第33話 駅ビル買い物デート(後編)

「うーん……これとかあったら便利かな。孝樹君はどう思う?」


 水着を買った後、僕たちがやって来たのは京王ストアのすぐ隣にある百円ショップだ。売り場面積は広くないものの品揃えは悪くないし、何より安い。

 結衣花さんは顎に手を当てて、台所回りに使えそうな便利グッズを探していた。彼女が手に取ったのは透明なボックス。色々な物が入れられるし、複数の種類のボックスを繋げて使えるようになっているらしい。


「小物入れか。確かにそういうのがあると、物を小分けにして整理できるから便利だけど……でも、置きたい場所のサイズは測ってきた?」

「あ、そうだよね……また今度にした方がいいかも」


 結衣花さんがボックスを置く場所としてイメージしているのは、恐らく食器やら袋やらでゴチャゴチャになっている台所の棚だろう。幅と奥行きを測ってくれば良かったんだが――。


「タワシ、新しいの買っとく?」

「もう汚くなってきた?」

「うーん、まだ大丈夫だと思うけど……」

「でも、汚れてきたなら買っておくか」


 我が家の台所はすっかり結衣花さんに握られているなぁ。ごく普通に洗い物の話をするとか、まるで新婚夫婦みたいだ――ってそうじゃなくて。似合わない妄想を頭から追い出す。そういえば妹たちの姿が見当たらないことに気づいて、僕は彼女にたずねた。


「あれ、雪奈と澪奈がどこにいるか分かる?」

「三階の文房具屋さんに行ってくるって聞こえたよ。私たちも行こっか」


 エスカレーターで三階に上がって文房具コーナーに入ってゆくと、果たして奥の方に澪奈がいた。


「あ、ここにいたのか」

「……ごめん」

「別に良いんだけどさ。何か買いたいの?」

「ううん」


 彼女がじっと見つめているのは画材コーナー……特に、コピックと呼ばれるアルコールマーカーが並べられている棚だ。


「コピックが欲しいんだ」

「まぁ……ね。でも、高い」


 36色で九千円。これは確かに手が出ない。バラで買うという選択肢もあるにはあるけれど、中途半端に買ったところで澪奈は家では使わないだろうし、あまり良いお金の使い方ではない気がする。


「でも急にどうしてペンに? 澪奈はいつもデジタルで描いてるじゃないか」

「いや、その……旅行先でも描きたいなって」


 小さな声で言う次女。神絵師だけあって、絵に向ける情熱は素晴らしいものがある。……というか、絵を描くことが本当に好きなのだろう。


「色鉛筆は確かあったじゃないか。色鉛筆じゃダメなの?」

「デジタルみたいに均一に塗るのが難しくて……」


 チラッチラッとこちらを上目遣いで見上げてくる澪奈。


「それなら、ペンタブを持ち歩くのは? 澪奈のやつ、割と小さかった気がするし。重いなら持ってやるよ」

「わたしのパソコンはデスクトップで持ち歩けないから……意味ない」

「い、言われてみれば」


 デジタルイラストにおけるキャンバスである液晶タブレットは、パソコンに接続しなければ使えない。いつかお金を貯めて彼女にノートパソコンを買ってやるかとひそかに思いつつ、僕は腕を組んだ。


「まぁ事情は分かったけど……でもな、澪奈。悪いけど、これを買うと旅行に行く金がなくなっちゃうんだよ。ごめん」


 頭を下げた僕に、彼女は優しく言ってくれた。


「大丈夫。それは知ってるから。わたし、ただ見てただけなの。見てるだけで十分楽しい」

「そっか」


 さっき『旅行先でも描きたいな』と言っていた気がするが、やっぱり澪奈は良い子だ。今のように厨二病を発症していない時は、こうしてほぼ完璧なクール系美少女と化すのである。笹木澪奈、恐ろしい子。

