第23話 ここから出よう(中編)

「来てくれたんだ。ごめんね、心配かけちゃって」


 玄関先で僕たちを迎え入れてくれた彼女に、僕たちは声が出なかった。


「結衣花さん……」


 いつもなら流れるように美しいボブカットの茶髪はボサボサで、くしかされた様子もない。学校では生き生きとした光をたたえている大きな目は真っ赤に充血していて、明らかにずっと泣いていたことが分かる。服はしわくちゃの白いTシャツとグレーのショートパンツを着ただけ。学校一の美少女の、あまりにも変わり果てた姿だった。


「あはは……ごめんね。見苦しいって分かってるんだけど……」

 

 明らかに強がりだと分かってしまう笑顔は今にも剥がれ落ちてしまいそうで、見るにえないほど痛々しい。


「い、いや大丈夫だよっ! とにかく、結衣花さんが無事で良かった」

「ふふ、何それ。私が……死んじゃったとでも思ったの?」

「思ったよ」


 いつもの揶揄うような口調。けれどその色っぽい声はわずかに震えていて、僕は彼女の両肩を強くつかんだ。


「前に結衣花さん、言ってたよね。お母さんとうまくいってないって。家から出たいんだって」

「……うん」

「僕たちじゃ力不足かもしれないし、信じられなくても仕方ないと思う。でも寺島さんとか先生とかにも連絡してないってなったら……そりゃあ心配するに決まってるじゃん」


 彼女は目を伏せて、そして長い前髪の奥で「ごめん」と呟いた。


「ちょっとアンタ、いつまで肩掴んでるのよ。夕島先輩が嫌がってるでしょ」

「あっ、ごめん!」

「ううん、良いの……悪いのは私だよ。孝樹君からも寺島さんからも、それに雪奈ちゃんと澪奈ちゃんにも連絡もらったのに……私、返信できなかった」


 僕の知らないところで妹たちもやっぱり心配していたらしい。後ろに立っている二人を振り返ると、雪奈と澪奈も視線を合わせてきた。


「仕方ないよ。連絡したくない時もあるだろうし。こちらこそごめんね、何回もメッセージ送ったりして」

「謝らないでよ。むしろ嬉しかった。私のことを心配してくれてる人がいるんだって。特に三人ともメッセージ送ってくれたのは本当に嬉しかった。それにおかしいんだよ? 兄妹なのに全然違う時間帯に連絡来るんだもん。特に澪奈ちゃんとか、午前二時に突然メッセージ送ってくれて……」

「うっ……」

「おい澪奈、寝ないと背が伸びないぞ?」

「ほ、ほら、闇に生きる我のごとく、我が眷属である結衣花も夜行性なのかと――あぐっ」

「まったく……ごめんね結衣花さん、澪奈が邪魔しちゃったみたいで」


 次女の頭を抑えながら一緒に謝った僕に、彼女は首をふるふると横に振りながら穏やかな声で微笑んだ。


「とんでもない。むしろちょっと悪いことしてるみたいで楽しかったくらいだよ。ありがとうございます、澪奈様」

「う、うむ……」


 眷属に頭を撫でられて満更でもなさそうな澪奈を見ながら、僕はホッと一息ついた。僕たちと話したことで、ほんの少しだけど彼女が元気になってくれたような気がしたからだ。

 こうして一人で一日中家の中でじっとしていれば、自分が思っている以上に憂鬱ゆううつになってしまうことだろう。何かお母さんといざこざがありでもしたら尚更。


「……結衣花さん。お母さんのこと、もちろん話せる範囲で良いから、僕たちに教えてほしい。ダメかな」


 これ以上、僕は彼女の悲しそうな顔を見たくない。雪奈も澪奈もきっと同じだろう。


「……それは」

「まだ知り合ったばかりだし、正直頼りがいは全然ないと思う。まだ高校生になったばかりの僕にできることなんてほとんどない、それも分かってるつもり。だけどさ、せめて少しでも話してほしいんだ。誰かに話すことで楽になることもあると思うから」

「……あたしも」


 懸命に説得を試みる僕の隣から、雪奈も口を挟んできてくれた。


「先輩のこと、もっと知りたいです。この前、一緒にピアノを弾いた仲じゃないですか! あの時どうして先輩が泣いてたのか聞きそびれちゃってましたけど……だから、今教えてください。先輩の夢を」


 長女の口から紡がれた新事実の数々に、頭の中で点と点が繋がってゆく。結衣花さんが我が家に泊まった夜、ぼんやり聞こえてきた『きらきらぼし』。そしてその翌朝、彼女が突然僕に将来の夢をたずねてきたこと。


「もしかして結衣花さん……お母さんと」

「喧嘩したって? うーん、仕方ないかぁ……。じゃあ三人にだけ話そうかな、私のこと」


 そう言って、結衣花さんはくるりと後ろを向いた。そしてなんと、ダボダボのTシャツをいきなり脱ぎ出した。


「ちょっ、ゆっ、結衣花さんっ!?」

「先輩っ!? おいアンタッ、何まじまじと見てるの――」


 僕の両目を隠そうとする雪奈に、結衣花さんは少しだけ恥ずかしそうに言った。


「ううん。ちゃんと見てほしいの、私の背中」


 重たい布がぱさりと床に落ち、全く日焼けのしていない彼女の白い背中があらわになる。そのまま手を止めることなく、彼女はかろうじて裸の背中の一部を覆っていたピンク色のブラのホックさえも外し――。


「あっ……」

「そんな……っ」

「ひどい……」


 左手で胸を抑えた結衣花さんは、前を向いたまま静かに呟く。僕たち三人は彼女の背中に釘付けになった。


「私がこの前お母さんとしたのは、喧嘩というより殴り合いなの。これはその時にできた傷。お母さんの背中にも同じような傷がついてるんだ。私が、自分の夢のために戦った爪跡が」


 かさぶたで塞がりつつある赤く細長い引っ掻き傷が、彼女の背中を鮮やかに彩っていたのである。

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