02話.[掛けておきなよ]
「下地さーん!」
「どうしたの?」
あれから時間も経過して西口さん限定で普通に話せるようになった。
まあもう入学してから八ヶ月、というところにきているからおかしくはない。
彼女はこんな私が相手でも毎日話しかけてきてくれていたわけだから。
「今日また私の家に来ないかい? ついでに泊まってくれるとありがたいのだが」
「ど、どうしたの?」
「いいからいいからっ、あ、無理なら無理でいいからねっ」
無理ではないから泊まらせてもらうことにした。
彼女のご両親ともそう緊張せずに話せるようになっているから問題もない。
問題があるとすれば母にこれを言わなければならないことだろうか。
「お、お母さん」
「どうしたの?」
最近にしては珍しく早く帰ったから変な風に思われているかもしれない。
そのうえで泊まるなんて言ったら……怒られないだろうか?
「と、友達のお家に泊まってきてもいい?」
「その子はいいと言ってくれているの?」
「うん、誘ってくれたんだ」
断ったらもうしてくれなくなっちゃうから本音を言わせてもらえば行きたい。
西口さんとだけでもいいから仲良くなりたかった。
「じゃあいいんじゃない?」
「ありがとう、明日の放課後になったらちゃんと帰ってくるから」
出ていく前に入浴を済ませてしまってから西口家へと向かう。
「はーい――む、入ってきたな?」
「うん、人の家のお風呂場を使うのは緊張するから」
「仕方がないか、入りな」
今日の彼女はおかしいままだった。
それかもしかしたらこれが彼女の素の姿なのかも――それはないか。
少し浮かれているということなのかな?
「もう、湯冷めちゃうでしょ」
「ごめん……」
「いいけどほら、ブランケットでも掛けておきなよ」
「ありがとう」
単純というかなんというか、あっという間に変わってしまった自分がいいのかどうか分からなかった。
それでも頑なに他者を拒んで誰かといたいのにひとりで居続けるよりはいいかと片付けて、いまは楽しく過ごせるように集中をする。
「そろそろ恵って呼んでもいい?」
「うん」
「恵、今日はよく来てくれたね」
「西口さんは優しくしてくれるから」
「ふふふ」
ただ、他の友達はいいのだろうか?
もしあれなら友達も呼んでくれればいい。
そうしたら端の方で過ごすからそちらを優先してくれればよかった。
聞いてみたら「大丈夫大丈夫」と答えられてしまったけど。
「私はね、恵としたいことがあったんだよ」
「したいこと?」
「それはね、交換日記かな」
言ってしまえば携帯で簡単にやり取りができる時代に交換日記か。
逆に面白いかもしれない。
書いた内容が相手に伝わるまでラグがあるというのも昔らしくていいかも。
「いまはスマホがあればなんでもできちゃうけど、たまにはアナログ形式でやるのもいいかなと思ってさ」
「あ、じゃあ買いに行かないとね」
「ううん、もう準備してあるよ、実は六月頃から」
「え」
それはまたなんとも……早くから準備をしていたようで。
私の気持ちが変わっていなければ無駄になっていたかもしれない。
「はい、なんでもいいから書いてみてよ」
「分かった」
今日から始めるみたいだから合間に考えていたんだけど……。
「うっ」
書いては消してを繰り返していた。
なんというか物凄く気恥ずかしいのだ。
小学生の頃に書いた両親へのものとか未来の自分に対してのものとか、あのときも恥ずかしかったから違和感はない。
気持ちを直接言葉でぶつけるよりもどうしてこうなのか。
「ふぃ~、温かった」
「お、おかえり」
「ただいまっ」
西口さんが戻ってきたからとりあえず後で、はできない。
もう二十二時だからだ、普通なら寝ようとなる時間で。
「まだ書けてないの?」
「うん、なんか気恥ずかしくて」
「最初は寒いねとかでいいんだよ」
「そうなんだ」
でも、色々とありがとうを言いたいんだ。
こんな私にも話しかけてくれたというだけでかなりのことをしてくれたことになるから。