 そう思っていると、背中から鋭い殺気を感じた。この感覚は――。


「……雪奈、そこにいたんだ」

「……別に」

「へぇ、紐? あ、いやチェーンか」


 雪奈が熱心に見ていたのは、レジに近い棚の隅に掛けられているチェーンだ。小学生がランドセルからバスなんかの定期券入れを繋げるのによく使っているアレである。


「……今、子どもっぽいって思ったでしょ」

「お、思ってない思ってない!」


 僕をジト目でにらんだ雪奈は溜め息をついて、再びチェーンを見つめた。


「ちょっと前にさ、バッグからお財布を落としちゃったことがあってね。布の紐だと切れちゃうかもしれないから――こういうチェーンならちょうど良いかなって」

「それは僕も賛成だよ。これは一つ一つの輪っかが小さくて、女の子が使っても可愛いと思う」

「だよねだよねっ! ……あ」


 ついはしゃいで、それから頬を赤く染めて押し黙る彼女。

 いつもこうだったら可愛い妹なのにな……久しぶりに可愛いところを見られたので、ここはお兄ちゃんが一肌脱いでやろう。


「よし、じゃあ僕が買うよ。雪奈は結衣花さんと澪奈と合流してて」

「えっ、あたしのなんだからあたしが……」

「雪奈はそのぶん、向こうで何か買うのにお金を使った方がいい」

「そ、そう……じゃあ、お願い、します……」



 それから、僕たちは2階にあるレストランでお昼を取った。


「こちらハンバーグステーキになります」

「へぇ、結衣花さんって結構肉食系なんだ」

「ふふ、まぁね。夜だったらライスも追加したんだけど、流石に太っちゃう」


 冗談っぽく言った結花さんと、彼女の正面でガーリックトーストパン一つだけを食べている雪奈の視線が、バチッと静かな火花を散らしている。


「雪奈ちゃん、いくらなんでも足りないんじゃない?」

「いいえ、あたしはこれで十分ですっ」

「もうちょっとはお肉をつけないとモテないと思うなぁ……ね、孝樹君?」

「僕? ……まぁ、ガリガリすぎると見てて心配になるし」


 隣から突然言われて、僕はチョリソーをかじろうとしていた手を止めた。


「そ、そうなんだ……」

「雪奈は成長期なんだから、無理してダイエットするのは逆に良くないんじゃないか?」

「で、でも」

「ついて欲しいお肉だってあるでしょ?」


 むふんと得意げに腕を組んで胸を反らす結衣花さん。そのどこか色っぽい仕草に、僕は思わずメイド服を着た彼女の深い谷間を思い出してしまい――。


「……アンタ」


 絶対零度の視線を向けてくる雪奈。


「い、いやぁ……ほら結衣花さんも、年下相手に大人げないこと言わないでよ」

「はーい……って、あっ」


 何かが足りないと思っていたら、さっきから澪奈が一言もしゃべっていない。


「み、澪奈ちゃん……?」

「…………何ですか」


 死んだ目でパスタに突き刺したフォークをくるくると回し続ける次女。そんな彼女の胸元は、年相応になだらかで。


「ほ、ほら……まだ中学一年生なんだし、これからだよこれから!」

「そ、そうよ! あたしだってこれでもDはあるし……アンタだってきっと……」


 ズーンという効果音を立ててうつむいて、さっきから一口もパスタを食べていない澪奈。雪奈も雪奈だ、これでは励ますどころか追撃しているに等しい。ここは兄である僕の出番だ。恥ずかしいというかセクハラっぽいが、仕方ない。


「……澪奈。胸は大きさじゃないぞ」

「…………そうなの?」

「ああ、そうだっ! 男子は口では好き勝手言っているが、実際は大きくても小さくても……お、おっぱいが好きなんだ!」

「……お兄ちゃんも?」

「そ、そうだよっ!」


 自棄やけになって叫ぶと、澪奈の表情が明るくなった。やれやれと胸をで下ろしていると、今度は結衣花さんと雪奈が押し黙っている。周囲からも生温かい視線が突き刺さってきた。


「はぁ……どうすりゃいいんだ……」


 チョリソーを頬張りながら、僕はメニュー表の間違い探しに没頭することにした。二つの絵を細かいところまで見比べないといけないこれは意外に難しいのだが、何だかんだ楽しいのである。現実逃避は重要だ。

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