第19話 今みたいなわたしの方が好き?

「……狭いな」

「……ん」

「昔はもっと広かったような気がする」 


 湯気のすぐ向こうにいる澪奈の肌は全然日焼けしていなくて、華奢きゃしゃな肩は輝くように白い。普段は一つに結ばれている青みがかった黒髪は、肩を通り過ぎてお湯に揺れていた。こうして最後に一緒に入った三年前は僕もまだ今の雪奈くらいの身長しかなくて、澪奈と二人で浴槽に浸かってもプールみたいに広く感じていたような気がする。

 それがどうだ。

 向かい合って座る僕と澪奈の太ももはぴったりくっついていて、浴槽の半分くらいしか張っていないはずのお湯は今にも溢れてしまいそう。正直、色々と無理がある状況だった。

 

「結衣花さんがいなくて……寂しい?」


 話題がない気まずさもあって、兄妹一緒の入浴なんてやっぱり断るべきだったかと後悔しかけていた僕に、澪奈はそうぽつりと問いかけてきた。


「まぁ……最近はずっと一緒だったしな」

「……そうだね」

「澪奈はどうなの?」

「うーん……わたしも寂しい……かな」


 少し意外な一言が返ってきて、僕は思わず澪奈の顔をまじまじと見つめてしまう。彼女は天井を見上げながら、お湯にとぷんと肩を沈めた。


「そうなの? 僕が突然連れてきた美少女メイドに嫉妬しっとでもしているのかと思ってたんだけど」

「そんなわけないでしょ、ばーか」


 こんな澪奈を見たのは初めてかもしれない。何というか、湯気に当たって艶めく唇や細くて色白な首筋、そして一つ一つの所作が凄まじく色っぽい――不覚にもそう思ってしまい、お湯に顔をけた。澪奈は妹、澪奈は妹、澪奈は妹……。「ばーか」というその囁きに思わずドキリとしてしまった自分を恥じている僕の耳に、彼女の呟きが聞こえた。


「だって、もう……家族みたいな存在だったから」

「そう……だな」


 結衣花さんはどうやら、僕が思っていた以上に澪奈に受け容れられていたらしい。彼女が聞いたらきっと喜ぶだろう。……いや、もしかすると僕が知らなかっただけで、二人はもうすっかり仲良くなっていたのかもしれない。


 ――大人になったな、澪奈。

 身体はまだまだ子どもだけど。


「なに? ……あ、あんまり見ないでほしいんだけど……」

「ご、ごめん!」


 前に組んだ両手によってさりげなく隠されているつつましやかな胸元に思わず視線が落ちてしまったのを見抜かれ、僕は慌てて目を逸らした。なるべく意識しないようにしていたつもりだったのだが、いくら妹とはいえもう中学一年生だ。流石に興奮はしないけれど、兄として情けないのは確かだった。


「や、やっぱりダメなのかな、こういうの……」

「い、いや今のは僕が悪かったから」

「ううん。そうじゃなくて……その、こうやって一緒に入るのはってこと……」

「……寂しかったの?」

「…………ちょっとだけ」


 兄が色ボケしていてどうする。妹が寂しがっているのだ。


「み、澪奈さえ良ければさ……時々はこうやって一緒に入ろうか? その……お互い大きくなったけど、昔みたいに自然に接するようにするから」

「……うん」


 少し嬉しそうに頷いてくれた妹の目を真っ直ぐ見つめる。澪奈が中二病に目覚めて以降、ここまで長く自然に話せたのは初めてかもしれない。裸の付き合いというやつだろうか。


「ちなみにだけど……いつもの『†深遠なる業火に刮目せよ†』はどこに行ったの?」

「うーん、なんとなく? ……お兄ちゃんはさ、今みたいなわたしの方が好き?」


 恐る恐る、でもストレートに聞かれて、また胸が高鳴ってしまいそうになる。こんなことではダメだ。「好き?」というのは「いいかな?」という意味なのだから。


「そうだなぁ……今の澪奈も好きだけど、いつもの中二モードの澪奈も好きだよ」

「そ、そっか。――てか中二って言わないで」

「あはは、ごめんごめん」


 そうだ。僕と澪奈は兄妹。変に意識せず、こうして自然にやり取りするのが一番楽しいんじゃないか。こんな時間がずっと続けばいいのにと思いつつも、そろそろのぼせてしまいそうだ。


「それじゃあ、そろそろ身体を洗おうか。どっち先にする?」

「お兄ちゃん先でいいよ」

「いや、澪奈がのぼせちゃったら困る」

「じゃあ……昔見たいに決めよっか」


 ニヤリと笑う妹。


「まさか……あっち向いてホイ?」

「そう」

「何回勝負にする?」

「三回」

「よーし、乗った!」


 勝負をするのは久しぶりだ。わくわくしながら「せーのっ」と叫ぶ。


「じゃんけんぽん! うわ負けた」

「わたしからだね。あっち向いて……ホイ!」


 澪奈の手首から上だと判断した僕は、反射的に下に頭を向けかけ――それは不味いと思い、慌てて上を向いてしまった。気づいたときには後の祭りである。


「ふふふ……かかったね」

「おいおい……ちょっとズルいのでは」

「使えるものは使わないと損。ほら、次いくよ?」


 次に勝ったのは僕だった。


「あっち向いて……ホイ!」

「うわっ!? 負けた……」

「目の前の顔に釣られちゃうようじゃ、澪奈もまだまだだな」


 澪奈から見て左を指さすと同時に僕が反対を向く作戦。混乱した妹はまんまと引っかかり、逆の左を見てしまったというわけだ。


「最後だよ……じゃんけんぽん!」


 勝ったのはまたも僕だった。


「あっち向いて……」


 その時、洗面所の向こうから何やら足音が聞こえてきた。澪奈の注意が逸れかかっている。千載一遇のチャンスだ。


「――ホイ!」

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