」
少し遅れてご到着の二人に僕が
「さては結衣花さんでしょ……雪奈をおかしくしたのは」
「ご名答」
「はぁ……勘弁してくれ」
「ごめんごめん。結構ギリギリで盛り上がっちゃったから、つい」
「何がギリギリだったの?」
「それは秘密。ねー」
「ねー」
顔を見合わせて楽しそうにニヤニヤしている二人。すっかり仲良くなった彼女たちに疎外感を覚える。何のことなのか後で絶対聞き出してやろうと僕は決意した。
にしても――こうしていると、結衣花さんは澪奈と雪奈のお姉ちゃんそのものだ。もしもこんなお姉ちゃんが昔からいたら、我が家の姿も、そして僕たち自身も、何もかもが全く違っていたのだろうと思う。
「それで、この後どうする?」
「そういえば、カラオケとかビリヤードとか卓球とかできるってホームページに書いてあったけど……」
恐る恐る提案すると、
「カラオケは別にいつでもできるし」
「わたし、ビリヤードはよく分からない」
「僕も分からないな……」
「私も。じゃあ、卓球する?」
「二人が良いなら。雪奈は?」
「あらひぃ? らっきゅうかぁ、いいよぉ」
「そうか。じゃあ――」
雪奈の同意も一応得られたし、と足を踏み出した僕の袖がグイッと引っ張られる。
「……おい、我には何も尋ねぬのか」
「あ……み、澪奈も卓球で良いかな?」
「うむ、よかろう」
重々しく頷いた澪奈を引き連れて、僕たちは卓球台が置いてある2階の卓球・ビリヤード場へと向かった。
「……要予約」
「あらまぁ」
壁にはそう書かれた張り紙があって思わず肩を落とした僕だったが、いやいや諦めるのはまだ早いと思い直す。三台ある卓球台のうち一台がまだ空いているので、僕は急いでフロントへと向かった。
「良かったぁ、使わせてもらえて」
「だね。でも一台しか使えないけど、どうする?」
「せっかく四人いるんだし、ダブルスでも組もっか」
フロントで許可をもらい、ラケットとボールも無事に借りることができた僕たちは、結衣花さんの提案で早速ペアを組んで対戦することにした。僕と雪奈、結衣花さんと澪奈に分かれて青い卓球台を挟む。
「……ほんとに大丈夫? 雪奈」
「らいようぶだよぉ……」
にへらと笑っている雪奈が僕の持っているピンポン球を要求してきた。どうやら最初のサーブは自分でやりたいらしい。
「いくよぉ……ほっ」
小さな掌を離れ、天井へふわりと舞い上がる白いピンポン球。半身に構えた雪奈はペン型のラケットを握り締めている右手を横から振り抜き――。
「あいたっ!?」
固いラバーから跳ね返った球が澪奈の頬を直撃した。
「澪奈、大丈夫か!?」
「えっと……雪奈ちゃん……?」
「お前まさか……卓球のサーブのルールとか知らないの?」
「えへへ……ごめんねぇ澪奈」
「こんっのクソ姉……っ」
卓球のサーブというのは手前、つまり自分側のコートに一回、ネットを挟んで奥にある相手方のコートに一回ずつバウンドさせなければならない。記憶ではダブルスの場合はサーブのコースも決められていたような気がするのだが、とにかく雪奈のノーバンサーブは最早サーブではないことは確かだ。
「はいはい、雪奈は大人しく座ってろよー」
「えー」
「お兄ちゃんの言うことはちゃんと聞きなさい」
「はぁーい」
雪奈を壁際の赤いソファに座らせ、今度は僕と澪奈がダブルスを組んで結衣花さんと対決することになった。
「ふっふっふ……小学校で卓球クラブに入っていた私に勝てるとお思いで?」
「くっくっく……我が魔回転サーブは変幻自在、
「そういえば眷属設定まだ生きてたのか」
いつになく楽しそうな二人を見ながら、何だかんだ僕も中腰になって構えた。澪奈の右手がラケットを前に押し出すように動き――そしてピンポン球が左側に滑るように曲がっていく。まさしく魔回転サーブ。しかし結衣花さんはニヤリと笑い、ボールの横下を切るようにラケットを振り――。
「あっ、この古いラバーじゃ……っ!」
ふわりと浮き上がったチャンスボールを、僕は必死にスマッシュしたのだった。
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