第2章 美少女メイドがいる日常

第10話 放課後買い物デート(前編)

 僕がこの高校――侑比野ゆうひの高校に入学してからまる二週間が経ち、この一年四組の雰囲気にもだいぶ慣れてきた。親友と言えるような友達は相変わらずできていないが、コミュニケーションくらいなら一応とれる。

 その一方、授業の予習や課題は大変だ。来週に控えている連休には容赦なく特別課題が出るらしいので、まだ月曜日の一時限目だというのにもう気が重い。


「そうそう、で、ここはx+yをAとおいて、この公式を――」

「おー、流石は夕島さん! ありがとう」

「いえいえ」


 数学Ⅰの授業は四人一組のグループワーク。皆で協力しながら問題を解いていくのだが、結衣花さんが一人で八面六臂ろっぴの活躍を見せていた。隣の女子から聞かれたことに何でも分かりやすく答えて、教科書の例題をすらすらと解いてゆく。


「いやぁーホント、夕島さんがいてくれて助かったよな。なぁ笹木?」

「あ、ああ。夕島さんって優秀だよね」

「木田君ももありがとね」


 今は四人で机を合わせているので、中学から続けて野球部に入るのだという坊主頭の木田義高きだ よしたか君が僕の右隣――つまり夕島さんの正面に座っている。

 結衣花さんの右隣の女子は、学級委員長の寺島羽瑠愛てらしま はるあさん。普段は僕の左隣に座っている学級委員長で、銀縁のメガネをかけた黒髪ロング美少女だ。数学は大の苦手らしい。


「なぁ……笹木」

「どうした」

「お前、夕島さんとはどういう関係なんだ?」


 にやけ面をした木田君に小声で聞かれ、僕は盛大にむせた。


「お、おいおい、大丈夫か?」

「ごほっごほっ……ごめん、何でもない」

「もう、二人で何を話してるの? 例題3は笹木君が解くところだよ?」

「そ、そうだったそうだった。予習してきたからこれを見て」


 結衣花さんは、学校では僕のことを「孝樹君」ではなく「笹木君」と呼ぶ。そりゃあそうだ。ただでさえ「最近なんか二人の距離近くない?」とひそひそ噂されているらしいのに、クラスメートの前で名前呼びなんてしたら大変なことになる。だから僕も彼女のことを「夕島さん」と呼ぶ。


「うん、合ってると思う」

「そっか」


 学校での彼女はフランクで、皆に等しく同じ笑顔を振りまいている。僕にだってそうしてくれる。背中に翼が生えていたら天使そのものだったに違いない。でもその笑顔は、我が家のメイドとして家事をしている時の笑顔とは、どうしても少しだけ違うような気がするのだ。――そして、誰に対してもどこかよそよそしい。

 学校では、お互いに必要以上の接触はなるべく避けることになっている。こうしてすぐ右斜めに彼女が座っていても、僕からプライベートな話題を振ることはない。もちろん、彼女の方から特段話しかけてくることもない。

 僕はきっと調子に乗っているのだろう。こんな美少女がメイドとしてウチに来てくれること自体、とてもとても恵まれたことなのだから。……だけど僕は寂しいと思ってしまった。学校でも「結衣花さん」と呼びたい。いつか必ず。



 ***



「今日、私のことずっと見てたでしょ」

「えっ!?」

「特に数学の時」

「いや、それは……」

「別にいいよ。イヤらしい視線ではなかったし」


 放課後。校門から数分歩いたところで、僕は結衣花さんと合流した。


「……よく分かったね。女性は視線に敏感だって聞いたことあるけど、本当なんだ」

「それもそうかもだけど……それに……私も孝樹君のこと、ちょっと見てたから」

「……えっ?」


 驚きの発言が飛び出して、僕は思わず固まった。


「あっ! べ、別に変な意味じゃなくてね? やっぱり名字呼びするの、ちょっと疲れるなって思って。孝樹君の家では名前呼びしてるのに」

「僕も同じこと思ってた。なんか違和感あるよね。……学校でも名前呼びしちゃう?」

「それは――」

「ごめん、冗談冗談。結衣花さんが困るようなことはしたくないし」

「……」


 ――なぜか溜め息をつかれてしまった。


「はぁっ……まあ知ってたけど。それよりっ、今日はこの後買い物に行くんだよね?」

「そうそう。流石に食材切らしちゃったから」

「土日はある物で頑張って食いつないだものね」

「結衣花さんのおかげだよ」

「ふふん」


 一昨日と昨日は、災害用に備蓄していたカレーを食べた。なんでも結衣花さん特製の隠し味が入っているとかで、めちゃくちゃに美味かった。今日は昨日までに使った分のカレールーも買い足すことになっている。


「他に買う物はあったっけ?」

「えーっと……玉ねぎとジャガイモと人参と……あ、豆腐もない。今夜は麻婆豆腐にしようと思ってたけど、それでもいい?」

「もちろん!」

「じゃあ豚のひき肉とネギも買わなくちゃだね」


 スマホに書いてあるらしい買い物メモを見ながら隣を歩く彼女は、やっぱり学校にいる時より楽しそうだった。この笑顔を守りたい。そう強く思った。

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