第28話 初めての同衾(中編)

「……もしかして寝てるのか? 体調大丈夫?」

「べ、別に寝てないっ! しつこく聞かないでこの変態っ!」

「お、おう……ごめん」


 しつこく心配してくるお兄ちゃんを扉越しに追い払ったあたしは、火照った身体で寝転がったまま薄暗い天井を見上げた。


 ……最近、夕島先輩とお兄ちゃんの距離がやたら近い――気がする。


 妹としては喜ぶべきなのだろう。女っ気などこれっっっぽっちもなかったウチのダメ兄貴に、天使のような美少女が突然現れてくれたのだから。家事をしてくれるメイドさんとして我が家にやって来た夕島先輩は、これからはあたしたち家族と同棲することになる。


「これ……結構不味い……のかも」


 明らかに変だと思うようになった始まりは、夕島先輩がお兄ちゃんにメイド服を披露していたあの夜だ。あたしの妄想が少しばかり暴発してブーストがかかっていたとはいえ、あの距離感はただのクラスメイトどうしの男女の距離感じゃないはず。


「やっぱり先輩、お兄ちゃんのことが好きなんじゃ……いやいや、そんなわけ……でも……」


 法的にお兄ちゃんと添い遂げることはできなくても、せめて精神的に幸せにしてあげるポジションはあたしのものだと思っていたのに。


「まぁ、あれだけ一生懸命気遣われれば、弱った心に響いて陥落しちゃう……とか」


 そうなると不味い。非常に不味い。

 ただでさえ日頃はついついお兄ちゃんに冷たく接してしまって好感度はゼロどころかおそらくマイナスだというのに、そこに才色兼備な夕島先輩がやって来たら、あたしの勝ち目は万に一つもなくなってしまうのでは……。


 しかし、だからといって先輩を追い出そうなどとは、もはや到底思えなかった。先輩にピアノを教えてあげた、そして先輩の涙を見てしまったあの夜のことを思い出すたび、胸がきゅっと締めつけられるから。先輩が必死に夢を追い求める姿に、思わず共感してしまったから。


「はぁっ……お風呂入るか……」


 まだ負けたと決まったわけじゃない。あたしは気力を振り絞って起き上がり、疲労感の残る身体で風呂場へと向かった。

 


 ***



 いつも通り何気なく洗面所に入ろうとドアノブに手を伸ばした僕だったが、閉じられた扉の向こうから水音が聞こえてくるのに気づき、手を慌てて引っ込めた。危ない危ない、結衣花さんが入っているというのに勝手に洗面所に入ってしまうところだったのだ。


「ゆ、結衣花さん。洗濯物を干すから洗面所に入るよ?」

「あ、うん。どうぞ」

「じゃあ……失礼しまーす……」

「あはは、孝樹君の家なんだから」

「言われてみれば」


 りガラスの向こう、浴槽に足を踏み入れている肌色の影が朧気おぼろげに見えてしまう。急いで目を逸らしながら洗濯かごに手を突っ込んだ僕は、そこではたと気づいた。


「あっ、こっち見ちゃダメだよ?」

「み、見てない見てないっ」


 さっき洗濯したばかりの僕のYシャツと、いつも見慣れているし見たところで特に何も思わない澪奈の下着に交じって、結衣花さんの――。


「……我が兄よ、いったい何を慌てておるのだ?」

「そうだよ、別に……あっ。そういえば私の下着……っ!」


 今すぐにでも手を放すべきと分かっているのだが、なぜか右手が言うことを聞いてくれない。今はもう自分で洗うようになった雪奈の下着を最後に洗った一年前、その時の彼女のカップサイズとは比べものにならない球体表面の大きさ。これは……!


「もしかして、その……」

「あっ、わざとじゃなくて……」

「さ、触ってるの……!?」

「うわー、変態」

「だから違っ、これはいつもの癖で」

「――孝樹君、まさかいつも澪奈ちゃんとか雪奈ちゃんの」

「そうじゃなくてですね!? 別にイヤらしいこととかしてるわけじゃなくて……」


 事情を説明しようとすればするほど墓穴を掘っている気がする。

 取り敢えず洗濯かごから手を放そうとしたその時。


「夕島先輩、あたしも入りま――」

「ゆ、雪奈……!?」


 よりによって最悪のタイミングで入ってきた一つ下の妹と目が合った直後、僕は強烈なビンタを頬に食らって吹っ飛んだ。


「何してるのアンタ!? 今すぐ出てけこのド変態バカ兄貴っ! あたしが出るまで廊下に正座っ!」


 洗面所から叩き出され、扉が目の前でバタンと閉まる。

 不幸だ……と一瞬は呟きたくなったものの、確かに非があるのは僕の方だ。


「レース地のピンクだったなぁ――じゃなくてっ!」


 一生忘れることができなさそうな上質の布の肌触り。それを必死に頭から振り払おうと努めながら、僕は澪奈と結衣花さん、最後に雪奈が肌をツヤツヤにして上がってくるまで一時間近く、廊下にずっと正座していたのだった。

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