第14話『別れ』
上司は思ってたよりもあっさり私の退職届を受け取り退職を許可した、幸い頬に貼っていたガーゼには突っ込みを入れられずに済んだ。
勤務態度が良かった私が、中野に出会ってたからいきなり当日欠勤も増えた。
おそらく会社も私を不安分子として見ていたのだろう。
退職届を受け取った上司の「そうか」という返事が全てを物語っていた。
本来なら会社の規則で退職の意思表示をしてから2週間は勤務しなければならないが、上司は即日で退職届を受理した。
明日から出社する必要もなくなった。
同僚の日野には「会社やめるわ」と一言メッセージアプリで連絡だけ入れておいた。
メッセージに既読は付いていたが返信は無かった。
昼過ぎに自宅へ帰ると、美加が目を丸くしていた。
もちろん美加には退職する話はしていない。
「どうしたの?仕事は?」
「もうやめた」
数秒時が止まった。
「そう…」
美加はそれだけ言うとリビングへ戻った。
私はそのまま自室へと向かい、ベッドに飛び込んだ。
今はものすごく気分が良い。
仕事をやめるともっと精神的にブルーになると思っていたが、実際の所ブルーどころか清々しささえ感じる。
(俺は間違っていない。これで良かったんだ)
見慣れた天井を見ながらゆっくりと深呼吸をし、私はそのまま眠りについた。
「ポポン♪」
メッセージアプリの通知音で目が覚めた。
窓の外は夕焼けで綺麗なオレンジ色に染まっていた。
眠たい目を擦りながらスマホの画面上に目をやると、メッセージの相手は日野だった。
「ーーほんとに辞めたのかよ!?今日ずっと会社でお前の退職の話が話題になってたぜ(笑)これからどーするんだよ?ーー」
これからどーする?
こういう時の言い訳を私はまだ考えてなかったので日野への返事は一旦保留にした。
腹が減ったので、リビングへ向かい階段を下りると1階に人気は無かった。
(あれ?美加は買い物にでも行ったのか?)
リビングに入ると電気は点いておらず、薄暗く冷えこんだ空間が私を出迎えた。
そしてテーブルの上に綺麗に並べられた大小2枚の紙が置いてあることに気が付いた。
まず小さい方を手に取るとそこには、小さく可愛いらしい美加の字で
「もう限界です」
と綺麗に一行で納められた文章があった。
すぐ横に置いてあった大きい方の紙に目をやると、それは離婚届だった。
既に美加側は記入されており、後は私が記入し、提出するだけの状態になっていた。
我が道を進めばいずれこうなる事は覚悟していた。
結婚というものは我が道を進みたい者同士が妥協し道を削り合い、1つの道を新たに作り上げて歩んで行くものだ。
美加はずっと前から道を削り続けて何とか私の方の道へ繋げようとしてくれていた。
それも分かっていた。
でも私は少なからず結婚生活に対する不満を持っていたし、サラジャや中野に出会って自分の道への執着がより一層強くなっていった。
美加には気付かれていないだろうが、杏菜やまどかと浮気もした。
薄々覚悟はしていたし、これが本来自分の望んでいた結果だったが、いざ現実となるとやはり動揺はする。
悔しさ、後悔、情けなさ…
涙が止まらなくなった。
離婚届の上に容赦なく涙の雨が降る。
泣きたいのは美加の方なのも重々承知しているが、今までの美加との思い出を振り返ると涙が止まらなくなった。
いくら腹が立つ事が多くても妻として、家族として生活していた事に変わりはない。
親や兄弟ならば絶縁状態になっていようが血の繋がりがあるから何かしかの方法で関わりを保てる。
だが、妻はそうはいかない。
血縁もないので離婚が成立してしまったら二度と会えない事の方が多い。ましてや私達に子供はいなかったから子供を介して会う事もできない。
しばらくの間、私は張りつめていた糸が切れたように嗚咽しながら泣いた。そして疲れはて再び眠った。
翌日、私はリビングで朝を迎えた。
美加の残した離婚届に記入を済ませ、後は役所に提出するだけの状態だ。
だが役所までの足取りが重い。
幸い会社は退職済みだったので時間の自由がきく。
とりあえず離婚届はすぐに提出はせず、しばらく手元に置いておこうと決めた。
ヒットマンとしての仕事がだめだった場合の保険のようで嫌気はさしたが、すんなり離婚を受け入れ離婚届を提出する気力も無かった。
その場でしばらく今後の生活を想像した。
孤独感は付いて回るが決して寂しくはならなさそうだった。
私にはまだ友人の日野や中野がいるじゃないか。
これからヒットマンとしての活動を続ければ森やアランのように中野を介して紹介される仲間も増えるだろう。
そして金も稼げる。
ほとんど開き直りに近い考え方だったが、今の私が切り替える為にはこれが精一杯だった。
このままリビングに居てもしかたがないのでアランに連絡を入れ、訓練をつけてもらう事にした。
まだ昼間だからだろうか。アランはいつもの17番倉庫ではなく、とあるボクシングジムで待ち合わせを提案してきた。
場所はすぐに分かったので、約束の時刻に待ち合わせのジムに向かうと丁度アランと同時に到着した。
「オッス!カミヤン!」
アランは相変わらず神谷とは呼ばすカミヤンと呼んでくる。
これも今となれば親しみを感じ、悪くない。
「アラン、今日はこのジムで訓練するの?」
「ソウ!ココ、ナカノガシリアイ!バショカシテクレルヨ!」
そう言うとアランはジムの扉を開け、ずかずかと奥へ進んだ。
ジムに入ると汗とグローブの革の匂いだろうか。
何とも懐かしさを感じさせる匂いが鼻に付いた。
この匂いは体育館を連想させる。
受付にいた女性もアランの顔を見ると、軽く会釈をしすんなり通してくれた。
私もアランの後に続き、奥の部屋に入る。
外から見たジムはリングがあったが、この奥の部屋にはリングは無く、そこは畳張りの道場の様だった。
一見、普通の道場だが壁にはゴムナイフや金属バッド、木刀やヌンチャクなども掛けてあった。
おそらくこれは対武器の練習用だろう。
(すげぇ…)
外からだと普通のボクシングジムにしか見えないのに奥の部屋に入るとまるで別世界だった。
アランは上着を脱ぐと、早速「カモン」とファイティングポーズを取った。
実戦では準備運動などする暇はない。
前回の仕事でそれを理解していた私はアランめがけて飛び掛かった。
この日の訓練ではアラン相手に1発攻撃をするたびに、美加との思い出が私の記憶から浄化されていく様に感じた。
だから私はがむしゃらにアランに突っ込んで行った。
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