第7話 JKvsJC 雪奈編

 夕島さんに澪奈の部屋を見せた後、僕は彼女に家の中を一通り案内して回った。この前ポスターを作りに入った時は暗くてあまり気にならなかったが、冷静に見てみると澪奈の部屋はお世辞にも綺麗とは言えない。「今度一緒に片付けて差し上げます」と夕島さんは使用人らしい口調で妹の手を取っていた。


「リビングはここ。調理用具一式は台所に揃ってるはずだけど――何かこだわりとかあったりする?」

「ううん、大丈夫。わぁっ……ここが今日から働く場所になるんだ……」

「いや、今日はゆっくりしていきなよ。まだウチの父もいるし」

「へぇ、お父さんか。挨拶してもいいかな?」

「あ、挨拶っ!?」

「そう、挨拶。……どうしたの? 何を想像したの?」

「い、いや何も」

「えー、教えてよー。ねぇってばー」


 どうやら夕島さんは学校での印象に比べて、かなり茶目っ気がある人らしい。正直心臓に悪かった。ただでさえ美少女な彼女にくっつかれると、色々と誤解しそうになってしまうじゃないか――。

 心の中で葛藤していると、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。雪奈がピアノ教室から帰ってきたようだ。玄関に迎えに行くと、中学三年生の妹は靴を脱いでスリッパに履き替えているところだった。


「おかえり。お疲れさま」

「……」


 一瞬だけ目が合ったものの、僕の後ろに立っている夕島さんを見た瞬間、彼女は目を伏せて洗面所に入ってしまった。

 分かっていても、スルーされるのはやっぱり辛い。反抗期だから仕方がないのかもしれないが、もう少ししたら澪奈にもこうして完全無視される日が来てしまうのか――項垂うなだれていると、夕島さんに後ろから肩をポンと軽く叩かれた。


「どんまい孝樹君。妹さんたち、難しい年頃だものね」

「雪奈は一つ下なんだけどなぁ……」

「澪奈ちゃんはまだ中一なんだよね?」

「そうだよ。さっき僕がいなかった間に聞いたの?」

「うん。――良い子だね、澪奈ちゃん」

「ああ。皿を割りまくるけど」

「ふふ、そんな一面もあるんだ」


 クスクスと笑って、彼女はリビングへ歩き出した。


「エプロン借りるよ?」

「え、いや、だから――」

「私が駄メイドじゃないこと、ちゃんと証明しないとね」

「駄メイドって……」



 ***

 


 ――全然上手くいかなかった。

 

 昨日も一昨日もそれなりに練習したのに、今日のレッスンでは音を外してばかりだった。先生が見ている前で、あたしはピアノに集中できなかったのだ。


「ああもう……バッカみたい」



 思い出されるのは昨日、あたしが帰宅したばかりの時のこと。

 いつものようにお兄ちゃんが玄関で出迎えてくれなくて、どうしたんだろうと思いながらふとリビングを覗いたちょうどその瞬間、ソファに座ったお兄ちゃんがスマホを両手で握り締めながら嬉しそうに叫んでいたのだ。


「『ゆいか』って…………まさか夕島さん!?」


 どうやら女子の連絡先をゲットできたらしい。

 良いことだ。もう高校生になんだし、いくらあのお兄ちゃんとはいえ、彼女の一人くらいできたって良いじゃないか。あたしには別に何の関係もないんだから――。


「や、ヤバい……既読がつけられない……!」


 男のくせに、まるで恋する乙女みたい。

 気持ち悪い顔をしているお兄ちゃんの横を早足で通って、冷蔵庫から取り出したジュースを飲み干した。

 ……気づいてない。いつもなら、あたしが帰ってきたら必ず「おかえり」って言ってくれるのに。一分くらい白い目で睨み続けて、ようやく目が合った。


「……はいはい、分かってますよ」


 嘘つけ。何も分かってないくせに。

 でも、分かってる。「ただいま」の一言さえも言えなくなってしまった、あたしの自業自得だってことくらい。

 だから今日は「ただいま」って言おうと思った。何度も何度もシミュレーションした。授業中も昼休みも、そしてレッスン中も。レッスンは大失敗だったけれど、その代わりに満を持して帰宅した。


「おかえり。お疲れさま」


 嬉しかった。昨日と違って、今日はお兄ちゃんが出迎えてくれたから。

 だから、あたしもちゃんと言わなきゃいけない。

 深呼吸して目を合わせて、「ただいま」と口を開きかけたその瞬間――お兄ちゃんの後ろで見知らぬ女性が微笑んでいることに気づいた。


「……」


 頭が真っ白になってしまったあたしは、無言のまま目を伏せて洗面所に入った。

 間違いない。彼女が「夕島さん」だ。まさかあんなに可愛くて美人だなんて。しかも、一目見た限りでも、二人の距離は結構近そうで。



「ほんとに、バッカみたい……っ」


 二階にある自分の部屋に逃げ込んだ。セーラー服を脱ぐ気力も起きず、ベッドに倒れ込んで低い天井をぼんやりと見つめる。何してるんだろう、あたし。別にお兄ちゃんが誰と居ようと、誰と知り合いになろうと勝手じゃない。

 なんで「ただいま」の一言も言えないんだろう。

 夕島さんにもちゃんと挨拶しておけばよかった。


「あの時は『おかえり』って、ちゃんと自然に言えたのにな……」


 それは一昨日、卵を割る練習をしていた時。

 手と手が直接触れ合ったわけじゃないけど、背中にお兄ちゃんを感じた、あの時。

 最後は失敗しちゃったけど、一歩前進だなって言ってもらえて泣き出しそうになって、そうしたら頭を撫でてもらえて。


 床の向こうから、お兄ちゃんと夕島さんが楽しそうに話しているのが微かに聞こえてくる。フライパンを出す音。冷蔵庫の扉が閉まる音。料理をしてるみたいだ。美少女で大人っぽくて、料理までできる人を連れてくるなんて、お兄ちゃんはいったいどんな魔法を使ったんだろう。


「あたし、あの人に何一つ勝てない……」


 容姿も女子力も人間力も、何もかも負けてる。

 息を深く吐いて起き上がったあたしは、ボサボサになってしまった髪を左右に振って、部屋の隅にあるアップライトピアノに向かった。

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