「私、西口さんにお礼がしたいんだ」
「なんで急に?」
「だって、西口さんだけは近くにいてくれたわけだし」
中学生時代も同じだったから多分ひとりだったからって潰れることなんてなかったと思う。
それでも、誰かと挨拶だけでも話せるというのは間違いなくいい方に影響していて。
だからこそなにもできない自分に腹が立つというのもあった。
「でも、無理はしてほしくないかな」
「まさか私が一緒にいるの、無理やり自分を説得させていると思ってたの?」
「ほら、友達が多くいるわけだから、きゃっ……」
彼女はこちらを押し倒しつつ大声で「違うっ!」とぶつけてきた。
あまりの大声に驚いた私は彼女の顔を見上げつつ固まることしかできない。
「なにがあったかは分からないけど恵はマイナスに考えすぎっ」
「も、もう時間も遅いから……」
「うるさいっ、帰るまでにその考えを改めてよねっ」
いまの彼女は少し怖かった。
だけど、敵視されているわけではないことは私でも分かる。
「もう、恵のばか」
「ごめん……」
「いいや、私が先に書くからさ」
「うん」
かきかきと書いている彼女の後ろ姿を見て過ごしていた。
なんかこんな過ごし方もいいなと思ったのだった。
「恵、起きてー」
慌てて体を起こしてから西口さんの家に泊まっていたことを思い出した。
「おはよう」
「おはよっ、ご飯できてるから食べてっ」
「ありがとう」
彼女作のご飯は美味しかった。
ご両親とも朝からお話しできたからこのままいたいぐらいだったものの、あくまで一日だったから許可してくれているだけだということを思い出して反省しておく。
少しいい方へ変わりだすとすぐに調子に乗ってしまうところが駄目だ。
「いい人達だね」
「うん、家族仲はいいからこのままでいたいね」
そして彼女からはもうアレを渡されている。
今度こそ私が書かなければ前には進めない。
お礼がしたいということしか言えていないからそのことについて細かく書くというのも……。
「恵、難しく考えなくていいからね」
「分かった」
よし、とりあえずはいつも一緒にいてくれてありがとうということを書いておこう。
少しずつ重ねていけばいい、いきなり全部やろうとするからこんなことになるのだ。
「なんて朝に考えたけど……」
今日は別の意味で教室に残って向き合っていた。
やはり文字にしようとすると気恥ずかしくなるのだと分かった。
「ばあっ」
「きゃっ!?」
……この人は西口さんの友達だ。
テンション的にはよく似ている、お化粧を濃くしているところはあんまり似ていない。
「今日は珍しく鈴といないのね」
「は、はい、用事があるということだったので……」
「そうなんだ? ん? その文字って鈴のだよね?」
「はい、交換日記をしようということになりまして」
よく分かったなというのが正直な感想。
お手紙と違って書き終えた後に◯◯よりみたいなことだって書いていないのに。
「なるほどね、面白いことするのね」
「西口さんが言ってくれたんです」
「つか敬語はいらないから、同級生で同じクラスなんだからさ」
「はい――あ、うん」
これを渡さなければならないからとにかくいつもありがとうということを書いておいた。
西口さんに用があるみたいだったから一緒に向かうことにする。
「用事と言ってもなにもないから気にしなくていいよ」
「え、なんで?」
「あの子はね、そうやってたまにひとりの時間を作るのよ」
ひとりの時間を作りたいのはこちらも同じだからそうなのかとしか思えなかった。
……私の場合は作らなくても自然とそうなるんだけど、細かいことはどうでもいいか。
「こ、これを渡してくれないかな」
「いいわよ」
「ありがとう」
それなら行ってしまったら駄目になる。
きっとこの子のことは信用しているから大丈夫なはずだ。
喧嘩とかにならなければいいけど……。
「ただいま」
母はこれぐらいの時間だとまだお仕事から帰ってきていないからいない。
