蓋爪
赤野手人
第1話
「神様ってのは、いるんですか?」
「いるね…」
「御隠居さんは見た事がある?」
「見た事はないよ…」
「見た事もないのに、いるって言い切れるんですか?」
「まぁ、そうだなぁ…」
「なんでですか?」
「そりゃ~お前…いなきゃ神社が困るだろ」
また始まってしまった。小吉兄さんの悪い癖だ。いつも調子に乗って好き勝手やってしまう。私みたいな見習いの前座が付き添って監視をした所で、二つ目の小吉兄さんが大人しくする筈がない。
今日は刑務所の慰問会だから、真面目に古典をやりなさい…なんて大吉師匠の言付けを小吉兄さんが守る訳もなく、慰問会が独演会になってしまうのは、火を見るより明らかだった。
こんな時は、やっぱり真打の小道兄さんがいないと駄目だ。優しくてお地蔵さんみたいな、あの小道兄さんが、いつもは見せない厳しい目つきで、袖からギロリと睨みを利かせれば、あの臆病な小吉兄さんなら、驚いてスルリと古典に戻ったに違いないのに…それが、よりによってこんな日に、急遽寄席の代演を頼まれてしまうなんて…最悪のタイミングだ。
大吉師匠も全くもって無責任で、自分が寄席の代演でも慰問会でも、どちらでもいいから出ればいいのに…どうしても外せない用事があるなんて言って、どうせまた借金した相手の接待麻雀か接待将棋に違いない。
「小春ちゃん…頼んだよ。馬巣亭一門の命運は、小春ちゃんに掛かっているからね…」
いくらバス亭なんてふざけた亭号の一門だからって、入門してまだ1年も経っていないような新米の小娘に、命運を託すなんて先が思いやられる。
それでも私は自分なりに頑張って、眉間に皺を寄せて睨んでみたり、頬っぺたを膨らませて脅してみたけど…あの臆病な小吉兄さん相手でも、全く効果がない様で…焼け石に水?暖簾に腕押し?糠に釘?
いや、それどころか火に油を注いでしまっていると言っても過言ではなく…こちらを兄さんがチラリと一瞥する度に…私と目と目が合う程に、兄さんは不敵な笑みを浮かべながら、今まで以上に活き活きと、憎たらしいくらい楽しそうに、古典落語から脱線していくのです。
「それじゃあ、ご隠居さん。いいですか?これから流石のご隠居さんでも答えられない様な、もっと難しい質問をしますよ」
「あぁ、いいよ。臨むところだ」
「それじゃあ先ず、どうして人は悩むんですか?」
「ん?」
「人は他の動物と違って悩み苦しむ生き物ですよね?どうしてですか?」
「あぁ、それはお前…悩んでた方が賢そうに見えるじゃねぇか…」
「え?」
「お前ね、悩みなんか一つも無いなんて事を言ってみろ。直ぐに世間知らずの馬鹿だって事がバレるぞ」
「それじゃあ、馬鹿がバレないように皆んな悩んでいるんですか?」
「そう、悩んだフリをしてんの…自分に悩みがない奴は、新聞なんか読んで景気が悪いとか政治がどうだとか言って態々悩みを拵えてんの…今のご時世悩みの一つも持ってなかったら就職だって出来ない」
「ん〜…じゃあ、次はもっと難しい質問をしますよ」
「おお、いいね…」
「人はどうして生きるんですか?」
「成る程な…哲学的でいい質問だ」
「どうしてなんですか?」
「その答えは単純だな…あんまり考えてないからだ」
「それは…どういう事ですか?」
「考えちゃったら、生きるなんてこんな面倒な事は辞めて死んじゃうだろ。ほら、自殺なんてする奴は大概利口な奴ばかりじゃないか…」
「それじゃあ、人は死んだら何処に行くんですか?」
「何?」
「その自殺した人だとか、罪を犯した人は地獄で、善い事をしたら天国だとか?輪廻転生なんて事も聞きますけど…どうなんですか?」
「そりゃ~、お前もアレだろ。そろそろいい歳なんだから、自分で決めた方がいいなぁ」
「自分で決めれるんですか?」
「決めれるんですかって、可笑しな事を言うねお前も、え~今だって何でもかんでも自分で決めて生きてるんだろ?死んでも一緒だよそりゃ…」
「いや、あの死神が連れて行っちゃうとか」
「そんなの着いて行かなきゃいいだろ」
「でも、閻魔様がどっちか決めるって」
「それじゃあ、閻魔様の所に行かなきゃいいだけだろ。大体、あんな所に行く奴ってのは、優柔不断な奴だけなの」
「本当ですか?」
「本当も何も無いよ…何を生業にするも、今日何処に行くも、帰って何を食うも、全部自分で決めて生きてるだろ?」
「いや、帰って何を食うかは分かりませんよ。ウチのかかぁが何を拵えるのかは知りませんので…」
「それでも、そのかかぁを嫁に選んだのもお前だし、何を拵えるのかは分からなくも、そのかかぁが拵えた物を食べると決めているのもお前自身だろ?」
「そうですねぇ…」
「だからな、悪い事をしたとか善い事したとか、それを決めるのも自分だし、死んで天国に行くも地獄に行くも、生まれ変わるも変わらないも、幽霊になって現世を漂うも、お墓の中で安らかに眠るも、千の風になって大空を吹き渡るも、全部自分次第って事だな…」
「それでも、ご隠居さん…自分次第とは言いますけどね。誰だって死からは逃れられない…自分でどうする事も出来ませんよね」
「まぁな…」
「どうして人は死ぬんですか?死というものに、一体どんな意味があるんですか?」
「そりゃ~お前、人が死ななきゃね…」
「えぇ、人が死ななきゃ何なんですか?」
「人が死ななきゃ…今度はお寺が困っちゃう」
あぁ、止まらない。誰か小吉兄さんの座布団を奪い取ってくれる人はいないだろうか?
お客様の中にお医者様じゃなくて、座布団運びの山田君はいないだろうか?
残念ながら今日のお客様の中には、座布団じゃなくて、危ないお薬を運んで捕まってしまったような人しかいない。
もう、うんざりする…早くお家に帰りたい。
続く
蓋爪 赤野手人 @taninnosorani
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蓋爪の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます