第34話 鬼怒川温泉旅行① 早起き

 枕元でスマホのアラームがうるさく鳴り響き、意識が次第に覚醒してくる。カーテンの外はまだ真っ暗だ。二度寝をささやいてくる甘い誘惑を、気力を振り絞って何とか断ち切る。


「はぁっ……よしっ」


 連休だというのに五時起きだ。ベッドから起き上がった僕はカーテンを開け放ち、寝間着から外出する格好に着替えて廊下に出る。ちょうど同じタイミングで雪奈の部屋の扉が開いて、薄いグレーのパジャマ姿の結衣花さんと鉢合わせた。


「あ、おはよう孝樹君……ふあぁ……」

「お、おはよう結衣花さん……ふあぁっ」

「私のあくび、うつっちゃったね」


 二人で階段を下りてリビングに行き、朝食の支度をする。――と言っても、昨日パックに詰めておいたご飯をレンチンするだけなのだが。


「うーん、雪奈も澪奈も来ないなぁ」

「あー、雪奈ちゃん、まだぐっすり寝てたからそのままにしてる。澪奈ちゃんも同じじゃないかな?」

「……先に食べようか」

「だね。後で私、コンビニで二人に何か買ってくるよ」

「いや、僕が行くよ。結衣花さんはその間に着替えてて」

「そっか……その方が助かるかも。じゃあ、お言葉に甘えて」


 予定では六時の電車に乗らなければならない。この特急を逃して各駅停車に乗ることになれば、昨日徹夜で立てたせっかくのプランが台無しになってしまう。それに僕は、妹二人の好みを一応把握している。兄として当然のことだ。


「ごちそうさまでした」

「美味しかったね」

「いや、ただのふりかけご飯だと思うけど」

「……分かってないなぁ」

「えぇっ!?」


 結衣花さんとほとんど同時に食べ終わった僕は、一応歯磨きをしてから急いで外へ出た。すぐ近くにコンビニがあって助かったとこれほど思ったのは今日が初めてかもしれない。


「えーっと、おにぎり、おにぎりっと……あった」


 早朝だからか棚はスカスカで、お目当ての品が売っていたのは割とラッキーだったかもしれない。


「562円になりまーす」


 雪奈と澪奈に二つずつ買ったのはツナマヨおにぎりだ。今日のために一万円きっかりチャージしてあるICカードでサッと会計を済ませ、僕は我が家に舞い戻った。


「お帰りー。買えた?」

「おう。あ、雪奈に澪奈、おはよう」

「お、おはよ……」

「うむ……」

「二人とも、早く食べないと電車に送れるから」

「はーい……」


 扉を開けると、結衣花さんが玄関で待っていてくれた。その後ろで洗面所へ入っていく妹たちの目はまだとろんとしていて、ちょうど今起きてきたばかりなのがバレバレだ。彼女たちを急かして上がり込んだ僕に、元メイドが声をかけてきた。


「この服装、どう?」


 緑色の長袖パーカーにデニム地のレギンス。背中には白地に青のワンポイントが入った小さめのリュックを背負っている。動きやすそうな格好で、なおかつ十分に可愛らしい。


「すごく似合ってると思います」

「ふふ、ありがと」


 リュックを背負うのはまだ少し早い気がするけれど、それだけ彼女もこの旅を楽しみにしていてくれたということだろう。昨日まとめておいた荷物を取りに、僕も急いで階段を駆け上がった。



 ***



「はぁっ……はぁっ……」

「ふぅっ……何とかっ、乗れた……ね……」

「疲れたぁ……」

「心臓が……破裂するぅ……」


 それから三十分後。

 発車直前の特急に、僕たち四人は何とかギリギリ乗り込むことに成功した。そのぶん、ただでさえ重たい荷物を主に僕がいくつも持って、自宅から駅まで数百メートルを全力疾走させられる羽目になったのだが。


「まったく……澪奈、ちゃんと昨日のうちに荷物用意しといてってあれほど言ったじゃないか……」

「ご、ごめんなさい」

「まぁまぁ孝樹君、もう済んだことなんだしさ」


 すっかり明るくなった窓の向こうから朝陽が差し込んできて、ロングシートに座る僕たちをまぶしく照らした。ホームを滑り出た電車はまたたく間に加速して、ものの十秒ほどで自宅がある辺りを通り過ぎてゆく。


「いやぁー、特急は早いね」

「もしかして結衣花さん、ここの特急に乗るのは初めて?」

「どうだったかなぁ……久しぶりなのは間違いないけど」

「新宿まで四十分だっけ?」

「そうだよ。乗れて良かった」

「うぅ、ごめん……」

「もう良いって。澪奈の好きなおにぎりもちゃんと買ってあるから、東武鉄道に乗り換えたら食べよう?」

「うん……っ」


 物凄い速度で視界を横切ってゆく電柱を見ているうちに、結衣花さんと澪奈は眠気を誘われてしまったらしい。やはり連休だからか、早朝にしては既にそれなりの人出だと思うのだが、二人ともあっという間にすっかり眠りに落ちていった。


「……これは僕が頑張って起きてるしかないな」


 僕の肩に小さな頭を預けて、すーすーと寝息を立てる二人の寝顔は、幼子おさなごのように安らかで可愛らしい。澪奈の隣では、雪奈が何やら一生懸命スマホを見ている。もしかすると現地の観光スポットを調べてくれているのかもしれない。


「次は聖蹟桜ヶ丘せいせきさくらがおか、聖蹟桜ヶ丘――」


 次の乗り換えを復習しておくかと思い、僕もポーチからスマホを取り出した。

 僕たち四人の家族旅行が今、始まったのだ。

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