第26話 最初の晩餐

「よーし! 私張り切っちゃいますね、ご主人様っ!」 


 メイド服を着て張り切っている結衣花さんの背中に、僕はおずおずと声をかけた。このハイテンションな彼女に言うのは申し訳ないというか、非常に気が引けるのだが、事実は事実である。仕方がない。


「そのですね……実は今、食材が全くない状態でして」

「…………えっ」


 ギギギギギッ、と彼女の首がゆっくりとこちらを向く。


「ええと……昨日買いに行こうと思ったんだけど、銀行からお金を下ろすのが面倒で……」

「……じゃあ、今日はこれから何を食べようと思ってたの?」

「……決めてませんでした。というか、今の今まで忘れてました」

「もしかして――私のことで……?」

「……まぁ」


 僕もそうだし、雪奈も澪奈も同じだったのだろうと思う。一応頭の片隅には我が家の冷蔵庫がすっからかん悲惨な状態だということもあったはずなのだが、でもついさっき冷蔵庫の中を開けてみるまでやっぱり忘れていた。


「そっか……じゃあ私が責めちゃダメだね」

「いや、気にしなくて良いって」

「ありがとね。……でも、これからどうするの? お金を下ろすには、もう――」


 時刻はもう七時近い。今から駅に行って預金を引き出すと、百円ちょっとではあるが手数料がかかってしまう。そもそも、そんな気力も体力もなかった。


「そうだなぁ……デリバリーを頼んでみようか。結衣花さんは食べたいものとかある?」

「わ、私? 好き嫌いとか特にないけど……」

「そうじゃなくて、積極的に食べたいものだよ。今日は結衣花さんにとって特別な日になるんだから」

「特別な、日……」


 胸に手を当てて目を閉じた彼女に、思わずドキッとしてしまった。


「じゃあ、お言葉に甘えて――」



 それから一時間と経たないうちに、結衣花さんのリクエストした夕食が我が家に到着した。メニューは何を隠そう、お寿司である。四人前がなかったので五人前を頼むことになり、さらに配送料も加えると六千円近く一気に飛んでいってしまったのだが、特別な晩餐ばんさんということで目をつぶるしかない。元はと言えば買い物を忘れていた僕の責任だ。


「うわぁ……!」

「美味しそう……!」


 デリバリーは今までほとんど使ったことがなく、中身がグチャグチャになってしまわないか心配だったのだが――丁寧に配送してくれたようで良かった。箱を開けると食卓の上に豪華で色とりどりな魚介が並ぶ。かろうじて冷蔵庫の中に残っていたジュースをコップに注ぎ、僕たちは席に着いた。


「我はサーモンを頂く」

「あぁっ! ちょっと澪奈、勝手に取らないでよっ!」

「じゃあ僕は中トロ」

「アンタまで……!」

「雪奈ちゃん、私も食べていいかな?」

「先輩は良いですよ。そうだなぁ……このネギトロとかどうですか?」

「ちょっとお姉ちゃん、いくらなんでも結衣花さんに甘すぎるんじゃない?」

「器が小さいのね。今日は先輩があたしたちの家族になった記念日なのよ? 祝福して当然じゃない!」

「家族……」

「あ、ごめんなさい先輩! あたし、勝手に――」

「ううん。ありがとう雪奈ちゃん、私嬉しくて」


 少し涙ぐんで顔を上げた結衣花さんの笑顔に、僕たちは目を合わせて頷き合い、そして元気よく叫んだ。


「先輩が家族になったことを祝して」

「かんぱーい!」

「乾杯!」

「みんな、本当にありがとう……か、かんぱいっ!」



 ***



「やっぱりか……」

「気づいてたの?」

「そこまでではないけどな……でも、彼女が家庭で何か酷いことをされているんだろうとは思っていたよ」


 結衣花さんたちが食べ終わって席を外している間に、僕は家の外に出て父さんに電話をかけた。時差は二時間だから、向こうジャカルタは夜の八時だ。


「そういうわけだから、ある程度の期間――いや、少なくとも半年くらいの間、結衣花さんにウチで暮らしてもらおうと思ってるんだけど」

「なるほど。それで?」

「だから、結衣花さんの分のお小遣いを……」

「分かった。それくらいは送ってやる。――ただ」

「ただ……?」


 僕たちは一人当たり月二万円のお小遣いをもらっている。それだけでは結衣花さんの食費をカバーできないのだ。思っていた以上にすんなり承諾してくれた父さんだったが、一つ条件をつけられた。


「彼女に給料を出すのはやめろ」

「えっ……!?」

「夕島さんが働いてるのは、確か外泊するためのホテル代だったよな?」

「それは……そうだけど」

「でも彼女は今度からウチで暮らすわけだ。なら、給料を出す必要はないだろう」

「だけど父さん、結衣花さんは僕たちの家事を――」

「その代わりとして、我が家は彼女の住む場所と食費を提供するわけだ。対価としては十分釣り合っていると思うが」


 言われてみれば、その理屈は通る。しかし、彼女は僕が雇ったメイドなわけで……。


「メイドだか何だか知らないが、彼女とどう暮らすか、どう接していくかはお前に任せる。ただ、居候の身でお金をもらうのは彼女の性格的に重みになってしまうかもしれない。一度彼女の意見も聞くべきかもしれないがね」

「それは……」


 真面目な結衣花さんのことだ。そういうことを気にしてしまうかもしれない。


「言っておくが、金をケチってるわけじゃないからな。必要なら言えよ、ちゃんと送ってやるから」

「ありがとう。後で話してみる」

「それがいい。するなら平等に、家事は最低限お互いに協力すべきだと思ってな」

「ど、どどど同棲……!?」


 突然飛び出したワードに、外だというのに思わず叫んでしまった。深夜の閑静かんせいな住宅街に僕の絶叫が響き渡る。


「何を今さら驚いてるんだ。あんな美少女と一つ屋根の下に住むんだぞ。同棲以外の何だっていうんだ」

「た、確かに……」

「あんな良い子が一緒に住んでくれるんだ。くれぐれもんじゃないぞ?」

「し、しないって!」

「分かってるなら良い。そして出来れば将来の奥さんになってもらえ」

「おい父親ぁあああっ!?」


「そうだ、孝樹」

「何か?」

「お前、今度夕島さんも入れて四人で旅行に行ってこい」

「……はい!?」

「そうだな。予算は五万円でどうだ?」

「いや、それだけあれば何とかなると思うけど――ってそうじゃなくて! 急にどうしたの父さん!? ……そもそも、今からじゃ宿なんか取れないって」

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