父に比べれば軽くではあっても共働きなのは変わらない。
そんな感じなのによく受け入れてくれたなと思う。
ただぼうっとしているだけだともったいないから少し掃除をしたりしていた。
「ただいま」
「おかえり」
「帰ってきてくれてよかった」
そ、そりゃこの家がいまの私の居場所なんだから当たり前だ。
逆に「帰ってこなければよかったのに」とか言われたら心が死んでしまう。
「楽しかった?」
「うん、ちょっとだけ緊張したけど」
ほとんど緊張せずに話せたから満足しているけど。
ただ、今度は家に来てもらいたいという気持ちがあった。
だからその旨を話してみたら「連れてきて」と言ってくれたからよかった。
「どんな子なの?」
「えっと、元気な子かな」
「そうなんだ?」
元気で優秀で友達もいっぱいいて。
私がしっかりしたら来てくれなくなる可能性があるとも言っておいた。
母は複数回学校での私を見ているわけだから分からないということもないだろう。
中学時代なんて本当にひとりぼっちだったから……。
「長く続くといいね」
「うん」
でも、小学時代に比べたらそれでもマシだった。
あの頃はなんにも理解が追いついていなくて、ただ義務感で学校に通ってただけ。
両親が亡くなってからあまりにも早く住む土地が変わったりとかしたから小学生にはどうしようもなかったのだ。
ただやはり頭の中にあったのは実の両親が自分達で死ぬことを選んだんだ、ということで。
「お母さん」
「うん?」
「……迷惑じゃないよね?」
私が、とは言えなかった。
だけどこう言われたら多分先程のことを考えてくれるだろうから……。
「当たり前だよ、心配しなくて大丈夫だよ」
「ありがとう」
あとはあの書いた内容にどう書いて返してくるのかというところか。
あの子がいることから、もうあれで終わりにするって可能性もある。
あの子達は魅力的だ、対する私は面白みもない人間だ。
「ふぅ」
そうならないように願う自分と、ついつい悪く考えてしまう弱い自分がいる。
こういうときにあれなのは悪く考える方の力が強いということだろうか。
……悪く考えてばかりいても駄目だからよくなるよう願っておこうと決めた。
「ね、私も恵って呼んでいい?」
「うん」
翌朝、いきなり
別に拒む必要もないから受け入れておいた。
もしかしたら彼女と一緒にいれば西口さんと多くいられるかもしれないから。
「出口さんは西口さんとずっと一緒にいるわけじゃないの?」
「そりゃあね、家族というわけでもないから予定が合わないときもあるわよ」
なに当たり前なことを聞いているのかと自分が馬鹿だと思った。
こういうところが問題だと思う、中身が全く成長していないのだ。
「おはよーっ」
「はよー」
「おはよう」
こうして私にも明るく挨拶をしてくれる西口さんが好きだ。
って、こんなこと言ったら気持ち悪がられるだろうから口にはしないけど。
「恵ー、はいっ」
「ありがとう」
「ちゃんと返事をしておくれよー?」
「うん」
「それ、私も加わっていい?」
私としては仲良くなれるのならそれでもよかった。
私単体としているよりは彼女ともやれた方がいいだろう。
あと、回ってくるまでに一ターン余裕ができるというのは大きい。
「駄目ー、これは恵と私限定なんだから」
だから断ったのは意外だった。
彼女は「なんでよ?」と不満をぶつけていたものの、依然として西口さんはスタンスを変えようとはしなかった。
「はぁ、そういうのはよくないと思うわよ」
「だって恵が気にしちゃうだろうから、安心してやってほしいんだよ」
「大丈夫よ」
「駄目」
自分のせいで不仲になってしまったらどうしようとこちらが不安な状態に。
それでも動けずに固まっていたら彼女が腕を掴んで歩き始めてしまった。
「ご、ごめんなさい」
「ん? なにが?」
「え、だって怒って……るんだよね?」
「ははは、怒ってなんかないわよ、凄く不安そうな顔をしていたから連れ出しただけ」
だって下手をしたら最悪な展開になっていたから。
自分のせいでそうなってしまったら落ち着くことなんてできない。
「恵、鈴と仲良くしてやってね」
「う、うん、できればそうしたいと思ってるよ」
「じゃ、協力するから説得して」
「わ、私じゃ無理だよ……」
「ははは、冗談よ」
その後も結局中身は確認できないままでいた。
書くのも読むのも気恥ずかしい。
あとはもし怖いことが書いてあったらどうしようという不安があった。
「むむむ……」
放課後になって、そこからさらに一時間が経過してもこれで。
「怖いことは書いてないよー」
「えっ、ま、まだいたのっ?」
「うん、ちょっと図書室に行っていただけだから」
そうだ、今日もう返さなければならないんだから早く書かないと。
ええいっ、と勇気を出してすぐに確認、ああ……優しいなあ。
とにかく考えると駄目になるから書いてしまうことにした。
「はは、いっぱいあるんだね」
「うん、だって本当にありがたいから」
「いてくれてありがたいって言ってもらえるの、凄く嬉しいよ」
気恥ずかしさなんてものは捨ててなんとか書き終えることができた。
「はいっ」
「うん、書き終わったみたいだから帰ろうか」
途中からは見ないようにしてくれていたから既視感というのはないはずだ。
ちなみにいつか家に来てほしいということも書いておいた。
いまとなっては口で伝えることよりもこの方が楽かもしれない。
直接断られたら多分泣いちゃうから、これならまだ多少はマシだと思うから。
「今日もありがとう、私のことを考えて言ってくれて」
「いちいちいいよ」
「でも、出口さんは西口さんにとって友達なんだから優先してあげてほしい。私なんかに合わせてばかりいたら嫌われちゃうかもしれないから」
友達が特定の誰かにばかり構っていたらつまらないだろう。
下手をしたら「もういいっ」となってしまうかもしれない。
「恵はそんな心配をしている場合じゃないでしょ」
「うっ……」
「いいんだよ、私が恵と一緒にいたいんだから」
彼女はこっちの腕を軽く突いてから「心配してくれるのも嬉しいけどね」と言った。
「うーん、過去になにかあったの?」
「えっと……」
「別に言えないならいいけどさ。心配性だし、なんか自己評価低いしで気になるよ」
自己評価が低いつもりはなかった。
私は冷静に自分を見て判断しているだけで。
事実、勉強も運動もコミュニケーション能力も普通レベルにも至っていない――少なくとも運動能力とかはそうだから指摘されても困ってしまうわけだ。
「ごめん、面倒くさいかもしれないけど……一緒にいてほしい」
「それは心配しなくていいよ、私はいま恵に興味を抱いているからね」
ということはつまり、興味を失くしたら離れてしまうということか。
いや当たり前だ、私だって興味のないことにいつまでも関わったりしない。
自分はそうするくせに他人にそうするなと言うのは傲慢だろう。
「ねえ、どうしてもう恵って呼ばれてるの?」
「朝に呼んでいいか聞かれたからいいって言ったんだ」
「そうなんだ」
自分の名前は好きだ。
なんか響きが可愛い、あとは恵まれているから名前負けしていないし。
「今日も私の家に来てよ、昨日は何故か香帆が来たからさ」
「うん」
「昨日も一緒に行動していたんでしょ? だって香帆から受け取ったわけだし」
「教室で話しかけてくれてね」
「コミュニケーション能力が高いからなー」
お互いに名前を呼び捨てにしあえるのも少し羨ましい。
あとは相手のことを理解しているところだろうか?
「でも、ひとりでいる時間が欲しいんだよね?」
「たまにはね、いつもみんなといると疲れちゃうから」
「じゃあ私が行ったら駄目なんじゃ……」
「余計なこと考えない、ほら行こっ」
こうして引っ張ってくれるところも好きだ。
どうしてここまで優しくしてくれるのか、それがまた気になり始めていた。
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