第29話 初めての同衾(後編)

「あぁ……お湯に浸かったのにまだ痛い……」


 まだしびれが残っている足をさすりながら、僕はお風呂を一通り洗って自室に戻ってきた。結果的に結衣花さんの下着を触ってしまった僕が悪いのは勿論なのだけれど、いくらなんでもこんなにずっと正座させることはないんじゃないだろうか。


 ぶつくさ言いながらパソコンを起動した。調べるのは、父さんから言われた旅行の行き先についてだ。


「熱海、伊東、箱根は全滅……札幌も沖縄も遠すぎて論外だし……」

「松島も良いけど――いやダメだ、行くだけで予算オーバーだ」


 東京からほど近い人気の観光地を漁ってみるものの、旅館はどこも予約済みになってしまっている。当然だろう。東京から離れた場所になるとまだ空いているホテルもあるが、そこに行くまでの交通費を調べてみるとそれだけで片道一万円以上かかってしまう。


「まったく、もっと早くに言ってくれれば良いのに」


 ぼやいてみても始まらない。

 そうだ。皆の意見も聞こう。

 ……だけど今日はもう遅い。雪奈の勉強を邪魔しちゃ悪いし、澪奈は――絵でも描いているだろうか。そうなると結衣花さんだが……。


「どこにいるのかな。ちょっと探してみるか――っ!?」


 椅子から立ち上がってドアを開けた途端、お目当ての人物と鉢合わせた。


「結衣花さん……っ!?」

「しーっ。妹ちゃんたちにバレちゃうでしょ」


 薄いグレーのパジャマを着た彼女が部屋にそっと入ってくる。


「な、何の用?」

「用がなきゃ……来ちゃいけない?」

「いっ、いやそういうわけでは……」

「ふふ、冗談」


 そういう冗談は心臓に悪いのでやめて欲しい。

 色々と勘違いしそうになってしまうじゃないか。


「足でもマッサージしてあげようかと思って」

「ま、マッサージ……ですか」

「そう。結構痛そうにしてたしさ」

「いや別にもう大丈夫だよ。っていうか、僕がその……結衣花さんの」

「そっ、その話はもう良いからっ」

「でも」

「怒ってないし、それにし、下着くらいどうってこと……とにかくっ! そこにうつ伏せになって」

「わ、分かった」


 顔を少し赤く染めた彼女に指差されて、僕はベッドの上にうつ伏せに寝た。

 上から結衣花さんが乗ってきて、僕の両足の間にちょこんと腰を下ろす。


「い、いくよ……?」

「お、おう」


 ふくらはぎに温かな感触。背中越しに感じる彼女の体温。


「んんっ……気持ちいい?」

「うん……すごく」

「そう……それは良かっ、た……っ」


 小さな掌に、り固まった筋肉がほぐされてゆくのが分かる。


「ああ、最高……結衣花さん、マッサージの才能あるんじゃない……?」

「ふふっ、それはどうも。ところで、さっきは何か調べてたの? ……あ、私に言えないようなことなら言わなくて良いよ」

「いや違うって。実はさ、父さんからこの連休中に旅行してこいって言われてるんだ。もちろん結衣花さんも一緒にね」

「私も? 良いの?」

「家族の絆を深める、的な感じで。どうかな?」

「私こそだよ。雪奈ちゃんと澪奈ちゃんも良いって言ってくれるなら喜んで」


 明らかに嬉しそうにしてくれる結衣花さんの様子に安堵あんどしながら、僕は最大の課題について彼女に相談することに決めた。


「それなら良かった。……だけど、いかんせん急すぎて泊まるところがほとんど残ってなくてさ」

「あー、そりゃそうだ」

「結衣花さんはどこか行きたいところとかある?」

「私かぁ……うーん、温泉に行きたいかな」

「へぇ」

「あーっ! いましぶい趣味してるって思ったでしょ」

「思ってないよ。正直僕も温泉に入りたいって思ってたし」

「ほんと? じゃあ嬉しい」

「だけど、熱海とか箱根は見るからにダメだった」

「そうだね。私も詳しいわけじゃ全然ないから、穴場とかも知らないし……」


 マッサージを続けながら首をひねっていた彼女は、しばしの沈黙の後に小さく叫んだ。


「そうだ! 関東の少し北の方の温泉地なら開いてるんじゃない?」

「関東? 関東はたぶんどこも……」

「でも、東北とか中部に行こうとすると、交通費も馬鹿にならないでしょ?」

「それはその通りだけど――あっ」

 

 関東の少し北の方で、穴場などではない有名な温泉地。


「鬼怒川温泉とか?」

「そうそう。まぁ他にもたくさんあると思うけど、私のイメージは……そういう、感じ……」

「良さそうだね。調べてみるよ」

「うん――」


 頷いたその時、突然彼女の声が途絶え――そして彼女の身体が崩れ落ちてきた。


「ちょっ、大丈夫!?」

「だいじょーぶ……」

「……もしかして眠い?」

「うん……」


 うつ伏せになっているところから手を伸ばしたものだから、真横で抱き締めるような形になってしまう。


「ご、ごめん結衣花さんっ」

「へいきだよ……うふふ……」

「そ、そっか」

「いっしょに……ねよ……?」


 流石にシングルベッドで二人で寝るのは――起き上がろうとした僕の耳元で、結花さんが眠たげな声で囁いてくる。


「で、でも……」

「ねて……くれない、の……?」


 今にも意識が落ちそうな彼女から繰り出される色っぽい言葉に、僕の心臓がドクンと跳ねる。


「いいの……?」

「うん…………おやすみ……」


 そう満足げに呟いて目をつぶった結衣花さんは、安らかな表情でこちらに手を伸ばしてきた。固まっている僕の左手が彼女の柔らかな胸元に引き寄せられる。


「お、おやすみ……」


 どうすりゃ良いんだと思いながらも、僕もすっかり眠くなっていたらしい。

 風邪を引かないように布団を二人で被った途端に急激な眠気に襲われた僕は、いつの間にか眠りに落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る