第3章 疑似家族旅行

第22話 ここから出よう(前編)

「や、やっとついた……」

「もうっ、ちゃんと道覚えてるって言ってたじゃない!」

「はぁっ……はぁっ……こ、この程度で音を上げているようではぁ……我が眷属けんぞくは務まらぬぞ……っ?」

「ぷっ……澪奈が一番息荒いじゃない」


 以前結衣花さんを車で自宅まで送った父さんに同行していた澪奈の案内で、僕と雪奈も合わせた三人は結衣花さんの家に何とか無事に到着した。ただでさえ放課後だというのに回り道をしてしまったため、日没は刻一刻と迫っている。


「それにしてもお金持ちなんだな……結衣花さんの家って」


 傾き始めた春の夕陽が、そびえ立つ銀色の壁面を眩しく染め上げていた。澪奈によれば、僕たちの目の前に建っているこのタワーマンションに夕島家は入居しているのだという。都心に何棟も建設されているような超高層ビルではないものの、この辺りでは恐らく一番高い建物だろう。

 

「じゃあ……」

「ほら、さっさと行くわよ」


 我が家とは全く違う高級感やモダンさに僕と澪奈が気圧けおされていると、雪奈は溜め息をついてずんずん歩き出す。音もなく開いた自動ドアを彼女の後に続いて通り抜けると、暖色系のライトに照らされたエントランスが姿を現した。


「おぉ……」

「広い……」


 玄関ホールはベージュを基調とした落ち着いた色の大理石で造られており、天井も高い。ゆとりのある空間だ。右側の壁には銀色のポスターが整然と並んでいて、そしてその手前にインターホンがあった。


「ええっとなになに……『訪問先の室番号を押してください。表示を確認して呼出ボタンを押してください』」


 こういうオートロックのマンションを訪れるのは初めてだ。黒い画面に白い文字で書かれた注意書きを読んだ僕は、そこではたと気づいた。


「そういえば……結衣花さんって何号室に住んでるんだ?」

「あっ」

「アンタたちさぁ……」


 そりゃあそうだ。例えタワーマンションでなくとも、何号室に住んでいるのか分からなければ彼女と会いようがない。マンションに住んでいること自体は澪奈に聞いていたのだから、結衣花さんに聞いておかなかった自分の責任だ。結衣花さんを車で送っていった時に、澪奈が彼女の部屋番号を尋ねるわけにもいかなかったし――。


「いやいや、何号室かまで聞く方が気持ち悪いでしょ。仕方ないよ……って何よ」


 普段圧倒的に兄に冷たい雪奈になぐさめられてしまい、肩を落とす。

 とはいえ、せっかくここまで来たのだ。こうしていても仕方ない。何とかして結衣花さんの部屋番号を知らなければ何も始まらない。


「そうだ、寺島さんなら……!」


 僕はポンと手を打った。確か寺島さんはさっき『……わたしもお見舞いに行こうかなって思ってたけど、笹木くんに任せることにするよ』と言っていた。個人情報だから担任に尋ねても答えるわけにはいかないだろうけれど、今回の経緯を知っている彼女なら教えてくれるかもしれない――。

 そう考えた僕は、思い切って通話をかけてみたのだが。


『あー、そっか……教えてあげたいところだけど、夕島さんに無断で部屋番号を教えるのはちょっとなぁ……』

「やっぱりそう、だよね……」


 よく考えてみれば彼女の言う通りだった。クラスメートとはいえ異性に、自分の親友の部屋番号を教えるのはよろしくないことに違いない。むしろ教えるほうがおかしいだろう。


『まぁ夕島さん、笹木くんのことは結構信頼してるみたいだし、わたしが教えても怒らないとは思うんだけどね』

「……いや、でもやっぱり良くないよ。本人の許可を得なくちゃ」

『確か夕島さんのマンションって、鍵がないと中に入れないもんね』

「そう。もう万事休すって感じでさ」

『だからといってわたしが行ってもなぁ』

「寺島さんも来れば――」

『それはちょっと……ね』


 意味ありげな沈黙の後、彼女は少し高めの声で言った。


『もう一回電話してみたら?』

「それは……でも」

『夕島さんが出るまでかけ続けるの。それでもダメだったら、〈もしもし結衣花さん。いま、あなたのマンションのエントランスにいるの〉的なメッセージを送ってみるとか』

「そ、それはストーカーみたいで流石にちょっと……」

『あはは、冗談だって。でも大丈夫。笹木くんならね。それじゃ』


 なぜか太鼓判を押され、そのまま通話を切られてしまった。


「……やってみれば?」


 僕の制服のすそをそっと握って、雪奈が真っ直ぐ見上げてきた。


「結衣花さん、きっと出てくれるよ」

「二人とも……」


 妹たちに背中を押されて、僕は彼女とのトーク画面を開いた。

 〈大丈夫?〉〈風邪引いたの?〉〈よく分からないけどゆっくり休んでね〉という昨日送った三通のメッセージには、未だ既読がついていない。親と一緒に住んでいるだろうし、部屋の中で倒れているとかはないはずだ。以前メッセージを送った時には割とすぐ既読がついたから、彼女はきっと僕のメッセージに気づいている。

 通話ボタンを押して、コール音が鳴り始める。

 怖い。拒絶されるのは、怖い。

 それでも、僕には頼れる味方妹たちがいる。そして、もしも困っているなら力になりたい人がいるから。だから、前に進まなければならないのだ。


 一分以上続いたような気がした長い長い沈黙の後。


「……………………もし、もし」


 二日ぶりに聞いた結衣花さんの声が、僕の耳を静かに震わせた。

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