第8話 説得する最良の方法は胃袋をつかむこと

「あ、孝樹君。この鶏もも肉使ってもいい?」

「うん。賞味期限間近だし」

「まな板と包丁は流しの下?」

「そうだけど……本当に作ってくれるの?」

「もちろん。選考試験みたいなものだと思って、私が作るところを見てて欲しいな」

「わ、分かった」


 普段は雪奈が着ているピンク色のエプロンを付けた夕島さんは、つやのある茶髪をハーフアップに結んだ。


「気合い入れてるの?」

「そうだよ。鉢巻きを結ぶみたいな感じ」


 可愛らしくも凛としたその真剣な横顔に目が吸い寄せられそうになり、僕は慌てて話題を変えた。


「鶏もも肉ってことは――」

「親子丼を作ろうと思います!」

「マジか! 僕もだけど、一番は雪奈が好きでさ……いつもは時間がないからレトルトを買ってきてて」

「それじゃあ、この私が雪奈ちゃんをあっと言わせて進ぜよう」


 さっと手を洗った夕島さんは、黄緑色のまな板の上に置いた鶏もも肉を手際良く三等分にして、さらにカットしていく。


「へぇ、そぎ切りにするんだ」

「ぶつ切りでも良いんだけど、この方が表面積が増えるから味が染み込んで旨みが増すらしいよ」


 皿に入れた鶏肉に塩を振り、軽く揉んでから料理酒を少しかけて、冷蔵庫に一旦しまう。その間に長ネギを切ったり卵を溶いたり、さらには副菜にサラダまで作ってしまう夕島さんは明らかに手慣れていた。これは我が家にとって貴重な戦力になること間違いなしだ。


「いったん放置するのか」

「下処理をすると美味しくなるんだよねぇー」


 三十分ほど経ってから取り出した鶏肉を、みりんと長ネギが入ったフライパンに投入。中火にかけてること五分、煮立ってきたそれはもう既に美味うまそうだ。菜箸さいばしで鶏肉を裏返し、醤油を加えて弱火でさらに煮る。最後に、さっき用意しておいた溶き卵を何回かに分けて回し入れて完成だ。


「じゃーん。どう?」

「すっごい……とろっとろだ……」


 料理店で出されるようなクオリティの高さに息を呑む。これは凄い。めちゃくちゃ美味しそうだ。雪奈の奴なんて、感激のあまり泣きながら食べるに違いない。激情に駆られた僕は、思わず夕島さんの両肩に手を添えた。


「夕島さんっ!」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

「君は駄メイドなんかじゃない! 世界最高のメイドさんだっ!」

「ちょ、ちょっと孝樹君……いくら何でも褒めすぎだって……」

「いいやそんなことはない!」

「たかが親子丼でそんな」

「――たかが、じゃないよ。お父さん以外の誰かに、こんなに美味しそうな料理を手作りしてもらったのはいつ以来だろうって思ったら……すごく嬉しくてさ」

「孝樹君……」

「ああごめん、別にそんなに重い話じゃ――って」


 玄関の扉が開く音。


「おー、何か楽しそうだな。取り敢えずポテチを買ってきておいたんだが……」


 いつもより少し早めに帰ってきた父と目が合い、沈黙が流れた。つい夕島さんの肩に置いてしまっていた手をそっと離す。ごめんっと小さく言うと、彼女はふるふると首を振ってくれた。


「あ、いやこれはその……」

「お前も大胆になったなぁ……って、これはまさか親子丼か?」


 大人の対応をしていた父だけれど、遂にそこまで料理の匂いが辿たどり着いたらしい。さあ、ここからは夕島さんのターンだ。


「――初めまして、お父様。私は夕島結衣花と申します。孝樹君のクラスメートです。勝手にお邪魔して申し訳ありません」

「お、お父様、だと……っ!」

「ちょ、父さんっ!?」


 突然崩れ落ちた父さんは、慌てて駆け寄ろうとする夕島さんを手で制した。


「ああいや、すみません。私は孝樹の父の三樹かずきです。愚息がお世話になっているようで」

「と、とんでもないです。その……大丈夫ですか?」

「ええ。ちょっと致命傷を受けただけですから」

「お父様!?」



 ***



「ほう、家事を手伝ってくれるメイドですか。――孝樹、お前そんな大事なことをどうして父さんに黙ってた?」

「ごめん……何か切り出せなくて」

「まったく……まぁいい。というか、この親子丼は本当に美味しいですね。卵がとろっとろだ。本当に夕島さんが作ってくれたのかな?」

「はい。お気に召したようで何よりです」


 家族四人で囲んでいるテーブルにもう一人のはなが加わり、食卓は一気に賑やかになった。可憐かれんで知的で料理ができる美少女の笑顔に、商社マンとして経験豊かなはずの父もメロメロだ。


「我が五臓六腑に卵が染み渡ってゆくぞ……我は二度目のうたげを所望――」

「おかわりね? ありがとう澪奈ちゃん、美味しそうに食べてくれて」

「くっ…………美味い」

「ほんとっ!? よかったぁ、雪奈ちゃんが喜んでくれて」

「えっ……あたし?」

「そうだよ。孝樹君がね、雪奈ちゃんは親子丼が大好きだって言ってたから」

「アンタ、余計なことを……っ」


 相変わらず僕をキツく睨みつける雪奈から目を逸らしつつ、夕島さんが楽しそうで良かったなと思う。何というか、今の夕島さんは自然体で、教室にいる時に比べて余計な力が入っていないように見えた。もちろん、僕の勘違いかもしれないのだが。


「なぁ孝樹。お前、いったいどんな魔法を使ったんだ? こんな素敵な美人さんが一日たった二千円で通ってくれるわけないだろ。……まさか弱味を握って脅してるんじゃないだろうな?」

「そんなわけないだろっ!」


 小声で言い争っていると、戻ってきた夕島さんがぽつりと言った。


「実は私……家から出たいんです」

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