第25話 メイド、帰還しました

「私が……孝樹君たちの家に……?」

「そうだよ。今までは泊まってなかっただけで、実際はそんなに変わらないと思うけど」

「で、でも……そんな迷惑、かけるわけには」  


 視線を彷徨さまよわせる彼女を、僕は強い眼差しで見つめた。


「迷惑なんかじゃないよ。むしろ結衣花さんに居て欲しいんだ。僕だけじゃない。雪奈も澪奈もそう思ってる」


 背後で頷く妹たち。


「私が……居てもいいの……?」

「当たり前じゃないですか、先輩!」

あるじが眷属としとねを共にするのは当然」

「それに何より、メイドが住み込みで働くのはおかしなことじゃないでしょ?」

「みんな……」


 法律の面から、あるいは社会常識から言ったら、今の結衣花さんは警察や児童相談所を頼るべきなのかもしれない。僕たちはプロではない、ただの子どもなのだから。

 それでも、彼女のことは僕たちの手で守りたい――そう強く思った。そして、あんな傷はもう二度と彼女につけさせない。


「もちろん誘拐とかと間違われるわけにはいかないから、まずはウチの父さんを説得する。そして父さんから結衣花さんのお母さんに連絡してもらう。それで良い?」

「……うん」


 空港で別れた父さんは確かこう言っていた。

 ――『まぁ、なんだ。あまり他所よその家のことには首を突っ込めないけど、困った時はいつでも相談してくださいね。ジャカルタは時差二時間なので』と。

 今となっては確信に近いものがある。父さんはきっと、いずれこうなることを予期していたのではないかという確信が。ならばその手を使わないわけにはいかない。


「ありがとね、孝樹君……何から何まで」

「そんなことないよ。結衣花さんは我が家のメイド。そして従業員たるメイドを守るのは、雇用主たる僕たちの役目。そうでしょ?」


 おどけて言うと、ようやく彼女の口元に小さな笑みが浮かんだ。


「……精一杯ご奉仕させていただきますね? ご主人様っ」


 ――それを聞いた雪奈と澪奈の目が僅かに細まっていたことを、このときの僕が知るよしもない。 


 それから三十分ほどかけて結衣花さんの荷物をまとめた。女の子の私物を覗くわけにはいかないので作業は妹たちに任せ、僕は玄関先に一人腰を下ろして待った。


「う、嘘……え、F……だって……?」

「先輩、おっきい……」

「ちょっ、二人ともっ!? そんなマジマジと見ないでよっ!」


 ……楽しそうな彼女たちの声を懸命の努力でシャットアウトしながら、これからの日々に思いを馳せる。結衣花さんの母親がどんな人なのかは分からない。最初は親どうしで話し合ったほうが良いだろうから父さんに任せるけれど、いずれ僕が直接相対あいたいすることになる。


「絶対に負けない……結衣花さんのために」



 ***



「うわぁっ……なんかちょっと久しぶりかも」


 我が家の玄関を開けると、夕島家とは明らかに異なる香りが漂ってきた。庶民的な木の香りだ。


「……なんか安心する。なんで……だろうね」

「そっか」


 穏やかに言う彼女の横顔に思わず見惚みほれそうになるのを振り払って、僕は洗面所に入った。うがい用のコップも、歯ブラシや歯磨き粉も、今日からもう一セット増えるのだ。メイドとは言っているけれど、実質的には家族がもう一人増えたということに違いない。


「ごめん、ちょっといい?」

「あ、うん」


 ボーッとしていると当の結衣花さんがやって来て、僕の横で手を洗い始めた。必然的に触れ合う肩と肩。彼女の肩から二の腕にかけてはダボダボのTシャツ越しにも分かる女の子らしい柔らかさで、せ型の僕の二の腕を優しく圧迫してくる。

 その感触にドギマギしていると、気づけば彼女は僕が使ったコップでうがいを始めていて――。


「ちょ、ちょっと結衣花さんっ!? そのコップ……」

「……あ」


 彼女の白い頬に赤みが差す。


「ごめん、もっと分かりやすくしとけば――」

「う、ううん……私こそごめん、勝手に使っちゃって……嫌だったよね」

「別に……嫌とかじゃ……」


 流れ出した変な空気に、どうすれば良いのか全く分からない。二人で並んだまま固まっていると、雪奈が舌打ちしながら僕と結衣花さんを両手で引き離した。


「ああもう邪魔っ! アンタはあっちいってて!」

「お、おう……」


 そしてふと振り返ると、なんと雪奈まで僕のコップを使ってグイッと水を飲んでいた。もう訳が分からない。妹とは間接キスも何もないとは思うのだが――というか、飲む前にうがいをしなさい雪奈さん。



 気を紛らわすため、二階の自室に引きこもって数学のワークを解いていると、コンコンと扉がノックされた。こんな行儀の良い人間は我が家に今までいなかった。となると、扉の向こうに立っているだろう人は一人しかいない。


「どうぞ」

「し、失礼しまーす……」


 恐る恐る部屋に入ってきた結衣花さんの格好に、僕は硬直したまま動けなくなった。


「そ、その格好って……」

「うん。今日からこれを私の……ここでの制服にしようと思うんだけど。ど、どうかな……っ?」

「す、すごく似合ってると思う……」


 彼女が着ているのは少し前に買った、あのワンピース型の黒いメイドコスチューム。高校一年生とは思えない彼女の胸元がガラ空きになっている、非常に目に毒な代物しろものである。


「そっかぁ……着てよかった」

「結衣花さん……」

「これからはこの服が私の戦闘服になるんだなって思って」


 でも、嬉しそうにくるりと回転した彼女の幸せそうな顔を見て、そんな気分は吹き飛んだ。我が家にメイドが帰還してくれた――そう実感できたから。


「おかえりなさい、結衣花さん」

「ただいま帰りました、ご主人様っ」

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