第37話 鬼怒川温泉旅行④ 彼女の手
「はぁっ、はぁっ……ねぇ、もう五分経ったんじゃない……?」
「四百メートルって……こんなに長かったっけ……」
「もう少しだから! ……たぶん」
吊り橋の先にあった急な階段を右折して歩くこと数分。早くも息切れしている雪奈と澪奈を励ましながら、僕たちはアスファルトで覆われた小道を進んだ。道は山の中に続いていて、薄暗い
「ほら、見えてきたよ」
洞窟を抜けると、見えてきたのは小さな灰色の鳥居。楯岩鬼怒姫神社と言うそうだ。無視して通り過ぎるのも後味が悪いので、僕たちは一応お参りを済ませてから展望台へと向かった。神社の奥にあるこの小さな丘を登り切ればゴールだ。
「うわぁー……また登るのかぁ……」
妹たちよりは平気そうにしていた結衣花さんも、流石にこの階段の数は辛そうだ。一応石段にはなっているのだが、奥行きが小さすぎて危なっかしい。かといって、両脇にある黒い鉄の手すりを掴むのも気が引ける――そう思っていると、僕の後ろで少し息を切らしている結衣花さんに声を掛けられた。
「あの……その、手、貸してくれないかな……?」
「えっ……い、良いけど……」
「あ、ありがとう」
二人並ぶ幅がないので、僕が少しだけ先行する形で登ってゆく。しかし、彼女と手を繋いでいる僕は内心それどころではなかった。
(うわっ、柔らかっ……これが女の子の手なんだ……)
「ごめんね孝樹君……私、結構汗ばんじゃってて」
「いっ、いや……僕の方が汗ヤバいし」
(今の皮肉じゃない……よな? でも、ちゃんと後で拭かないと……いやしかし勿体ないような気も――って、勿体ないってなんだよっ!?)
妹たちや母親以外の女性とこうして手を繋いだのは、恐らく人生初じゃないだろうか。結衣花さんとは身長はせいぜい十センチくらいしか変わらないはずなのに、彼女の手は明らかに小さくて柔らかくて、そしてとても温かくて。
「あっ、夕島先輩!? お兄ちゃんと、そのっ、手を……」
「ふふ、ごめんね雪奈ちゃん。でもこれはさっき吊り橋で譲ったぶんだから」
「くっ……
僕たちの後に続いて上ってくる妹たちに、楽しそうに叫び返す結衣花さん。もちろんその間も僕の手をしっかり握り締めたままだ。
普通なら途中で休憩しなければならないほど急な坂も全然苦にならなくて、気づけば頂上はもうすぐそこまで来ていた。直接伝わってくる確かな感触に、僕の頭もおかしくなっていたのだろう。だから思わず言ってしまった。
「あ、あのさっ」
「な、何かなっ?」
「もう少しだけ、その……このままで良い?」
彼女が最後の一段を登りきって、僕たちは二人で並んだ。
「……うん」
汗に濡れた手の握り方がするりと変わってゆく。五本の指をぎゅっと絡ませ合いながら、僕たちは展望台の先へと進んだ。背中越しに聞こえてくる妹たちの声も、今はひどく遠くに感じた。
「おー、良い景色だね」
「空も真っ青で綺麗……」
眼下に見下ろす温泉街は、東京の街を見慣れた僕にとって、こう言ってはなんだけど
――君の方がずっと綺麗だよ。
流石に恥ずかしくて、喉まで出かかったその言葉を僕は呑み込んだ。
春の青い空を見上げている彼女の横顔、染み一つない頬、白くて細い喉。その全てに、僕は宝石のように目を奪われた。
「……もうっ、そんなに見ないでよ」
「あっ! ……その、ごめん」
「いいって。それとも、私に
僕の手をぐんぐん引いて、結衣花さんは「縁結びの鐘」の前に立った。思っていたよりはかなり狭いスペースに、「縁結びの鐘」とそのまま刻まれた黒い鐘が、同じ色の鉄のアーチに吊り下げられている。展望台と崖下とを隔てる金属の手すりの上には、色とりどりの五円玉がたくさん並んでいた。
「……ご縁がありますように」
僕と手を繋いだまま彼女はそう言って、こちらにも五円玉が縛り付けられた鐘の紐を
誰との縁なの、とは流石に聞けなかった。でも、それが僕との縁なら嬉しいなと思ったのは確かだ。今の僕はきっと結衣花さんのことが好きなのだろう。
だから、最近なぜか反抗期が弱まっているような妹たちにさっき少しドキドキしてしまったのは、それこそ吊り橋効果というやつに違いない。二人はあくまで僕の妹なのだから。
***
本当は展望台とは逆の方にある「
「か、帰りはあたしたちが繋ぐんだから……っ!」
「だって結衣花さんは平気なんですよねっ?」
「あちゃー……ま、良いけど」
「くっ、なんて大人の余裕……っ」
また雪奈と澪奈に抱き着かれながら吊り橋を戻った。ベンチに座って少し時間を潰した僕たちは、予定時刻である五時になったのを見計らって、すぐ傍のホテル――鬼怒川王国ホテルにチェックインした。
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